79.「機密情報を金で売った事実は消えない」――暴かれた広報部長の裏切り。社長が下した“組織の膿”への全数粛清。
マイバッハが視界から消えると同時に、記者たちが一斉に押し寄せた。
マイクが突き出され、声が重なる。
「内部から情報が漏れた可能性について、会社としてどう考えていますか?」
「水原さんの復帰は本当に可能なんですか?」
矢継ぎ早の質問に、篠崎が一瞬だけ言葉を探す。
だが、その横で優子は一歩前に出た。
表情は変わらない。
声も、いつもと同じ落ち着いたトーンだった。
「本日の来社は、産業医面談のためのものです。詳細は個人情報に関わるため、お答えできません」
記者たちがさらに身を乗り出す。
「では、情報漏洩の可能性は?」
優子は一拍置いてから、静かに答えた。
「社内の情報管理については、すでに内部統制部が調査を進めています。現時点で“漏洩があった”と断定できる事実はありません」
断定はしない。しかし、否定もしない。
その絶妙な言い回しに、記者たちの表情がわずかに動いた。
「社内SNSで“まだ他にも被害者がいる”という書き込みがあったという話をききましたが?」
「確認されていない情報についてコメントすることはできません。憶測に基づく投稿や報道は、関係者の安全を損なう可能性があります。その点については、ぜひご配慮いただければと思います」
優子の声は柔らかい。
記者の一人が、さらに踏み込んだ質問を投げる。
「水原さんの身の安全は確保されているんですか?」
優子はその記者をまっすぐ見た。
目は笑っていない。
「社員の安全確保は、会社として最優先事項です。本日の対応も、その一環です」
その瞬間、記者たちの空気がわずかに引いた。
優子の声には、反論を許さない静かな強さがあった。
篠崎が横で小さく息を吐く。
優子は気づいていないふりをした。
「以上でお願いします。これ以上はお答えできません」
優子が軽く会釈すると、記者たちはまだ質問を続けようとしたが、その場の空気が“ここまでだ”と告げていた。
優子は振り返らず、篠崎とともにエントランスへ戻っていった。
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会議室に戻ると、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。
「ふぅ。なんとか切り抜けたわね」
篠崎は頷きながらも、どこか落ち着かない様子だった。
その表情に気づいた優子が、眉を寄せる。
「どうしたの、海斗。さっきから顔色が悪い」
篠崎は一瞬だけ迷った。
だが、もう隠しておける段階ではないと悟ったように、ゆっくり口を開いた。
「優子さん。ひとつ、言わなきゃいけないことがあります」
優子の視線が、静かに篠崎へ向けられる。
「今日の来社情報が漏れた件ですが、ログ調査で、ある部署のアクセスが不自然に多いことが分かりました」
「どこ?」
「広報部です」
優子の目が細くなる。
だが、まだ驚きは見せない。
篠崎は続けた。
「さらに、来社予定の共有メールを開いた時間と、社内SNSの“あの書き込み”の投稿時間が、ほぼ一致していました」
優子の指先が、わずかに止まる。
「つまり」
「広報部の誰かが、情報を外に流した可能性が高い。そして」
篠崎は、言葉を絞り出すように続けた。
「ログの端末IDが、佐伯部長の席の端末と一致していました」
会議室の空気が、一瞬で重く沈む。
優子はしばらく黙っていた。
怒りでも驚きでもない。
ただ、深く、静かに考えている。
「佐伯部長が?」
「まだ断定はできません。ただ、状況証拠としては、かなり濃いです」
優子は椅子に背を預け、天井を見上げた。
その表情には、苦味と諦念と、そしてわずかな怒りが混ざっていた。
「何故、あの人が」
優子はゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いた。
「……海斗。この件、まだ誰にも言わないで」
「分かりました」
優子は立ち上がり、資料をまとめながら呟いた。
「まさか、味方の中に敵がいるなんてね」
その声は、静かで、しかし確かに震えていた。
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会議室のドアが開き、佐伯が入ってきた。
いつもの余裕をまとった笑みはなく、ネクタイを何度も直す癖が止まらない。
「……呼びました?」
優子は資料を閉じ、静かに顔を上げた。
「ええ。少し確認したいことがあるの」
佐伯は椅子に腰を下ろすと、落ち着かない様子で足を組み替えた。
その動きが妙にぎこちない。
篠崎が口を開く。
「今日の来社情報、外に漏れていました。記者が“伺っている”と言っていました」
佐伯の目が一瞬だけ泳いだ。
だが、すぐに作り笑いを浮かべる。
「記者なんて、どこからでも情報を拾ってきますよ」
優子は表情を変えず、淡々と続けた。
「内部統制部のログで、来社予定のメールを開いた端末が確認されたわ。その直後に、社内SNSで“来社を匂わせる投稿”がされている」
佐伯の喉が、ごくりと動いた。
「……それが、何か?」
「その端末、あなたの席のものよ」
空気が止まった。
佐伯は一瞬、言葉を失い、次の瞬間には早口でまくし立てた。
「いや、それは、たまたまですよ。僕の席なんて、誰でも触れるし。部下が勝手に見たのかもしれないし、そもそも僕はそんなことする理由が」
「理由なら、あるでしょう」
優子の声は静かだった。
しかし、その静けさが佐伯の言葉を完全に封じた。
「あなた、最近、外部の記者と飲んでいる、という話を聞いたわ。しかも、会社の情報を小出しにして、ちょっとした謝礼を受け取っているって」
佐伯の顔色が変わった。怒りでも反論でもない。図星を刺されたときの沈黙だ。
「そんな噂、誰が」
「噂じゃないわ。あなたが使っている経費の動きと、記者側の動きが一致している」
佐伯は椅子の背にもたれ、額を押さえた。
「ちょっとしたことなんですよ。別に、会社に損害を与えるつもりなんてなかった。向こうが勝手に金を置いていくだけで僕はただ、話を合わせただけで」
言い訳はどれも薄く、軽く、そして浅かった。
篠崎は静かに言った。
「今日の件は、ちょっとしたことでは済みません」
佐伯は唇を噛んだ。
その目は、完全に追い詰められた獣のようだった。
「俺だけの責任じゃない。広報なんて、みんなやってる。情報を流せば、向こうが扱いやすくなるんだ。会社のためでもあるんだよ」
優子はゆっくりと立ち上がった。
「あなたが何をどう言おうと、機密情報を金で売ったという事実は消えないわ」
佐伯は顔を上げた。
その目には、怒りでも反省でもなく、ただ恐怖だけがあった。
「僕を切る気ですか?」
優子は一切の迷いなく答えた。
「ええ。これは、もう人事案件よ」
佐伯の肩が、がくりと落ちた。
会議室には、重い沈黙だけが残った。
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事前に、木崎と片桐、そして社長には、すべて報告してあった。
絵里奈の来社情報が漏れた可能性。社内SNSの異常な書き込み。
そして、内部に“意図的に動いている者”がいるという疑い。
社長は、報告を聞き終えると、しばらく黙っていた。
机に組んだ指をゆっくりほどき、深く息を吐く。
「……分かった。もう、隠し立てはしない。社内の膿は、すべて出し切る」
その声は低く、静かだった。
だが、会議室の空気が一瞬で変わるほどの重さがあった。
木崎が眉をひそめる。
「社長、本気で?」
「本気だよ。ここまで来たら、もう“誰を守る”とか“どこまで公表する”なんて段階じゃない。会社そのものが腐る前に、切るべきところは切る」
片桐も頷いた。
「……覚悟を決めるしかありませんね」
社長は二人を見渡し、最後に優子へ視線を向けた。
「中村さん。あなたには負担をかけるが人事としても、徹底的にやってほしい」
優子は迷いなく頷いた。
「もちろんです。ここで曖昧にすれば、また同じことが起きますから」




