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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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73/107

73.「伊織がいると、安心しすぎる」――膝から崩れ落ちた絵里奈。そして木崎は、社長室の扉を叩く。

夜中に、絵里奈と共に帰宅した。

張りつめていたものが切れたのだろう。

リビングに足を踏み入れた途端、絵里奈は膝から崩れ落ちた。


「絵里奈っ」


伊織は反射的に駆け寄り、倒れ込む身体を抱きとめる。


「ご、ごめん……ちょっと、めまいがして」

「横になろう」


迷いなく横抱きにし、ソファまで運ぶ。

そっと寝かせると、絵里奈は浅く息をつきながら、ソファの背に頭を預けた。


「……ごめんね。ちょっと立ちくらみしただけ」


伊織は彼女の額に手を当て、熱がないか確かめる。


「さすがに今日は…辛いはずだ」

「…帰ってきたら、急に力が抜けちゃって」

「ここなら大丈夫だよ。少し休んで」


絵里奈は目を閉じ、かすかに笑った。


「伊織がいると、安心しすぎるのかも」

「安心してくれるなら、いくらでもそばにいる」


その言葉に、絵里奈の指がそっと伊織の袖をつまんだ。


二日後には病院の予約が入っている。

すべて絵里奈の会社が手配したもので、今回の件は労災として扱われるらしい。


背中とわき腹を蹴られたと聞いたとき、伊織の胸は冷たくなった。

幸い、骨に異常はなく、軽い打撲で済んだという。

だが、唇の端の切り傷だけは、彼女が受けた衝撃を否応なく思い出させた。

笑おうとすると痛むらしい。

絵里奈はそのたびに小さく息を呑む。

伊織は、その仕草を見るたびに胸が締めつけられた。


「今日はもう、このまま一度寝よう」

「うん…」

伊織は、絵里奈をまた横抱きにして、寝室へ入っていった。


----


翌日、本社の管理部門は騒然としていた。

優子の所属する人事部も例外ではなく、懲戒解雇となった田崎に対し、損害賠償請求を含む法的措置を取るべきかどうか、早急な検討を迫られていた。

訴訟に踏み切る場合、各メディアへの対応方針も整えなければならない。


しかし今回の事案は、社内で密かに処理できるような軽いものではない。

現役社員が管理職に対して起こした、明確な殺人未遂、その重さは、会社全体を揺るがすには十分だった。


被害者である絵里奈は、勤務時間中の出来事であることから、対応をすべて会社に一任すると申し出ている。

社長への報告を含め、木崎と片桐も緊急会議の中心で奔走していた。


「しっかし、経費の不正使用の処罰が“降格のみ”だったとはのう……」

木崎が報告書に目を走らせながら、低くつぶやいた。

会議室には、木崎、片桐、優子、篠崎、そして総務部の数名が揃っていた。


「申し訳ありません。すべて私のミスです」

優子が木崎に向かって頭を下げる。


「いえ。私が内部統制部門で引き受けると言ってしまったのが原因です」

篠崎も続けて、木崎に向き直った。


「あほ。そんなことより、社長になんて説明するんや」

木崎が苛立ちを隠さず言う。


「専務、正直に申し上げるしかありません」

隣に座っていた片桐が、静かに口をはさんだ。


「田崎を、なんで会社に置いておいたんや――そこを突かれるやろ」

木崎の言葉に、場の空気が一気に重くなる。


「更生させようと言うたのに、失敗したあげく逆恨み……」

「そこも含めて、正直にお伝えするしかないと思います」

片桐が落ち着いた声で返した。


「で、その後のマスコミ対応でも、同じ説明をするんか?」

会議室に、再び沈黙が落ちた。


「内部統制が機能していないのではありませんか?被害に遭われた社員は今どうしていますか?今後の再発防止対策はどのようにお考えでしょうか?云々かんぬん…」

木崎が、マスコミの声色をまねて言う。


「…想定される質問に対して、また、今後の再発防止対策を早急に練ります」

優子がそう言う。


「…まあ、ええわ、とりあえず社長室には今からワシ行ってくる」

「専務」


片桐が声をかける。


「…私も行きます」

「…せやな、あの社長にどやされるの久しぶりやから、道連れがおらんときっついわ」

木崎はそう言うと、席を立つ。

片桐も後に続いた。


「専務、今後の対策含めて、これからまた協議は続けます」

優子が言うと、木崎は手を振りながら会議室を出て行った。


----


社長室へ向かう廊下で、木崎がぽつりとつぶやいた。

「薔薇の香りは、危険な香りやな……」

「……は?」

片桐が思わず首を傾げる。

「いや、なんでもない。行くで」

そう言って歩みを早め、社長室前の秘書に声をかけた。

「木崎や。社長おる?」

「はい、本日は中におります」

「アポ、頼むで」

「かしこまりました」

秘書が内線を取り、短くやり取りを済ませる。

「どうぞ、お入りください」

受話器を置いた秘書が、丁寧に二人へ向き直った。

「失礼します」

「失礼します」

木崎と片桐は、並んで社長室の扉をくぐった。


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