76.「結果としては、その通りです」――逃げなかった篠崎の答弁。銀狼の覚悟と共鳴した、組織の“誠実なるケジメ”。
グローバルリンクジャパン本社の会議室。
篠崎は、机の上に積み上がった資料を前に、深く息を吐いた。
田崎の刑事事件が表沙汰になってからというもの、彼の部署は連日、火のついたような忙しさだった。
社内調査、外部弁護士との打ち合わせ、メディア対応、取引先への説明、そして社員へのヒアリング。
どれもが重く、どれもが避けて通れない。
「どこから片付ければいいんだ…」
独り言のように漏らした声は、疲労と苛立ちが混じる。
午後、篠崎はスーツの襟を整え、取引先企業とのオンライン会議に臨んだ。
画面の向こうでは、相手企業の担当者が厳しい表情で腕を組んでいる。
「今回の件、御社の管理体制に問題があったのでは?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。現在、社内の統制強化と再発防止策を進めております」
篠崎は、落ち着いた声で説明を続けた。
会議が終わると、今度は社内のヒアリングが待っていた。
「田崎と普段、どんな会話をしていましたか?」
「最近、様子がおかしいと感じたことは?」
「水原さんとの関係について、何か聞いていませんか?」
社員たちは皆、怯えたように首を振る。
当たり前だった。
田崎は、ずっと内部統制の監視下においていたのだ。
----
ヒアリングを終え、篠崎が会議室を出た瞬間だった。
振り返ると、廊下の端に優子が立っていた。
いつもは柔らかい物腰の彼女だが、今日は表情が硬い。
人事部長としての顔だ。
「優子さん…何かありましたか?」
「ちょっといい?」
ふたりは空いている応接室に入り、向かい合って腰を下ろした。
目の奥には強い怒りが宿っていた。
「海斗…私もいろいろ調べたり、聞いたりした」
「優子さん…」
「絶対に許せない。あんな目に遭わせておいて、ただの社員の不祥事で済ませるつもりはないわ」
篠崎は、初めて優子の本音を聞いた気がした。
「優子さん。俺も同じ気持ちです。田崎のしたことは、会社の看板を汚したとか、そんなレベルじゃない。人として、絶対に許されない」
優子は小さく頷いた。
「だけど、俺が田崎を追い詰めたのも事実です」
篠崎がそう優子に言う。
「そうだとしても、ただの逆恨みよ、あんなの」
「それは、もちろんそうだと思います」
「だからこそ、私たちがやるべきことは明確よ。再発防止策なんて当たり前。被害者が安心して戻れる環境を作ることが最優先」
「絵里奈さんの復帰については、何か進展が?」
「本人は前向きよ。ただ、周囲の目や噂話が一番の障害になる。だから、社内の意識改革も急がないといけない」
篠崎は、深く頷いた。
「俺の部署でも、できる限り協力します」
「ありがとう。あなたがそう言ってくれると心強いわ」
優子は少しだけ表情を緩めた。だが、その直後、視線を落とす。
「それにしても、絵里奈の旦那さん、あの人、すごいわね。あんな状況で、あれだけ冷静に会見をこなすなんて」
「ええ。俺も見ました。あの人の言葉には、覚悟がありました」
伊織は人前でしゃべることが苦手なのは、篠崎も知っている。
それでもなお、伊織はやらなければならなかったのだ。
「覚悟、ね…」
優子は、遠くを見るように呟いた。
「絵里奈を守るためなら、どんな矢面にも立つ。あの人のあの姿勢を見て、私も腹を括ったの。会社として、絶対に逃げないって」
篠崎は、優子の言葉に静かに頷いた。
「……俺たちも、覚悟を決めないといけませんね」
「ええ。ここからが本番よ」
翌朝。
グローバルリンクジャパンの広報室前には、すでに数十人の記者が詰めかけていた。
テレビ局のクルー、週刊誌の記者、ネットメディアのカメラマン。
事件が社会問題化した今、彼らは一瞬たりとも情報を逃すまいと殺気立っている。
篠崎は、広報室の扉の前で深く息を吸った。
「……行くか」
扉を開けると、広報部長の佐伯が資料を抱えたまま、険しい顔で振り返った。
「篠崎部長、よろしくお願いします。今日の対応、社長と専務だけじゃ持たない。内部統制の説明は、君にしかできない」
「覚悟はできています」
佐伯は短く頷き、会見場へ向かう。
会見場に入った瞬間、無数のフラッシュが一斉に光った。
昨日の被害者側会見の余韻が残っているのか、記者たちの視線は鋭く、どこか攻撃的ですらある。
壇上には、社長の三枝、専務の木崎、そして広報部長の佐伯。
篠崎はその横、説明担当として控えの席に座った。
三枝がマイクの前に立つ。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。弊社社員による重大な犯罪行為につきまして、改めて深くお詫び申し上げます」
静まり返る会場。
記者たちは、次の言葉を待っていた。
「本日は、社内調査の進捗と、再発防止策についてご説明いたします」
最初の質問は、スポーツ紙の記者だった。
「内部統制に問題があったのでは?」
三枝が答えようとした瞬間、佐伯が軽く手を挙げた。
「内部統制の詳細については、担当者から説明いたします」
篠崎の番だった。
マイクを握る手に、わずかに汗が滲む。
「内部統制の監視下において、田崎の行動には一部、不審な点が確認されていました」
一呼吸を置く。
「しかし、それが犯罪行為に直結するとは判断できず、結果として被害を防げなかったことは、重大な反省点です」
記者席がざわめく。
「つまり、会社として見逃したということですか?」
「結果としては、その通りです」
会場が一瞬、静まり返った。
逃げなかった。誤魔化さなかった。その姿勢が、逆に記者たちのペンを走らせる。
別の記者が手を挙げた。
「被害者側は損害賠償請求を起こしましたが、御社としての対応は?」
三枝が答える。
「刑事判決が確定次第、弊社としても加害者に対し損害賠償請求を行います。企業としての社会的責任を果たすため、毅然と対応いたします」
「田崎氏は支払い能力がないと見られていますが?」
「支払い能力の有無は問題ではありません。重大犯罪の責任は、法の下で明確にされるべきです」
その言葉は、被害者側会見での伊織の言葉と重なった。
「生きている限り、責任は消えません」
篠崎は、胸の奥が熱くなるのを感じた。




