始まりは悪女から
「申し訳ありません…私が全部悪いんです…」
床に膝をつき、金の睫毛に縁取られた淡いローズクォーツの様なピンク色の瞳が肩と連動して小刻みに揺れている。
その彼女を守るように1人の男性が私の前に立ちはだかる。
陽光の様な透ける金髪が人目を引く長身で均整の取れた体躯。
私を見るその眼差しはまるで剣の切っ先を突きつけてるように鋭い。
私は傍目から見たらどう見ても悪女だ。
私は彼女のような縋り方はできない。
大勢の野次馬に取り囲まれ見世物のように見られる。
私の青い瞳はこんな時でも動揺を映さない。
ただ、彼――アルベルト様と、見た目打ちひしがれてるリリアーナさん、そして…こんな場でも取り繕うことさえできないでただ、公爵令嬢らしく、“冷たい”と囚われがちな視線を2人に向けることしか出来ない自分。
私の役割はわかっている。
か弱い平民出身の少女を虐げる悪女…私、エミリア・ヴァレンタイン。
――そう、筋書きはすでに出来上がっている。
「エミリア。……もうやめろ」
低く抑えた声。けれど、そこに含まれる失望は隠しきれていない。
私は何もしていない。
本当に、何も。
リリアーナさんが階段から落ちたのも、ドレスが裂けたのも、教室で孤立しているのも。
私はただ、距離を取っていただけだ。
公爵令嬢として、不用意な接触を避けていただけ。
彼女の周囲に噂が立ち始めた時も、私は一切関わらなかった。
けれど――
「エミリア様に、睨まれて……怖くて……」
震える声がとどめを刺す。
その瞬間、空気が決まった。
ああ、そう。
“睨んだ”のね。
感情を出さないだけで、睨んだことになるのだ。
無表情は、罪。
沈黙は、肯定。
気高さは、傲慢。
アルベルト様の背中越しに、リリアーナさんが一瞬だけこちらを見る。
その瞳に宿るものを、私は見逃さなかった。
怯え?
違う。
確信だ。
彼女は知っている。
この場を支配しているのは、涙だと。
「エミリア。君には失望した」
その言葉が、静かに落ちる。
胸は痛まない。
――痛んではいけない。
公爵令嬢エミリア・ヴァレンタインは、取り乱さない。
否定しない。
言い訳をしない。
それが、私に叩き込まれた“誇り”だから。
でも。
(……どうして)
心の奥で、ひびが入る。
私は何もしていないのに。
ただ、彼女に近づかなかっただけ。
ただ、媚びなかっただけ。
ただ、アルベルト様に縋らなかっただけ。
それだけで、私は悪役になるの?
視線が痛い。
ざわめきが広がる。
「やっぱり」「前から思ってた」「怖いもの」
――決めつけは、こんなにも簡単だ。
そのとき。
ふと、思い出す。
数日前、廊下ですれ違ったときのこと。
リリアーナさんは、誰もいないと思っていたのだろう。
鏡に向かって、涙の角度を何度も確かめていた。
あの時の表情は、今のそれとはまるで違った。
私は、知っている。
彼女は弱くない。
彼女は、選んでいる。
――“守られる側”という立場を。
鏡の前で、涙の粒をどの位置に置けば最も儚く見えるのか。頬を伝わせる速さはどれが最も胸を締めつけるのか。
声を震わせるとき、どこで息を詰まらせれば効果的なのか。
――あれは偶然ではない。
努力だ。計算だ。演出だ。
そして今、この場でそれは完璧に機能している。
私はゆっくりと息を吸う。
リリアーナさんは、自分の“弱さ”を武器にしている。
平民出身という立場。
貴族社会での孤独。
身分差への不安。
それらを丁寧に積み上げ、“健気な少女”という物語を完成させた。
そしてその物語の中で、私――エミリア・ヴァレンタインは必要不可欠な存在。
――対比だ。
光を強く見せるには、影が要る。
アルベルト様は正義感が強い。弱き者を守ることを美徳とするお方。
だから彼女は、彼の前でだけ崩れる。
階段から落ちた日もそうだった。
彼が駆けつけた瞬間に、彼女は意識を失った。
ドレスが裂けた日も。
彼が目にしたときだけ、布を握りしめて震えていた。
偶然?
いいえ。
選択だ。
私は彼女を観察していた。
彼女は決して、私と二人きりのときには怯えない。
むしろ、真っ直ぐに私を見返してくる。
その瞳は、今のように濡れてはいない。
私は理解する。
彼女は私を恐れていない。彼女は、私を“利用している”。
――では、私はどうする?
感情で否定すれば、冷酷。
声を荒げれば、横暴。
沈黙すれば、肯定。
ならば、選ぶべきは一つ。
私は視線をアルベルト様に向ける。
「失望、ですか」
静かな声。
「私は彼女に触れておりません。言葉も交わしていません。ですが、もし“視線”が罪であるなら……私は有罪なのでしょう」
ざわめきが止まる。
私は続ける。
「けれど、恐怖という感情は主観です。証明はできません」
リリアーナさんの肩がわずかに揺れる。
彼女は“証拠”を持っていない。
彼女が持っているのは、物語だけ。私は感情をぶつけない。ただ、事実を置く。
それが私の正当な戦い方。
アルベルト様の表情が、わずかに曇る。
彼は迷っている。正義とは何か。弱者を守るとは何か。
私は知っている。彼は優しい。だからこそ、涙に弱い。
だが優しさは、時に思考を鈍らせる。
私は彼を責めない。
彼もまた、物語に巻き込まれているだけ。
「リリアーナ様」
初めて、私は彼女の名を呼ぶ。
「私の視線が怖いのであれば、謝罪いたします」
場がどよめく。
悪女が謝る?
「ですが、私は貴女を貶める意図は一切ございません」
視線を逸らさない。
彼女の瞳の奥を、静かに見つめる。
一瞬。ほんの一瞬。
彼女の中の“演者”が揺れた。彼女は計算している。
ここで私を責め続ければ、あまりに露骨。
だが引けば、疑念が残る。
その逡巡を、私は見逃さない。
私は怒っていない。悔しくはある。理不尽だとも思う。
だが、私は泣かない。
泣けば、彼女と同じ土俵に立つことになる。
私は公爵令嬢。誇りは、感情よりも重い。
――私は何もしていない。
だが、何もしなかったことが誤解を生んだのなら。
これからは、違う。
沈黙は美徳ではない。無関心は高潔ではない。
私は理解した。
彼女は“感情”で味方を集める。
ならば私は、“信頼”で味方を作る。
正しく在ること。
誠実であること。
理を曲げないこと。
時間はかかるだろう。けれど、私は知っている。
演技は、いつか綻ぶ。
そのとき私は、ただ静かに立っていればいい。
アルベルト様の視線が、初めて私を真っ直ぐに捉える。
そこには、断罪だけではない。疑問が生まれている。
それで十分。
物語は、まだ終わっていない。悪役にされたのなら。
私は、最も気高い悪役になりましょう。
涙ではなく、理性で戦う。
それが――私、エミリア・ヴァレンタインの選ぶ道。




