私が主役
――聖女。
神殿で司祭が神託を受け、私に授けた名称。
その言葉を初めて聞いたとき、私は震えた。
嬉しくて、誇らしくて。
そして――世界が変わると思った。
王都の学院の門をくぐった日。
馬車も持たない平民の私を、貴族たちが見ていた。
ざわめき、好奇の視線、羨望。
――特別入学の聖女。
それは、物語の主人公の席に座るのは私だった。
平民の少女が才能を見出され、貴族の中で輝く。
誰もが好きな物語。
私も、そう思っていた。
でも……
入学式の日。
私は初めて彼女を見た。
銀色の髪、蒼玉の様な青い瞳。
静かな立ち姿。
誰もが道を空ける存在。
エミリア・ヴァレンシュタイン。
公爵令嬢。
そして――第一王子アルベルトの婚約者。
その瞬間、私は理解した。
この学院にはすでに“主人公”がいる。
誰もが彼女を見る。
廊下を歩けば、令嬢たちは自然に道を空ける。
教師でさえ、少しだけ声を整える。
それなのに…彼女は笑わない。
――誇らないし、泣きもしない。
ただ、そこに立っている。
それだけで。
世界が彼女を中心に回っている……
私は聖女なのに。
奇跡の力を持つ特別な存在なのに。
なぜ?
どうして?
――誰も彼女から目を離さないの?
最初は、羨望だった。
こんな風になりたい。
あんな風に見られたい。
そう思っていた……
でも――ある日。
中庭で彼女を見たとき。
アルベルトが彼女に話しかけた。
ほんの短い会話。それだけで――
胸の奥が、黒く沈んだ。
どうして……どうしてあの人なの?
私は聖女。
奇跡を起こす力がある。
平民の私が、王子と並ぶ物語だってあり得る。
むしろ、その方が――美しい。
その日、私は初めて理解した。
自分の力の使い方を。
人は、弱いものを守りたがる。
泣いている少女を、助けたくなる。
冷たい人間を、悪役にしたくなる。
それは、とても簡単なこと。
物語を作ればいい。
最初の階段。
ほんの小さな演出だった。
私は泣いた。
震えた。
「怖かった」
と言った。
それだけで、空気は動いた。
ああ……簡単。
こんなにも簡単に、世界は私の味方になる。
そう思った。
でも――次の日。
彼女は何もしてこなかった。
怒らない。
言い訳しない。
泣きもしない。
ただ、いつも通り授業を受けて、いつも通り首席を取って、いつも通り静かに歩いている。
それだけ。
それだけなのに。
どうして?
どうしてみんな、“迷い始めているの?”
図書室の棚。
温室の花瓶。
私はちゃんと考えた。
ちゃんと演じた。ちゃんと泣いた。
なのに……
最近、視線が違う。
「また事故?」
「でも……」
その“でも”が、胸を刺す。
違う!違うの!!
私は被害者なの。
私は聖女なの。
私の物語は、みんなが守ってくれるはずの物語なのに。
――夜。
寮の部屋で、私は鏡を見る。
涙で赤い目。震える肩。
完璧な被害者の顔。
それなのに……
頭の中で、別の声がする。
――矛盾が増えてる。
――事件が多すぎる。
――観客が考え始めてる。
私は首を振る。
違う――
まだ大丈夫。まだ壊れてない。
だって私は聖女。
私は物語の主人公。
――でも。
最近、一番怖いのは、エミリアの顔だ。
怒らない。
焦らない。
何も言わない。
ただ――見ている。
まるで私の物語が崩れるのを、静かに待っているみたいに。
私は拳を握る。
負けない!絶対に!!
だってこの物語は、私のものだから。
平民の聖女が、貴族社会で輝く物語。
王子が振り向く物語。
悪役令嬢が断罪される物語。
そのはずなのに……どうして?
どうして――
物語の中心にいるはずの私が、こんなにも焦っているの?
このままでは――負ける。
その考えが、頭から離れなかった。
――夜の寮室。
窓の外では風が吹いている。
カーテンが揺れるたびに、影が動く。
まるで誰かに見られているみたいで、落ち着かない。
私は机に両手をついた。
指先が白くなるほど力を込める。
違う……
違う……違う!違う!!
私は聖女――物語の主人公。
――負けるはずがない。
最初は、簡単だった。階段で泣いたとき。
みんな、すぐに私の味方になった。
令嬢たちが駆け寄ってきて
「大丈夫?」
「ひどいわ……」
そう言ってくれた。
アルベルト様も、心配そうな顔をしてくれた。
それだけで十分だった。物語は、私のものだった。
なのに……いつからだろう?
空気が変わったのは……
「また事故?」
「偶然かしら……」
小さな疑問。ほんの少しの沈黙。
それだけで、胸がざわつく。
原因は分かっている。
――エミリア。
あの女……普通なら。
疑われたら怒る……泣く。
言い訳する。
そうやって、物語が動く。
でも彼女は違う。何もしない。
――ただ、そこにいる。
いつも通り授業を受けて、いつも通り首席を取り、いつも通り、誰よりも静かに立っている。
――それだけ。
それだけなのに――
どうして、あんなに目立つの?
中庭で見た光景が、頭から離れない。
令嬢たちが笑っている。
その中心にいるのは、私じゃない。
――エミリア。
誰も彼女を囲んでいるわけじゃない。
媚びてもいない。それなのに、自然に人が集まっている。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
羨ましい。
悔しい。
そして――許せない。
私は聖女。
奇跡を起こす力を持っている。
平民の私が、ここまで来た。
物語の主人公になるために。
なのに――どうしてあの女が、何もしないで全部持っていくの?
私は鏡を見る。
涙を流す。
震える。
完璧な被害者の顔。
でも――最近、分かる。
――これだけじゃ足りない。
涙は何度も使えば、価値が落ちる。
観客は慣れる。疑い始める。
なら――次は……
私はゆっくり息を吐く。
考える。エミリアの弱点。
彼女は慎重だ。必ず第三者がいる。
二人きりにならない。隙を作らない。
――だから今まで失敗した。
でも……もし……
“彼女が何もしていないのに”罪が成立する状況が作れたら?
私は机の引き出しを開ける。
そこには、小さな魔石。
聖女の奇跡を増幅する触媒。
学院では使うべきじゃないと言われているもの。
でも……ほんの少しなら。
私はそれを手に取る。
指先が震える――怖い。
でも……このままじゃ負ける。
エミリアは動かない。
だから私が――物語を壊す。
私はゆっくり笑う。
そう……事故じゃ足りない。
演出じゃ足りない。
次は“奇跡”を使う。
聖女の力で、誰かを救う。
そしてその原因を――
エミリアにする!
そうすれば。
誰も疑わない。
聖女が奇跡を起こし、悪役が暴かれる。
完璧な物語。
観客が一番好きな結末。
私は魔石を握りしめる。
胸の奥で、鼓動が速くなる。
これが最後。
次の一手で、全部決まる。
窓の外で風が強くなる。
まるで嵐の前みたいに。
私はまだ知らない。
この一手が、自分の物語を救う手じゃなくて――完全に壊す一手だということを。




