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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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77/107

77.「誰があんなことを……」――匿名掲示板に蠢く悪意と、銀狼に守られし“氷の薔薇”の本社帰還。

会見が終わり、控室に戻った瞬間だった。

広報部長の佐伯が、資料を抱えたまま駆け寄ってきた。

その顔は、会見前よりもさらに険しい。


「篠崎部長……まずいことになりました」

「何があったんですか」


佐伯は無言でタブレットを差し出す。

画面には、社内SNSの匿名掲示板が映っていた。


> 《被害者は会社から金をもらって黙らされたらしい》

> 《夫はそれを聞いて、代わりに弁護士立てて訴えたって話だ》

> 《内部統制部が隠蔽していたって噂》

> 《田崎だけじゃない。まだいるって話もある》


篠崎は、喉の奥が冷たくなるのを感じた。


「……誰がこんなことを」

「分かりません。ただ、放置すれば火がつきます。

 特に、まだいる、いう書き込みは、外部に漏れれば大問題です」


篠崎は眉間を押さえ、深く息を吐いた。

会見で誤魔化さずに答えたことで、少しは前に進めたと思った矢先だった。


「中村部長には?」

「すでに共有しました。人事としても動くと言っています」

「分かりました。私もすぐに対応します」


タブレットを返し、篠崎は控室を出た。

廊下を歩きながら、胸の奥に重いものが沈んでいく。


応接室の前まで来たところで、扉が開いた。

優子が出てきた。

その表情は、怒りと焦りを必死に抑え込んでいるようだった。


「海斗、見た?」

「社内SNSですか?」

「誰があんなことを…」

「すぐに対処します」


優子は小さく頷き、声を潜めた。


「絵里奈の復帰、来週に決まりそうなの。産業医面談で、一度、こっちに来る」

「水原さんが?」

「他に絵里奈を狙っている奴が本当にいるなら、絶対になんとかしないと」


全く可能性が無いとは、言い切れない。

模倣犯、愉快犯など、こういうことが起きると、噂だけで実際に動いてしまう輩も発生しうるのだ。


「優子さん、俺が必ずなんとかします」

優子はわずかに微笑み、歩き去った。


優子は、その後すぐにメールを全社に出した。


件名:【重要】社内SNSにおける不正確な情報の投稿について


各位


本日、社内SNSの匿名掲示板において、

事実関係が確認されていない情報や、特定の社員に関する憶測が

複数投稿されていることを確認しました。


これらの投稿は、当社の就業規則および社内SNS利用規程に

抵触する可能性があり、また、社員の名誉や安全を損なう

重大な問題となり得ます。


現在、関係部署にて事実確認およびログ調査を進めております。

調査が完了するまでの間、以下の点についてご協力をお願いします。


------------------------------------------------------------

■お願いしたいこと

・事実が確認されていない情報の投稿・拡散を控えてください

・憶測に基づく書き込み、特定個人への言及は禁止されています

・不審な投稿を見かけた場合は、人事部または内部統制部までご連絡ください

------------------------------------------------------------


なお、調査の妨げとなる行為や、虚偽情報の流布が確認された場合、

規程に基づき厳正に対処いたします。


社員の皆さまが安心して働ける環境を守るため、

ご理解とご協力をお願いいたします。


----


さらに続けて、篠崎がメールを出す。


件名:【通知】社内SNSに関する調査状況について


各位


現在進行中の社内SNSにおける不適切投稿の調査について、

投稿が行われた端末およびアクセス状況の一部が特定されました。


引き続き、関係部署と連携し、詳細な調査を進めております。

調査内容に関するお問い合わせにはお答えできませんが、

必要な情報は適宜、関係者へ共有いたします。


本件に関する憶測や推測の投稿・会話は、

調査の妨げとなるため厳にお控えください。



----


本社エントランス前。

篠崎は、優子と並んで立っていた。時刻は午前十時。

今日は、絵里奈が職場復帰に向けて、本社で産業医との面談を受ける日だ。


静かにマイバッハがエントランス前へ滑り込む。

運転席から降りてきた伊織が、周囲に警戒をしながら、二人に気づくと、軽く会釈する。


笑顔は無かった。

その姿は、まさに絵里奈を守ろうとする獰猛な狼にも見えた。


後部座席のドアを開けた。

その所作はしかし、いつも通り、自然なエスコートの動きだった。

そして、絵里奈が姿を現す。

彼女は通常の出勤用スーツに身を包み、凛とした空気をまとっていた。


「久しぶりね」

絵里奈が二人に声をかける。

篠崎は、すでに泣きそうだった。

伊織は、運転席に戻る。


「旦那さんは?」

優子が、絵里奈に聞く。


「駐車場で待ってるって」

絵里奈が答える。

「じゃあ、行きましょうか」


三人はエントランスを抜け、応接フロアへ向かった。

総務の担当者がすでに待機しており、軽く会釈をして案内する。

産業医面談室の前に着くと、絵里奈は一度だけ深呼吸をした。


「大丈夫?」

優子が小声で尋ねる。


「うん」

絵里奈は、かすかに笑ってみせた。


ドアがノックされ、産業医が顔を出す。

白衣ではなく、落ち着いた色のスーツ姿。

企業の“医師”というより、調停者のような雰囲気をまとっていた。

「水原さんですね。どうぞ、お入りください」

絵里奈は一歩踏み出し、振り返って二人に軽く会釈した。

「行ってくるね」

ドアが閉まる。

静かな応接フロアに、わずかな緊張だけが残った。


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