86.「あの時までは、絶頂だった」――橋の下で震える元夫・新田。妻を売り、すべてを失った男の“因果応報”の夜明け。
今日も、橋の下は寒かった。
この生活を始めてから、何回目の冬なのだろうか。
途中から、数えるのを忘れた。
毎年、知り合いになったホームレスが何人かは年を越せずにいる。
あの時までが、人生の絶頂だった。
営業で好成績を上げ、若くして年収も増えた。
そして、皆が羨やむ営業部の華、絵里奈と結婚した。
片桐も当時ご執着だったようだが、自分の方が魅力があったのだ。
絵里奈の事は、毎晩のように抱いていた。
自分の腕の中で、身悶える絵里奈を見ていると、翌朝の、会社の連中に対しての優越感を味わえるのだ。
ただ、結婚して、月日が経つと共に、お互いの欠点が気になってくる。
それに、絵里奈はなかなか懐妊しなかった。
不思議に思っていたが、新田自身はそこまで気にはならなかった。
ただ、親からの圧力めいたもので、とりあえず二人とも検査をした結果、絵里奈が非常に妊娠し辛い体質であることが判明した。
その時は倦怠期であり、互いの両親のための子作り、みたいな交わりになっていたのだ。
そこに来て、この検査結果だった。
自然と夜の営みが無くなった。
だがらと言って、新田の欲求が消えるわけでもなかった。
別の女との浮気にのめり込むには、時間がかからなかった。
絵里奈は、薄々感づいてはいたであろうが、何も言ってはこなかった。
向こうも向こうで、新田の事を利用すればいいのだ、くらいに思っていたのだ。
やがて、美人局に引っかかり、多額の請求が来た。相手は、反社会勢力の妻だった。
貯金をはたいても、返しきれずに、金になると言われて思わず絵里奈を差し出したのだ。
一ヶ月の辛抱だと言われた。
待っているつもりではあったが、今度は、別の女に声を掛けられた。
今思えば、それは、自分をさらに追い詰めるトラップだったのだ。
多分、絵里奈が金になると踏んだ奴らの仕業だった。
結果的に、会社にこれまでの事が全て発覚し、懲戒解雇になった。
そこからはあっという間だった。
会社から送られてきた離婚届にサインをして、あとは会社の弁護士とのやりとり。
自分の父が、絵里奈への慰謝料を払うためや、反社会勢力からの損害賠償に関する弁護士費用など、自分の後始末をつけるため、実家の土地と建物を売却した。
その後、勘当されてからは、一度も両親には会っていない。
再就職はしたものの、工場での作業は苦痛だった。
それでも、惨めだったが、耐えた。
だが、派遣社員だった新田は雇い止めをくらい、無職になった。
ハローワークに通ってはみたが、どれもこれも似たようなもので、正社員のあてはなかった。
そのうちに、闇バイトに手を出し始めた。割が良かったのだ。
現金を手にしては、ギャンブルにつぎ込む。
そして、闇バイトで稼ぐ。
胴元が摘発されると同時に新田も逮捕された。
執行猶予こそ付いたものの、前科者だった。
もうまともな就職は出来なかった。
それでも、30代まではなんとかなった。
しかし、40歳を過ぎてくると、体力が持たなくなってきた。
事務的な仕事は全てAiがやる世の中だ。
資格も無い、かつ、前科のある新田を雇う会社などあるはずも無かった。
気がついたら、橋の下で寝ていたのだ。
ホームレスにも縄張りはあったが、まだ若い部類に入る新田は、さほどうるさい事は言われなかった。
それから月日が流れるのはあっという間だった。
新田はいつも若い頃の自分を思い出していた。
あの頃は、なんでも出来る気がした。
女にもモテたし、年収も同い年の人と比べたら段違いに良かった。
絵里奈と片桐の事は交代で思い出していた。
片桐に殴られ、前歯が折られたせいで、歯並びの隙間が気になって仕方が無かった。
絵里奈には、申し訳無い事をしたと思う反面、子供が作れない方も悪いと開き直って考えていた。
とにかく腹が減って仕方が無かった。ポケットには、折りたたみ式のナイフをいつも忍ばせている。
草を刈り取ったり、都内でもたまに見かける小動物を仕留めたりするのに重宝した。
段ボールの上でうずくまり、うとうとしだした。
あまり眠れないまま、夜明けを迎えた。




