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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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98/107

98.「彼は、守るべき人を守って倒れました」――片桐常務が語った真実。作家・水原伊織の声明と、世界を揺らした『風の墓標』の復活。

今日は、グローバルリンクジャパン株式会社が記者会見を開く日だった。

その様子は全国ネットで生中継されている。


病室のテレビの前で、伊織と絵里奈は並んでその映像を見つめていた。

ベッドの上にいる伊織が見えるように、絵里奈がベッドの高さを調整していた。


「始まるね」


絵里奈がそう言うと、伊織が頷いた。


----


木崎が壇上に姿を現した。

黒いスーツに身を包み、いつもよりわずかに硬い表情をしている。

その隣には、包帯を巻き、松葉杖をついた片桐がゆっくりと歩み出てきた。

会場がざわめく。フラッシュが一斉に焚かれ、記者たちの視線が二人に集中する。


「片桐さん、出てきた」


絵里奈が息を呑むように呟く。

伊織は目を細め、画面の中の片桐の姿を追った。

あの夜の傷が、まだ生々しく残っている。


木崎はマイクの前に立ち、深く一礼した。


「本日は、お忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます」


低く落ち着いた声が、会場のざわめきを静めていく。

病室の空気も、自然と張りつめた。

絵里奈は無意識に伊織の手を握りしめる。

伊織はその手を軽く握り返し、画面から目を離さなかった。



木崎は続けた。

「このたび、私はグローバルリンクジャパン株式会社の新社長に就任いたしました」

「まず初めに、今回の一連の事件で負傷した水原伊織さん、片桐の回復を皆さまと共に願いたいと思います」


片桐がわずかに頭を下げる。


その姿に、伊織の胸の奥がじんと熱くなる。


「ちゃんと立ってるな」


伊織が小さく呟くと、絵里奈は横顔を見つめ、そっと微笑んだ。


「まず、今回の一連の件につきまして、改めて皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを、心よりお詫び申し上げます」

木崎が深々と頭を下げる。

その隣で、片桐も松葉杖を支えにしながら、ゆっくりと頭を下げた。


「本来であれば、社長である私からすべてお話しすべきところですが……」


木崎は一度言葉を切り、片桐の方へ視線を向ける。


「この片桐が、どうしても自分の口でお伝えしたいことがあると言いました。ですので、ここからは彼に話をしてもらいます」

片桐が一歩、前に出た。

松葉杖の先が床を軽く叩き、その乾いた音がマイクに拾われる。

会場のざわめきが、すっと引いた。

記者たちの視線が一斉に片桐へ向かい、空気がわずかに重くなる。

片桐はマイクの前に立つと、わずかに姿勢を正した。

その動きに余計な力みはなく、ただ職務としての報告を行う者の静けさがあった。


「……片桐です」


低く掠れた声が、静まり返った会場に落ちた。

記者たちが一斉にペンを構え、空気がわずかに張りつめる。


「まず、私が負傷した件についてですが」


片桐は一度だけ息を整え、淡々と続けた。


「加害者は、弊社の元社員である新田浩介で間違いありません」


会場がざわりと揺れた。

フラッシュが数回、鋭く光る。


「新田は、社内で度重なる問題行動を起こし、すでに懲戒解雇となっておりました」


その言葉は淡々としているのに、どこか冷たい重みを帯びていた。


「私個人に対する因縁は無いと思っておりましたが、私は新田の素行不良調査時に彼を殴ったことがあります」


さらに会場がざわめく。


「その意趣返しと私は判断しております」


今となっては、新田はこの世にいないため、真実は分からない。

だが、片桐の言葉は嘘偽りがないのは、伝わるだろう。


「そして、新田は、おそらく私が、弊社社員である…水原さんを駅まで送っている姿を見ていたのでしょう」

駅まで送っていたのは、田崎の件があったからだ。


「そして、彼女を追いかけ、今回の犯行に及んだと聞いております」


会場は、静まり返っていた。

真実を語る片桐の言葉を待っている。


「私と同じように、負傷された作家である水原伊織さんは、意識不明の重体にまで追い込まれました」


間を置く。まるで、伊織を見るかのように、正面を向いた。

そして、その声は、ほんのわずかに震えた。


「彼は、守るべき人を守ろうとして、倒れました」


会場が息を呑む。

記者たちの手が止まり、空気が重く沈む。


「私が、もっと早く気づいていれば……」


片桐はそこで言葉を飲み込み、わずかに唇を噛んだ。

淡々とした語りの中で、初めて感情が滲む。


「彼が、あのような状態になることは、なかったのかもしれません」


病室のテレビの前で、伊織と絵里奈は黙って画面を見つめていた。

絵里奈は思わず口元を押さえ、伊織はまばたきも忘れたように片桐を見ていた。

片桐は深く息を吸い、再び淡々とした声に戻す。


「以上が、私からお伝えできる事実です」


だが、その一瞬の揺らぎは、会場の誰にも、そして病室の二人にも、確かに届いていた。


----


直後に、伊織もウェブサイトでコメントを残した。


水原です。大変お騒がせしておりますが、意識は回復しております。

まだ長く話せる状態ではありませんが、命に別状はありません。

まずは、関係者の皆さまにご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます。

今回の件について、さまざまな憶測が飛び交っているようですが、私自身が語れることは多くありません。

ただ、私を助けてくれた方々がいたからこそ、今こうして言葉を残せています。

そのことだけは、どうか知っていただければと思います。

治療に専念し、回復次第、改めてご挨拶させていただきます。

どうか過度な詮索や、関係者への誤解が広がらないよう願っております。

引き続き、よろしくお願いいたします。


----


伊織のコメントが公開されてから、わずか数時間。

出版社の公式サイト、SNS、ファンコミュニティ――あらゆる場所に、激励の言葉が溢れた。


「戻ってきてくれてありがとう」

「あなたの物語に救われた人間がここにいます」

「待ってる。どれだけ時間がかかっても」

「命を賭けて、愛する人を守る姿に感動しました」

「こんな旦那さんがいる奥さんがうらやましい」


絵里奈は、スマホの画面を見ながら、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。

けれど、彼の言葉は、確かに世界に届いていた。

出版社の編集長からも連絡が入った。


「水原先生の連載中の作品ですが、読者から“続きが読みたい”という声が殺到しています」

「先生のご負担にならない形で、まずは既存の連載分を上巻としてまとめたいと考えています」


絵里奈は、眠る伊織の横顔を見つめながら、小さく頷いた。

「きっと、喜ぶと思います」


----


数週間後。

書店の平台には、黒地に銀の文字でタイトルが刻まれた分厚い単行本が並んだ。

『風の墓標(上) 水原伊織』

帯には、編集部の短いメッセージが添えられている。


――この物語は、まだ終わらない。


発売初日からSNSでは感想が飛び交い、書店では品切れが続出した。

「作者の復活を願って買った」という声も多く、作品そのものの力と、伊織の生還を願う読者の想いが重なり、上巻は瞬く間にベストセラーランキングの上位へと駆け上がった。


----


病室のテレビでも、そのニュースが流れた。


「すごいな」


伊織は、まだ少し弱い声で呟いた。

絵里奈は微笑む。


「あなたの物語が、ちゃんと世界に届いてるんだよ」


伊織はゆっくりと目を閉じ、深く息を吸った。

その表情には、痛みと同じくらい、確かな希望が宿っていた。


「続きを書かないとな」

「うん。ゆっくりでいいから」

絵里奈はそっと彼の手を握る。

その手は、前より少しだけ力強く握り返してきた。


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