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第8話:綻びの晩餐

 曙養育院の園庭に、一台の白い幌トラックが排気音を響かせて入ってきた。歪んだ鉄門を通り、ぬかるんだ土の上で重たげにタイヤを止める。その音を聞きつけ、園長室から沼田重蔵が顔を出した。脂ぎった額をテカらせ、よれたマフラーを直しながら施設を出て、面倒そうにトラックへ歩み寄る。

「なんだ、また寄付か。いつも通り勝手口に置いておけと言ったろうに」

 彼にとって外部からの寄付は、中身を換金するか、あるいは運営費を浮かせて私腹を肥やすための「臨時収入」に過ぎない。沼田は鼻を鳴らし、運転席から降りてきた一人の女性に目を向けた。先日、ケンシンをこの施設へ連れてきた南郷家の使用人長、渡瀬トメである。トメは一切表情を変えず、厳しい眼差しで施設の荒れ果てた外壁や、ガムテープで補強された窓をじっと観察していた。沼田の態度が瞬時に一変した。数日前トメが持参したあの「紹介状」を思い出したからだ。

「……おお、これはこれは。失礼しました。今日はお越しになるとは伺っておりませんでしたな」

 沼田はあわてて首のマフラーを整え、尊大な態度を引っ込めて、腰を低くした。そこへ玄関からケンシンが出てくると、沼田の顔にはさらに卑屈な笑顔となった。

「これはこれは、ケンシン君。さあさあ、こんな寒い中、外に立っていてはいけない。中へ入りなさい」

「園長先生、おはようございます。これ、僕が個人的に寄付を募って届けてもらったものなんです」

 沼田は「ほうほう、そうだったのか!」と、揉み手をしながら声を弾ませた。彼にとってケンシンは、将来莫大な金を絞り出せる「金の成る木」だ。中学生がこれだけの物資を動かしたとしても、背後の有力者を考えれば不思議はない。むしろ、自分の取り分が増える予感に喉を鳴らした。

 作業員が荷台から次々と茶色の段ボール箱を下ろし始めた。剛太が建物の陰から驚いた顔で駆け寄ってくる。剛太と目が合ったケンシンが話しかけた。

「剛太、寄付だってよ。振り分け、よろしくな」

 剛太は、おうと軽く返事をしてガムテープを引き剥がす。施設に届いた寄付にもかかわらず、勝手に開けだす剛太に対して、沼田はいぶかしい目をしたが、ケンシンが振り分けを頼んだことで大人しくしている。ダンボールの中からは新品のウールセーターや、保温性が高そうな手袋などがぎっしりと現れた。新しい布の匂いだ。玄関の外には子供達がなにごとかと集まっている。剛太がみんなに声をかける。

「おい、お前ら! 並べ! 新品だぞ!」

 剛太の声に、園庭の隅にいた佐々木たち五人組も顔を上げた。剛太に「仕分けを手伝え」と促され、しぶしぶと佐々木たちが作業に加わる。品物の分別をしながら剛太がケンシンに声をかける。

「それにしてもどうしたんだ? こんなにいっぱい」

「ああ、知り合いに声を掛けたら送られてきた」

 二人の会話を聞きながら佐々木は、手渡された新品の厚手のコートを羽織ると、隣にいたケンシンを鋭い目で睨みつけた。

「おい……ケンシン。お前、本当は何者だ? 今までこんな寄付なんかなかったぞ。なんでこんな真似ができる。ガキが個人的に募ったなんて、信じられるかよ」

 ケンシンは手を止めず応えた。

「何でもいいだろ。それより佐々木、そのコートなかなか似合ってるじゃないか。少しはまともな奴に見えるぞ」

 佐々木は何か言い返そうとしたが言葉に詰まり難しい顔をした。が、少しだけ穏やかな気分になった。

 その後も寄付の品物は送られてくることになり、設備の細かなところの修繕も入るようになる。施設は見違えるように整ってきた。すき間風が吹いていた窓はすべて取り替えられ、穴が空いた壁も完全に修理された。建付けが悪かったドアや、所々へこみのあった床も今では何の不具合もない。中でも一番変わったのは厨房で、ケンシンの趣味に合わせて調理道具が高級なものへと一新された。もちろん水回りも変更された。短期間での施設の変貌に驚きを隠せない沼田だったが、自分の施設が整備されていくことにこの上ない喜びを感じている。

 修繕工事はさらにエスカレートする。数日かけて割れた窓ガラスが最新のペアガラスに変わり、赤ん坊のいる乳児院に最高級の空気清浄機が運び込まれる。ところが、園長室に隣接する厨房をリフォームしていた際、ケンシンはある違和感を覚えた。新調された調理台の背後、園長室とを隔てている壁の厚みが、他の場所と明らかに異なっているのだ。「どうして、この壁だけ……?」不審に思い、指の背で軽く叩いてみる。一部の箇所だけ、音が鈍くこもっていた。内部にかなり広い空間――不自然な隙間が存在しているようだった。 今回のリフォームを担当しているのは南郷財閥系列の工務店である。作業を進めていた熟練の職人が、周囲に誰もいないことを確認してからケンシンに歩み寄り、作業着の襟を直すふりをして話しかける。

「壁の中、ちょっとおかしいですね。構造的に普通じゃありません。隠し部屋とまではいきませんが、何かを収めるための空間が意図的に作られています」

 職人の報告を聞いた瞬間、ケンシンの中でうごめいたものが確信に変わった。これは単なる施工上のムラではない。他人の目に触れさせてはならない「何か」を隠蔽するための仕掛けだ。

(……どうも怪しい。一度、徹底的に調べてみる必要がありそうだ)

 2週間ほど経過し、見違えるほどきれいになった施設に、沼田は最初こそ「素晴らしい!」と喝采を送るが、ふと気づく。

(……これほどの額、いくら投資家の息子とはいえ、子供の一存で動かせるものか?)

 沼田は考えた。ケンシンには、よほど知られたくない弱みがあるのか? それを俺が知ることができればもっと金を引き出せるのではないか? 沼田は下卑た笑いを浮かべた。

 数日後、廊下を歩いていたケンシンに沼田が話しかけた。

「おやおや、ケンシン君。キミの募った寄付のおかげでこの曙養育院も見違えるようになったよ。従業員一同とても感謝しているよ」

「とんでもありません。僕は何もしていません。親切な人はどこにでもいるようですね。ついでに園長室もリフォームしませんか。防音性の壁に変える手配もできます。外に音が漏れないようになれば、園長先生も『安心』でしょう? もちろん、これも寄付の枠内です」

 その瞬間、沼田の顔から血の気が引いた。

「……園長室を、かね?」

 沼田の脳裏に、園長室の机の後ろの壁、その中にある隠し金庫が浮かんだ。工事が入れば、隠し場所が見つかる。そのリスクは許容できなかった。

「いや……。園長室はいい。今のままで十分だ。伝統ある部屋だからな」

 沼田の声は不自然に上ずっていた。それまでの「大喜び」から一転、拒絶の意志をむき出しにした。ケンシンは、わずかに目を細めた。

「そうですか。それは残念です」

 その日の夕方。乳児院には新しい暖房機が届き、初めて「生命を守る温かさ」を得ていた。その場にいたアカリは赤ん坊の寝顔を見つめ、そっと涙を拭った。その夜。園が静まり返った深夜、沼田は園長室に籠もっていた。一人、ウィスキーを煽る。

(南郷ケンシン。出来すぎた中学生の行動。あの手際の良さ。……何か、裏があるのではないか?)

 沼田の頭の中で何かが蠕いている。不安に駆られた沼田は狂ったように壁の中にある隠し金庫の扉をまさぐった。金庫から二重帳簿を引っ張り出し、数字の整合性を合わせる隠蔽工作を始めた。

「あのクソガキ……何か感づいているのか? いや、そんなはずはない。だが、万が一監査でも入ったら……」

 沼田の持つペンが、カタカタと震える。不正を隠蔽するために二重帳簿の数字を書き直そうとしていた際、焦りのあまりインク瓶を倒してしまい、帳簿の端を汚した。

「ああ、クソッ!」

 彼は獣のような声を漏らし、必死に布でインクを拭い取った。その姿は、暗い部屋の隅で己の罪に怯える、醜悪な鼠そのものだった。



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