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第6話:南郷ケンシン 、仮面の同級生

 冬の午後の光が、ケンシンたちの通う中学校の古い校舎を照らしていた。ワックスが剥げかかった長い廊下には、体育館から漏れるバッシュの摩擦音と、どこか遠くで鳴るブラスバンドの不協和音が入り混じっている。中学2年の教室。放課後の喧騒の中で南郷ケンシンは窓枠に腰をかけ外を眺めていた。ケンシンが着ている詰め襟の制服は、他の生徒のそれと同じだ。袖口は少しテカり、膝には教室の床でついた微かな白い擦れ跡がある。南郷財閥。その名前は、この国の経済を動かす巨大な歯車そのものだ。だが、この学校でそれを知る者はいない。ケンシンの母、英子の教育方針は一貫していた。

「人の上に立つ者こそ人の生活を知らねばならない。財閥の環境を当たり前と思っていては本当に大切なことを学ぶことはできない。一生懸命、一人の人間として呼吸してきなさい」

 その言葉通り、彼は身分を徹底的に隠し、私立の有名中学ではなく、公立の中学校に一人の「普通の生徒」として在籍することとなった。父・隆之も英子と考えは同じであった。教育方針について話し合っている両親の気持ちとは裏腹に、ケンシン自体はどこの学校だろうと、そんなものには全く興味を示さなかった。

 視線を校庭から教室内に戻すと、そこにはいつもの二人がいた。石崎コウキと雷神剛太。コウキは、表紙の端がめくれた教科書を開きながら、その柔らかな視線は窓の外の雲を追っている。一方の剛太は、窮屈そうな机に巨体を押し込み、拳を握ったり開いたりしていた。

「なあ、剛太」

 ケンシンが低く通る声で言った。剛太が顔を上げる。

「最近、あいつら、ずいぶんおとなしくないか。佐々木のグループだよ。放課後はいつもサルみたいに騒いで、体育館の裏で煙草でも吹かしてるだろ」

 佐々木雄一郎。隣のクラスの不良グループのリーダーだ。4人の子分を引き連れ、他所の中学の生徒との喧嘩が絶えない。この界隈では”関わってはいけない連中”として恐れられていた。

「それにさ、今日すれ違ったとき、佐々木のやつ顔にひどい傷があったぞ。鼻の横と頬だ。あいつ、お前と同じ施設に住んでるんだよな。何かあったのか?」

 剛太は鼻を鳴らし、肩をすくめた。佐々木と子分の5人は剛太と同じ曙養育院で生活している。

「さあ、どうだかな。どこぞの誰かが正義の鉄拳でもぶち込んだんじゃねえの? 俺は知らないけどよ」

 そう言いながら、剛太の口角がわずかに上がった。ケンシンは、ふっと息を漏らし、思い出したように言った。

「そういえばさ、剛太。お前のところまだ行ったことないよな。曙養育院だっけ? 一回、遊びに行っていいか?」

 剛太の眉がぴくりと動いた。

「……遊びに? 冗談だろ。あんなボロい場所、来ても面白くねえぞ」

「いいじゃないか。ちょっと興味がある。学校みたいなところなんだろ」

 ケンシンが窓枠から飛び降りた。上履きが床を叩く乾いた音が響く。

「お前の家だろ。一度見ておきたいんだ」

 剛太は困ったように頭をかいた。

「……ああ、いいよ。つまんねえところだ。期待すんなよ」

 翌日の土曜日。ケンシンと剛太とコウキの三人は並んで住宅街の端にある急な坂を上っていた。施設の場所が分かりづらかったので、剛太とコウキが途中まで迎えに来てくれたのだ。ケンシンは自転車から降りて、手で押している。ケンシンの家から施設までは少し距離があったのだが、自転車で20分というところだった。

「ここだ」

 坂を上り切った場所で剛太が足を止めた。高いコンクリート塀に囲まれている敷地の入り口には「曙養育院」と掠れた文字で書かれた看板があった。門をくぐると、そこには砂埃が舞うだけの狭い園庭があった。遊具らしいものは、鎖が錆びて千切れかけたブランコが一つあるだけだ。建物は二階建てで、壁のあちこちにひび割れが走り、雨樋からは変色した水が滴っている。古い木材が腐ったような匂いと、微かに漂う漂白剤の混ざったような臭いだ。

「へぇー、ここに住んでるのか」

 ケンシンの言葉は、驚きよりも困惑に近かった。もっとしっかりとした設備があるところで生活していると思っていたが、根本的に「色」が違った。

「言っただろ。つまんねえ場所だって」

 剛太が自嘲気味に吐き捨てた、その時だった。

「コウキ兄ちゃん! 剛太兄ちゃん!」

 マサキの声が園庭に響いた。見ると、施設の勝手口から一人の少女と、その背中から飛び出すようにして小さな男の子が走ってきた。少女は真っ直ぐに剛太の方を見ている。つぶらな瞳があどけない。

「おう、マサキとアカリちゃん」

 剛太の声が、学校で見せるそれよりも数段柔らかくなった。

「マサキ、良かったな。アカリお姉ちゃんと遊んでもらって」

 コウキの言葉に、「エヘへ」とマサキは応える。ケンシンはその少女、アカリを見た。彼女の服は施設で配給されたスエットの作業着で、サイズが少し合ってないように見えが、汚れ一つなく、首元までぴっちりと整えられている。古びたゴムで結ばれた黒髪は丁寧に梳かされ、背筋をピンと伸ばして立つその姿は、周囲の陰気な風景から浮き上がるほど凛としていた。アカリは、剛太とコウキの隣に立つ見慣れない少年に気づくと、足を止めて深々とお辞儀をした。

「こんにちは。剛太さんたちのお友達ですか?」

「こいつはケンシン。俺とケンシンとコウキは同じクラスなんだ」

 剛太の紹介に、アカリは再び礼をした。

「榊原アカリです。こちらはマサキ君。コウキさんの弟です」

「ああ、」

 ぶっきらぼうに短く応えるケンシン。丁寧すぎる挨拶だな、と思いながらもケンシンはどことなく落ち着かない気持ちになった。マサキはちょっと照れてアカリの手を握りしめている。ふと、ケンシンはアカリの背後にある校舎を見上げた。二階の窓硝子は数枚ひびが入っていた。一応、簡単に段ボールで塞がれている。気がつくと、どこかから赤ん坊の泣き声が漏れてきた。どこから聞こえてくるのだろうかと建物をみていたら、一階にある窓からこちらを覗いているの人に気がついた。ずんぐりした男だ。沼田園長である。沼田の視線は、ケンシンが手を掛けている自転車のフレームから、泥一つついていないスニーカーへと、舐めるように移動した。そして最後は、ズボンの綺麗な折り目へと止まった。 まるで獲物の価値を測っているかのようなの目だった。

(……気持ち悪い場所だな)

 ケンシンは小さく舌打ちし、剛太に向かう。

「……剛太。中にはいっていいか?」

「……ああ。ついてこいよ」

 ケンシンは剛太に促され、暗い廊下に足を踏み入れた。



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