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第10話:焦燥の果て

 夜明け前の曙養育院は鼻をつく焦げ臭い煙と放水で生じた白い湯気に包まれていた。焼け落ちた校舎の瓦礫の前で、沼田はわざとらしくハンカチを顔に当て、大袈裟に肩を震わせている。

「ああ、なんてことだ……。子供たちの家が、思い出が……」

 芝居がかった様子の沼田の背後からケンシンが声を掛けた。

「園長先生、これ、探していたんですか?」

 ケンシンの冷徹な声に沼田の体がびくりと跳ねた。振り向いた沼田の目に、炭化を免れた帳簿の断片が飛び込む。それは重厚なステンレスの調理台が壁を押し潰すように重なり、奇跡的に酸素が遮断された場所から見つかったものだ。

「な、なんだそれは。ただのゴミだろう」

「ゴミじゃありません。あなたの園長室の壁裏、隠し金庫の中にあった二重帳簿です。収支金額が書かれている箇所にインクのこぼれた跡がありますね。都合の悪い部分を隠しているようだ」

 沼田の顔から血の気が失せ、代わりにどす黒い怒りが込み上げた。

「だ、黙れ! に、二重帳簿だと? そんな物は知らん! どいつもこいつも、俺が食わせてやってる恩を忘れたか! 俺がいるからお前らは生きていけるんだ。ハハハハハ」

 沼田は狂ったように笑い出し、自らが作り上げた醜悪な「矜持」を叩きつけるように叫び始めた。急に真顔になった沼田が今度は怒鳴りだす。

「このガキーっ! どうもおかしいと思っていたが、やっぱりお前は何か企んでいたな。何者だ? お前はっ!?」

 そのとき数名の警察官が走ってきた。警察官の2名が素早く沼田の両側に回り腕と肩をがっしりと掴む。と、そのままパトカーの方へ向かっていった。連行されながら、沼田が何やら大声で喚く。

「子どもの笑顔にゃ毒がある! 生んだ親が毒だからだ! 正義を語って背を向ける奴らに、俺を責める資格などあるものか!」

 沼田は必死に抵抗し、警官の手を振り払おうとして無様に泥の中に転んだ。剥げた頭にぬかるみに混ざった灰がべたりと付く。その姿は、かつての権威など微塵も感じさせない、醜悪な鼠そのものだった。やがて沼田はパトカーの冷たい後部座席へと押し込まれていった。パトカーに乗せられ両側を警官に挟まれて座っている沼田が「ヒヒ」と小さく笑い声を漏らし、鼻歌交じりに不気味な歌を口ずさみ始めた。


『沼田重蔵ここにあり』

 作詞・作曲:沼田重蔵


 壱番

 るーるる、るーるる、るーるるる

 お金の亡者だと人は言う 寄付金せしめて何が悪い

 てめーらが捨てた子どもを預かり 生かしてやってるこの俺だ

 それが沼田重蔵の心意気 [ビッグマインドー!]

 らーらら、ほーほー、るーるるる

 殺して捨てて知らん顔 そ知らぬ顔の権兵衛さん

 恨まれる理由は何もない 孤児院経営にゃ金が要る

 ――それだけの話だ

 沼田重蔵ここにあり


 弐番

 るーるる、るーるる、るーるるる

 子どもの笑顔にゃあ毒がある 生んだ親が毒だから

 薄汚れた餓鬼を金に換え 酒と女に溺れる夜

 汚れたこの世の錬金術 [アルケミー!]

 らーらら、ほーほー、るーるるる

 綺麗ごとでは腹は減る 地獄の沙汰も金次第

 泥の聖域守るのは 天使のツラした俺様さ

 ――それだけの話だ

 沼田重蔵ここにあり


 遠ざかるパトカーのサイレン。その音に混じり、自分自身を全肯定する狂気の歌がいつまでも響いた。

 火事によって住居を失った子供たちは、ひとまず施設のすぐ近くにある小学校の体育館に集められた。曙養育院の職員たちはほとんどが沼田の息がかかった者ばかりで、みな、警察に連行されていった。事情徴収の上、その後の判決がどうなるのかは誰にもわからない。罪の軽重の差は有れど、しばらくは警察のご厄介になるだろう。問題は、寝る場所を無くしてしまった子供たちである。これからどうなるのだろうかと不安に駆られる子供たちであった。小学校の体育館で毛布にくるまり、寒さに震えている。避難したばかりの子供たちは、真っ赤な炎に飲み込まれていった「家」を思い出して泣きじゃくっていた。

「ぼくのおもちゃ……」

「わたしの人形……なくなっちゃたよ」

 小さなマサキや、低学年の子供たちが、声を殺して泣き続けている。そこへ、ある一団の影が歩み寄った。佐々木を中心とする、不良グループの面々だ。佐々木はおもむろに手に抱えた物を差し出した。

「ほら、お前ら。大事にしてたのは、これだろ」

 佐々木がぶっきらぼうに突き出したのは、煤を被りながらも原型を留めた、ぬいぐるみや玩具だった。

「あ、ぼくのロボット!」

「わたしのうさぎさん、無事だった!」

 一つ、また一つと手渡されるたび、絶望に沈んでいた子供たちの間に、小さな驚きと歓喜が広がっていく。剛太が信じられないものを見るような目で佐々木を見た。

「佐々木……、お前ら。あの火の中で、よく持ち出せたな。自分の荷物だってあったはずだろ」

 佐々木は鼻を鳴らし、わざとらしくそっぽを向いた。

「ああ? 勘違いすんな。そこらへんのもんを気づかれずに掠めて運ぶなんて、俺たちにとっちゃ朝飯前なんだよ。盗みの練習台にはちょうど良かったぜ」

 剛太はその言葉に一瞬眉をひそめたが、すぐに察してニヤリと笑った。

「……そんなこと、自慢するんじゃねえよ」

「ふん」

 剛太の言葉を軽くいなす佐々木であったが、少し照れたように煤で汚れた額をかいて佐々木はつぶやく。

「たまには、役に立つこともあるんだな。このスキルもよ」

 その様子を見て、剛太は何も言わず、ただ苦笑して佐々木の肩を叩いた。佐々木が持ってきた物の中には、小さな木箱があった。アカリが肌身離さず持っていたオルゴールだ。それを見つけた瞬間、アカリは息をのんだ。

「……持ってきてくれたのね」

 震える声で言うアカリ。佐々木はバツが悪そうに視線を逸らした。

「人が一番大事にしている物がどこにあるかくらい……すぐ分かるからな。ふん、こんなの。ついでに持ってきただけだ」

 二度繰り返されたその強がりに、アカリはとうとう堪えきれず、顔を覆って再び涙を流した。剛太は佐々木の前に立つと、真っ直ぐに彼を見据えて言った。

「佐々木、……俺のことを殴れ」

 佐々木が怪訝そうな顔をすると、剛太は続けた。

「この前、俺はお前を殴った。今度はお前が俺を殴れ。貸し借りなしだ」

 佐々木は鼻を鳴らして一度そっぽを向いたが、すぐに剛太を見据えて言った。

「あのなー、お前のそーゆーところがムカつくんだよ!」

 佐々木は言葉を吐き捨て、続けざまに言う。

「そんなことしたら、お前の方がかっこよくなっちまうじゃねえか。今回は少しぐらい俺にかっこつけさせろ!」

 そう言いながら、佐々木は煤で汚れた額をポリポリとかいた。剛太は太い腕を組んで「うーん」と言いながら悩み始めた。

「……そういうことになるのか? 俺には理屈がよくわかんねえよ」

 剛太は眉間に深いシワを寄せて考え込む。

「待てよ、俺が殴られたら俺の負け、なのに、お前の勝ちで……、でもかっこいいのは俺ってことになるのか? ……うーん……」

「お前、本当、脳みそ筋肉だな」

「え? だから、わかんねーよ!」

 真剣に考え込み、困った顔をする剛太の様子を見ていたマサキが突然笑い出した。

「あっははは! 剛太兄ちゃん、また悩んでる!」

 マサキの明るい笑い声に誘われるように、周囲にいたアカリ、そして佐々木の仲間たちまでもが次々と笑い出した。避難所の冷え切った空気は、温かな安らぎへと変わっていった。子供たちは煤のついたおもちゃを抱きしめながら、やっと笑顔を見せていた。

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