表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/107

90.「お前だけが幸せなんて許さない」――新田浩介、狂気の刃。伊織が命を懸けて守った背中と、夜の街に溶けていく意識。

電車が駅に滑り込むと、絵里奈は小さく息を吐き、立ち上がった。

ホームに降り立つと、夜気が肌に触れ、少しだけ現実に戻された気がした。


改札を抜ける前に、スマホを取り出す。

伊織の名前をタップすると、すぐに電話がつながった。


「もしもし、絵里奈? もう駅に着いた?」

「うん……ごめん、迎えに来てもらってもいい?」

「もちろん。すぐ迎えに行く」


伊織の声は落ち着いていたが、その奥に焦りが滲んでいた。

絵里奈は、少しだけ肩の力が抜けた。


電話を切り、改札を出る。

駅前のロータリーは、昼間よりも静かで、街灯の光が広い影を落としていた。


その影の中に、ひとつだけ“動かない影”があった。


新田だった。


スーツ姿のまま、駅前の柱にもたれ、こちらを見ている。

表情は読めない。

ただ、じっと、まるで、確認するように視線を向けていた。


絵里奈は気づかない。

気づかないまま、ロータリーの端に立ち、伊織が来るのを待っていた。


新田は、ゆっくりと歩き出す。

距離を詰めるでもなく、離れるでもなく、

ただ“そこにいる”という存在感だけを保ちながら。


----


白い天井がぼやけて見えた。

片桐は、ゆっくりとまぶたを開けた。

喉が焼けるように乾いている。

肩に鈍い痛みが走り、思わず息を呑んだ。


「……気がつかれましたか?」


看護師の声が遠くで響く。

片桐は、かすれた声で言った。


「…ここは…」

「病院です。救急搬送されて…意識が戻られたので、警察の方がすぐに来ますね」


警察。

その言葉で、片桐の記憶が一気に逆流した。


後部座席の影。

低い声。

折り畳みナイフの光。

そして。


「……新田……」


看護師が聞き返す。


「え?」

「……新田……新田だ……あいつ……」


その瞬間、病室のドアが開き、刑事が二人入ってきた。


「片桐常務、意識が戻られたと聞きました。犯人について、何か覚えていることはありますか?」


片桐は、震える指で空を指すようにして言った。


「……新田……新田って男だ…昔、会社にいた」


刑事たちの表情が変わった。


「名前は? フルネームは分かりますか?」

「……新田……新田……」


片桐は息を整え、絞り出すように言った。


「……新田……新田浩介……」


刑事がすぐにメモを取り、もう一人が無線に手を伸ばした。


「至急、照会を回せ!」


病室の空気が一気に慌ただしくなった。


----


遠くから歩いてくる伊織の姿が見えた。

心なしか周りを警戒しながら、早足で近づいてくる。

絵里奈は、ほっとして伊織に向かって歩き出す。


----


その背中を、新田はじっと見つめていた。


おまえだけしあわせになるなんて、許さない。

ごめんねまだあいしてる。


その目には、静かで、底の見えない闇が宿っていた。



そして、遠く離れた病院では、新田の名前が警察無線に流れ始めていた。


----


駅からの帰り道は地方とはいえ、比較的人通りも多い。

少なくなるのは、マンションの近くの路地だけだ。

伊織が絵里奈に寄り添うようにして、帰り道を歩く。

角を曲がった。



絵里奈は、肺腑をえぐられたような感覚に襲われた。


新田がいた。


間違いなかった。風貌は著しく変貌を遂げているが、あの目つき。

足が震える。

なぜあの男がここに。


「…え、り、な」

男がつぶやいた。


伊織は、瞬間的に、前に出た。

絵里奈を背後に隠す。


「…知りあい?」

「…あいつ、よ…」

「…あいつ…?」


えりなか震えているのが分かった。

伊織は、それでなんとなく察した。


男と向き合う。


自分の事が見えていないようだった。

異様な目つきをしていて、手にはナイフを持っている。

今世間を騒がせている、片桐を襲った、通り魔がこいつだろう。

伊織は、ハンドライトをポケットから取り出す。


「え、り、な、おまえだけがおまえだけがおまえだけが…」

完全に狂気に取りつかれているようだった。


伊織は、男の目にハンドライトを照射した。


「うおおお」


「絵里奈、逃げるぞ」


絵里奈は、足がすくんで動けないようだった。

「ご、ご、ごめん、い、伊織…」

「絵里奈っ」


伊織は絵里奈を横抱きにする。

今来た道をそのまま引き返していく。


うしろから、絵里奈あああ、と叫ぶ声が聞こえてきた。


「くそ、間に合わない」


震えている絵里奈を一度そっとおろすと、背後から迫る男に対峙した。


「えりなえりなりなえりなりな、ごめんねまだあいしてるごめんね」


もうやるしかなかった。もとより話など通じそうではない。


「絵里奈、警察を」

「あ…う…うん…警察…スマホ…」


震える手でスマホの操作を始めた。


男がナイフをふりかぶってくる。

ライトをかざすが、男は片方の手で防いだ。


気が触れている割には冷静だ。


背後の絵里奈が通話をし始めたのが分かった。


とりあえず時間を稼ぐしかない。


ぶんぶんと振り回し始めたそのナイフを躱す。

男は右手でナイフを振り回し、左手で目を防ぐように構えている。

徐々に押される。

だが、背後は、絵里奈だ。


ナイフを振りかぶった隙をつき、体当たりをした。


男は、意外にもがっしりしていて、少しよろめくだけで踏みとどまった。


通りのほうから声が聞こえる。


「おい、なんだあれ」

「誰か、おい、警察を」


伊織はもう一度男を突き飛ばすように腹に蹴りを見舞う。

男はよろめき後ずさりする。

ぶつぶつ言っているのが聞こえる。

背後の絵里奈がようやく立ち上がった。


「絵里奈、逃げろ」

「伊織も」

「すぐ行く」


絵里奈が、人だかりのほうへ走っていく。


男と対峙する。

もう完全に狂っている。


「えりな、おまえだけがしあわせ、えりな」

「いい加減にしろ」


狂っているのに、冷静にナイフだけは繰り出してくる。

まるで、魔物と戦っているようだ。

切っ先が腕をかすめた。

鈍い痛みが走る。


「くそ」


次の瞬間、強烈な蹴りを喰らった。

前のめりになる。


「ぐ…」

「えりなあああああ」


「伊織!」


絵里奈の声が聞こえてくる。


「来るな!」

「えりなあああ」


前のめりになっている伊織をやりすごし、一直線に絵里奈のほうへと向かっている。

「えりななあああああああ」

手には、ナイフを握りしめている。


させるか。

渾身の力を振り絞り、男の背後にタックルをした。


もんどりうって倒れ込んだ。


細い路地に、仰向けになっている男と自分。

起き上がり、男に馬乗りになる。

顔を見るが、見たことが無かった。


「誰だ、お前」

伊織はそう言ったが、男は、ぶつぶつ言っているだけだ。


話しにはならない。

男から離れる。


冷静に見渡すと、少し遠く、人だかりのほうに絵里奈がいた。

そこから、警察官の姿が見えた。


安堵した。

絵里奈に向かって、歩き出す。


「伊織!後ろ!」

絵里奈の声がした。



「ぐ…」

背中に、鈍い痛みが、くいこんでくるような痛みだった。


「えりなえりな…ごめんねまだあいしてる」

さらに鈍い痛みが走る。


「伊織いいいい!!」

絵里奈が叫んでいる。


男は離れそうにない。

「しつこいな」

右腕で背後にいる男に肘内を喰らわす。


男にクリーンヒットしたようだ。

振り返る。

男は、あとずさりをしている。


もう一度。


そう思ったが、声がする。

背後を見ると、警察官の姿。


遠くに絵里奈の姿。


視界が、徐々に滲み始めた。


----


優子は、片桐が搬送された病院で、警察官から状況を聞かされた。

片桐を襲った犯人は、新田浩介。

会社を懲戒解雇された、かつての絵里奈の元夫だ。

その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。


優子はすぐに絵里奈のスマホへ電話をかける。

しかし、つながらない。

嫌な予感を押し殺しながら、今度は支店に電話を入れた。


「あ、もしもし」

「人事の中村です。水原GMは?」

「つい先ほど、お帰りになられました」


受話器の向こうで、サイレンの音がかすかに響く。


「何かあったの? 音が近いけど」

「いや、たった今ですね、鳴ったの」


胸が締めつけられるような感覚が広がる。

悪い予感が、確信に変わりつつあった。

優子は電話を切ると、震える指で再び絵里奈のスマホを鳴らし続けた。



----


視界がぼやけている。

絵里奈が見える。

声が遠い。


…しっ…り…て…


サイレンの音が聞こえる。

心臓の鼓動が聞こえる。


あの男は、どうなった?

絵里奈、無事なのか?


声に出したつもりが出ていない。

遠いのだ。すべてが。

手を伸ばして絵里奈に触れようとした。

動かない。


…き…えま…か…

…救……に乗…ま……

…ゆっく………


宙を浮いているような感覚に覆われた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ