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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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75/107

75.「これは、治療中なの」――後遺症という名の渇望。伊織に溺れる絵里奈と、広すぎる“母の家”への訪問。

ケガが完治した事を会社に報告したが、片桐からは、後遺症が心配なので、あと一ヶ月くらいは様子を見るようにと、電話で言われた。

それから一週間は経過しているが、絵里奈自身はいわゆるPTSDに該当するような自覚症状は今のところ無かった。


ただ、身体が疼くようになった。

怪我が完治してからだった。

毎日、伊織を求めてしまう。

伊織の仕事に差し支え無いように、とは考えていたのだが、どうにもならないくらいに、欲求がわき出してくる。


それがある意味で、後遺症なのかもしれなかった。

何かを感じているのか、伊織も求めに応じて、ずっと絵里奈を抱き続けている。


二人とも仕事をそっちのけで、毎日交わり続けている状態だ。

皆に申し訳無いと思うが、これが後遺症なのだ、とすれば、ある意味では、治療中なのである。

絵里奈は開き直って、伊織との日々を過ごしている。


伊織が自分の代理人として、会社と共に損害賠償請求を起こした。

普段、絶対に表に出ない伊織が、記者会見まで開いて、今回の事件に対する責任を求めた。

そうする事で、色々なものを守ろうとしているのは分かった。

前日まで、記者会見で喋る練習をしていたのが、ついこの間までの事だった。


----


「今日は、何処か行く?」

寝室のベッドで、伊織が聞いてくる。

時間は既に、昼手前だった。

今日も、朝からずっと抱き合っていた。

最近は、ずっとこういう感じなので、なんとなく肌の潤いが違う気がする。

元々スキンケアは、離婚してから現在に至るまで怠った事は無かった。


「海行こうよ」

「あ、そうか、連れて行くと言ってたよね」

「忘れてた?」

「いや、そんな事無い」


絵里奈は起き上がり、着る毛布を羽織って、ベッドから抜け出した。

この着る毛布が、最近のお気に入りである。

肌触りがとてもよく、保温性に優れているため、素肌に直に着用している。

羽織ってから、袖に腕を通す。

ボタンが前についており、ボタンを止めれば、一応身体は隠れる。


「実家にも顔出さないとなあ」

伊織が、ベッドから降りて、下着を着用しながら、言う。


「時間がある内に行こうよ」

絵里奈が答えると、伊織は頷いた。


----


伊織の母親が新しく買った家は、絵里奈の実家からも、さほど遠くなかった。

伊織自身も行くのは初めてだった。

ナビで指定していた場所に着くと、そこは庭付きで、2階建ての一軒家だった。

駐車場は、ゆうに五台分はあるだろう。

そこの一角に、軽自動車がぽつんと一台駐車してある。

一人で住むのに、何故一軒家で、こんなに広いのだろう、と伊織は思った。

玄関のインターホンを押すと、白髪混じりの母が出てきた。

「あら、来たのね」

「こんにちは〜」

絵里奈のほうが先に挨拶をする。

伊織は黙ったままだ。

合計でいくらしたかは分からないが、一括で払えるくらいの金は渡していたはずだった。

「ありがとね〜、おかげで家買えたわ」

「全て主人からのなんで」

「あら、そうなの?そうよね」

やりとりが面倒になってきたが、絵里奈は平気そうだった。


玄関に足を踏み入れる。

明らかに、一人分以上を想定して整えられた空間だ。

「広い、ですね」

絵里奈が言うと、伊織が口をはさむ。

「物が捨てられないんだ、昔からの物をずっと持ってる」

伊織の母が言う。

「いいじゃない、別に、全部持っていたって」

伊織は、昔はここでいつも喧嘩になっていた。捨てろと言っていたはずだ。

「まあ、片付けるのは俺じゃないし」

そういうと、奥のリビングへと入る。

絵里奈があとからついてくる。


「ここ、日当たりいいでしょう」

母の声に、絵里奈が頷いた。

「はい。洗濯物もすぐ乾きそうですね」

無難な返し。

「この辺りね、あなたのご実家も近いって聞いて」

母は何気ない調子で言った。

「近いですね」

「何かあったときも、助け合えるでしょう?」

絵里奈は微笑んだまま、視線だけを部屋に走らせる。

今は、荷物で溢れているが、片付けた場合のスペース、余分な部屋数、収納数。


この家は、ひょっとして…


そう直感した。


伊織が口を挟もうとする気配を感じて、絵里奈は一歩だけ前に出た。

それは庇うというより、間に入る動作だった。

「落ち着いた場所で、いいですね」

言葉を置いて、会話を先に進める。

母は満足そうに笑った。


お茶を飲み終える頃には、話題は天気や近所の店のことに移っていた。

母は終始穏やかで、特別な言葉も、踏み込んだ提案も口にしなかった。


「また来てね」

玄関でそう言われ、絵里奈は笑顔で頭を下げる。

「今日はありがとうございました」

伊織も短く会釈し、二人は家を出た。


マイバッハに乗り込む。

エンジンがかかり、住宅街をゆっくりと走り出す。


「全く…相変わらずだな…」


伊織が、感想のように言う。


「どうしたの?」

「あの荷物、俺が小さい頃からの物もあるんだ」

「そんなに前の物もあるんだ…」

「ああ…もう、どうでもいいけど、あれを置くためだけに広い家を買ったんだよな、きっと」


絵里奈は頷く。

それ自体は、間違っていない。

少し走ってから、絵里奈は前を見たまま口を開いた。


「ね、伊織」

声は、いつもと変わらない。


「ん?」

「お義母さんの家、老後の家だと思う?」


伊織は少し考える。

「そうじゃないのか?」

と返す。


「老後にしては、広すぎる」

断定ではなく、確認のような言い方だった。


「部屋の数も、収納も」

絵里奈は続ける。


「一人で暮らす前提じゃないと思った」

伊織は、しばらくしてから言った。


「そこは、俺、あんまり考えてなかった」

「善意だとは思うけど」

絵里奈は、そこで一度区切る。


「多分、最期は一緒に住みたいと思ってる」

「俺は嫌だな」

伊織は、はっきりと言った。


「ずいぶん、はっきりしてるのね」

「前の妻の時から、俺に会えば、恨みつらみしか言わなかった」

「…そう、言ってたね、伊織」

「金を渡した途端に、これだ。絵里奈の事も否定しない」


前の時はどうだったのかは、絵里奈には想像がつかなかった。


「でも、もう、そういう事を考えるのもやめた」

「そうなんだ」

「後は、きっと好き勝手に過ごしていくさ」

車は、そのまま家路を進んでいった。


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