92.「終わったな……」――意識不明の重体と、炎上する組織。新田の死が暴いた、グローバルリンクジャパン“崩壊”の序曲。
翌朝。
始業時間前だというのに、総務フロアは異様な熱気に包まれていた。
テレビの速報テロップが、何度も繰り返し流れている。
**「作家・水原伊織さん、負傷」**
**「犯人は、逃走中に死亡」**
**「会社関係者のトラブルか」**
その文字が映るたび、社員たちの顔が青ざめていく。
広報部の若手が、資料を抱えたまま走り回っていた。
「どうするんですか、これ……!会社関係者って、完全にうちのことじゃないですか!」
「落ち着け! まずは社長室に確認を――」
「社長室は警察と話してて繋がりません!」
声が飛び交い、フロア全体がざわついていた。
広報部長は、机に突っ伏すようにして資料をめくっていた。
「まずい、これはまずい…元社員が関係なんて書かれたら、株主から問い合わせが殺到するぞ……」
「どうします? コメント出しますか?」
「出せるか! 警察が動いてるんだぞ!下手なこと言ったら、会社が事件に関与したみたいに見える!」
若手が半泣きで言う。
「でも、沈黙したらしたで、もっと疑われますよ……」
「だから困ってるんだ!!」
広報部長の怒鳴り声がフロアに響いた。
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総務部では、電話が鳴り止まなかった。
「社員の安全はどうなってるんですか」
「通勤ルートを変えたほうがいいですか」
「会社の前に報道が来てます!」
若手社員が駆け込んでくる。
「正面玄関にカメラが来てます!
水原GMは出社しているかって……!」
総務部長が頭を抱えた。
「……今日は全員、裏口から入れ。正面は閉鎖する。警備員を増やせ!」
「そんな予算ありません!」
「今は予算の話じゃない!!」
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優子のデスクにも、問い合わせが殺到していた。
「水原GMは無事なんですか」
「犯人は元社員って本当ですか」
「会社はどう対応するんですか」
優子は、ひとつひとつ丁寧に答えながらも、胸の奥に冷たいものが広がっていた。
――絵里奈の名前が、もう“事件の文脈”で語られている。
その現実が、痛いほど重かった。
そこへ、木崎専務が怒鳴り込んできた。
「優子!社長室に来い!報道対応の方針を決めるぞ!」
「はい」
優子は資料を抱え、走り出した。
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社長室では、社長、専務、広報部長、総務部長が集まり、全員が顔を真っ青にしていた。
「元社員が関与、と報じられた以上、会社としての説明責任が問われる」
「しかし、警察が動いている以上、勝手にコメントは出せない」
「沈黙すれば隠蔽と叩かれるぞ」
「水原GMの名前が出るのは時間の問題だ」
誰も結論を出せない。
木崎専務が机を叩いた。
「お前ら、落ち着けや!! まずは社員の安全確保が最優先やろが!」
広報部長が反論する。
「しかし、世間は会社の管理責任を」
「世間より社員や!! 水原GMは今、病院で旦那の容体を待っとるんやぞ!」
社長が深く息を吐いた。
「……まずは、事実関係だけをまとめた“最小限のコメント”を出す」
「警察の捜査に全面協力している。社員の安全を最優先に対応している。それだけだ」
広報部長が頷く。
「……分かりました」
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その頃、社内チャットには噂が飛び交っていた。
「水原GMの元夫って……」
「片桐常務の件も関係あるの?」
「会社、大丈夫なの……?」
誰も真実を知らないまま、
不安だけが膨らんでいく。
優子は、胸の奥に重いものを抱えながら思った。
そして、弱い者から切り捨てていく。
その現実が、またしても露わになっていた。
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翌朝。
会社の正面玄関は、すでに報道陣で埋め尽くされていた。
カメラのフラッシュ。
マイクを握るレポーター。
怒号にも似た質問の嵐。
「元社員が関与した事件について、会社としての責任は?」
「安全管理はどうなっていたんですか?」
「水原GMは今どこに?」
「今回で三度目の事件ですが、再発防止策は?」
社員たちは裏口から入るよう指示されていたが、
それでも記者たちは執拗に追いかけてくる。
広報部の若手が青ざめた顔で叫んだ。
「無理です! 正面は完全に封鎖しないと……!」
総務部長が怒鳴り返す。
「封鎖したら“隠蔽”って叩かれるだろうが!!」
広報部長は頭を抱えた。
「もう叩かれてますよ……SNSで“企業体質が腐ってる”って……」
社員たちの間に、恐怖と諦めが広がっていく。
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SNSでは、すでに会社名がトレンド入りしていた。
**「またかよ」**
**「三度目はさすがに異常」**
**「社員の安全を守れない会社」**
**「管理責任を問うべき」**
**「水原さんたちが気の毒すぎる」**
憶測と怒りが混ざり合い、
会社の評判は一気に地に落ちていく。
広報部のチャットは、ほぼ炎上状態だった。
**「どうするんですかこれ!」**
**「声明文、まだですか!」**
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昼前、テレビが速報を流した。
**「作家・水原伊織さん、意識不明の重体」**
そのテロップが流れた瞬間、会社の空気が凍りついた。
社員たちがテレビに釘付けになる。
アナウンサーが続ける。
「水原さんは昨夜、市内の路地で負傷し、現在も意識が戻っていません。
事件には、水原さんの妻が勤務する企業の元社員が関与していた可能性があり――」
総務フロアがざわついた。
「……終わったな」
「もう会社として持たないだろ」
「これ、倒産レベルの危機じゃないか……」
誰も声を潜めようとしなかった。
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人事部の優子は、社員たちの不安を受け止めながら、胸の奥に強烈な焦りを感じていた。
伊織は新田の凶刃から絵里奈を守った。
そして倒れた。
絵里奈は、今、病院でひとりで戦っている。
会社は、また彼女を守れなかった。
広報は外向きの顔を守るのに必死。
総務は火消しに追われ、社長室は判断が遅れ、社員たちは不安と怒りに飲まれていく。
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社長室では、木崎専務が怒鳴り散らしていた。
「お前ら、ええ加減にせえや!! 三回目やぞ!?世間からどう見られとるか分かっとるんか!!」
広報部長が震える声で言う。
「…専務、もう限界です…企業としての責任を問う声が止まりません……」
「止まらんのは当たり前やろが!! 社員を守れん会社が、何を偉そうに言えるんや!!」
社長は顔を覆った。
「…逃げられないな…」
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その日、退職願が数通提出された。
内定辞退のメールも届いた。
取引先からの問い合わせも殺到した。
会社は、事件そのものよりも、世間の怒りに押しつぶされようとしていた。
そして、その中心には意識不明の伊織と、病院で震える絵里奈がいた。




