カイン・レオンハルト
「……エミリア・ヴァレンシュタイン。君の噂は、もう聞き飽きた」
その声が図書館に響いた瞬間、私はページをめくる手を止めた。
静まり返った王立学院の図書館。
古い魔導書の匂いと、午後の光。
そして、目の前に立つ大きな影。
私はゆっくり顔を上げた。
そこにいたのは、学院でも有名な騎士。
カイン・レオンハルト。
王国騎士団の見習いでありながら、すでに実戦経験もある男。
剣の腕も、人格も、誰もが認める優等生。
熱血で、誠実。
仲間思いで、弱者に優しい。
そして――
「またリリアーナを泣かせたそうだな」
私はため息をついた。
「……また?」
「とぼけるな」
カインは一歩前に出る。
騎士の制服が軋む。
「リリアーナは君に嫌がらせを受けていると話している」
その言葉を聞いた瞬間、私は本を閉じた。
ぱたん。
本を閉じた音が妙に大きく図書館に響いた。
「それで?」
「それで、だと?」
カインの眉が険しくなる。
「泣いている人間がいるんだぞ」
私は静かに立ち上がった。
カインは背が高い。
けれど、私は目を逸らさない。
「カイン様」
「……何だ」
「質問してもいいですか?」
私は首を傾けた。
「どうして、私が犯人だと決めつけているんですか?」
一瞬の沈黙。
カインはすぐ答える。
「リリアーナが言っていた」
「それだけ?」
「……それだけで十分だ」
彼の声は迷いがない。
むしろ、誇らしげですらあった。
「彼女は泣いていた」
拳を握りながら言う。
「弱い者を守るのは騎士の義務だ」
私は思わず苦笑した。
ああ、この人。
本当に“騎士”なんだ。
――でも、それは時々、致命的な欠点になる。
「カイン様」
「何だ」
「私、泣いていませんよね」
「……」
「だから犯人ですか?」
カインの顔がわずかに歪む。
「君は……」
彼は低く言った。
「冷たい」
図書館の空気が少し重くなる。
「人が泣いているのに、平然としている」
私は静かに答える。
「泣いていないと、信じてもらえないんですか?」
「違う」
カインは即答した。
「君は冷静すぎる」
その言葉に、私は一瞬だけ黙った。
そして小さく笑う。
「なるほど」
「……何だ」
「カイン様」
私は本棚に本を戻しながら言った。
「あなたは、もう答えを決めているんですね」
「……」
「“エミリアは悪役”って」
カインの表情が固まる。
彼は気づいていない。
自分が、どれほど思い込みで動いているのか。
「リリアーナは弱い」
彼は言う。
「君は強い」
そして。
「だから君が加害者だ」
それを耳にして私は笑いそうになった。
強いから加害者?笑わせる。
私は振り向いた。
「それ、証拠ですか?」
沈黙。
「その理論で行くと、今カイン様は私を虐めてることになりますね」
「なっ……!」
にっこり笑ってカインに問いかける私。
カインは反論しようと声を上げたが言葉がでない。
そして、カインは答えない。答えられない。
でも、彼の目は揺れない。
なぜなら。
彼は自分が正しいと信じているから。
それが彼の強さで――同時に弱さでもある。
「……君みたいな人間が」
カインは低く言う。
「弱者を追い詰める」
その言葉に、私は初めて、少しだけ怒った。
「カイン様」
「何だ」
「あなた」
私は静かに言う。
「“泣く人”を守ってるんじゃないですよ」
カインの眉が寄る。
「何?」
私は彼の目をまっすぐ見た。
「“泣いた人”を守ってるだけです」
図書館が静まり返る。
「それ」
私は続ける。
「一番簡単に騙されるやり方ですよ」
カインの拳が震えた。
怒りかそれとも……わずかな疑念か。
「……リリアーナを侮辱するな」
私は肩をすくめる。
「してません」
そして言った。
「ただ、あなたが簡単すぎるって言ってるだけです」
その瞬間。
カインの顔が真っ赤になった。
「エミリア!」
彼が声を荒げたとき。
奥の棚から、静かな声がした。
「……やれやれ」
私もカインも振り向く。
そこにいたのは、一人の少年。
本を閉じながら歩いてくる。
ノア・アルケイン。
宮廷魔術師であり、学院の生徒会員。
そして学院一の頭脳。
彼は眼鏡を押し上げながら言った。
「レオンハルト卿」
カインが睨む。
「……聞いていたのか」
「ええ」
ノアは微笑む。
「全部」
そして、さらりと言った。
「あなた、騎士として一番危険なタイプですね」
図書館の空気が一瞬で凍る。
「何だと?」
ノアは平然としていた。
「証拠ゼロ」
指を一本立てる。
「証言一つ」
もう一本立てる。
「そして」
最後に言った。
「思い込みで断罪」
カインの顔が強張る。ノアは静かに続けた。
――さすが学院随一の知能派!カインは顔を真っ赤に染めこそ反論できない。
「レオンハルト卿」
その声は穏やかだった。
だが、刃のように鋭い。
「あなたは“正義の騎士”じゃありません」
一歩近づき、こう言った。
「ただの都合のいい正義の使い手です」
その瞬間。
カイン・レオンハルトの心に、初めて――疑念が落ちた。
そしてその遠くで。
学院の廊下の窓辺で。
一人の少女が静かに笑っていた。
リリアーナ。
「……ふふ」
甘く、弱そうな声で呟く。
「やっぱり」
その瞳はいつものように潤んで揺れる弱者の瞳ではない。――冷たい。
「カイン様は、簡単ですね」
物語はまだ始まったばかりだった。




