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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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70/107

70.「あいつだけは、許せない」――本社の影に潜む、田崎の狂気。狙われた“氷の薔薇”と、内ポケットの刃。

内部統制部門に異動してからの数週間。

田崎の机には、規程の改訂履歴やら、過去の監査資料やら、埃をかぶったファイルが山のように積み上がっていた。


毎日、紙の匂いと蛍光灯の白い光に晒されながら、田崎は黙々と作業を続けていた。

いや、続けているふりをしていた。


(なんで俺が、こんな)


ページをめくる手が止まる。

胸の奥に、じわりと黒いものが広がる。


(全部……あの女のせいだ)


水原絵里奈。

氷の薔薇と呼ばれた女。

自分を追い詰めた張本人。


支店での出来事が、何度も脳裏に蘇る。


---あなたの動きはすべて把握しています。


田崎は、しっぽを掴まれていたことに気が付かなかったのだ。

慌てて、そこから離れようとしたが、無理だった。

あの冷たい声。

あの目。

田崎に対して向けられたあの視線は、冷徹なる憎悪だった。


(俺を、見下しやがって)


田崎は、机の端を握りしめた。

爪が白くなるほど力が入る。


今は部長となった篠崎によって、懲戒免職こそ免れたが、別の目的があったのだ。

自分を飼い殺し、いや、最終的には、嬲り殺しにするためだ。

退職届を書いて提出するのを待っているのだろう。


(くそ…くそくそくそ…)


胸の奥の黒い塊が、さらに膨れ上がる。



----



昼休み、給湯室で同僚たちが話している声が聞こえた。

「水原さん、来週本社に来るらしいよ」

「久しぶりじゃない。例の会議でしょ」

田崎の耳が、自然とそちらに向く。


(……来るのか)

その瞬間、胸の奥で何かが“形”を持った。

怒りでも、悲しみでもない。 もっと粘ついた、濁った感情。


(あいつだけは……許せない)

自分の人生が狂ったのは、あの女のせいだ。

逆恨みとも分かっている。だが、そう思い込むことでしか、自分を保てなかった。


田崎は、ゆっくりと給湯室を離れた。

足取りは重いのに、胸の奥だけが妙に熱い。


(会える……本社で…くくく…)

その考えが、田崎の中で静かに根を張る。そして、ゆっくりと、確実に広がっていった。


----


本社会議の日。

田崎は、黙々と自分の机で作業を続けているが、時々時計を気にしている。

会議が終わるのは、昼過ぎだ。

午後から、部長職以上によるミーティングが行われることになっている。


朝、篠崎が言っていた。

「午後二時くらいまでは、かかりますので、それまでにここまで終わらせておいてください」

「はい」

絶対に終わらない物量を指定してから、資料室を出ていった。

毎度の事だった。

終わっていないのを理由に、叱責を受ける。

そして、最後に必ずこう言うのだ。

退職届はまだですか?と。

毎日、同じ言葉。

同じ圧。

同じ冷たさ。

(俺を追い出したいんだろ?だったら、最初から解雇にすればよかったじゃないか)

怒りが、喉の奥で泡立つ。

(全部……全部あの女のせいだ)


田崎は、ゆっくりと立ち上がった。

資料は、もうどうでもよかった。

時計を見る。

十一時五十七分。

昼休みの後、部長職以上によるミーティングがおそらく終わるのが午後二時くらい。

その後で、支店に戻るのだろう。


田崎は、内ポケットに、スタンガンとナイフを忍ばせていた。

水原絵里奈が帰る時にそっと後をつけて、最寄り駅に向かう途中、人気のないところで、襲うつもりだった。

殺すつもりは無かった。


冷たい目をした、あの女の心も、身体も、ずたずたに傷つけてやる。

凍り付いた薔薇のまま、粉々に砕いて、ぼろぼろにしてやる。

それから、自分に跪かせるのだ。


胸の奥で、黒い炎が静かに燃えていた。



----



午後二時を少し回った頃だった。

全体ミーティングが終わり、解散となった。

絵里奈は会議室の扉を開けて、磨かれた廊下に出た。


本社の廊下は、昼下がり特有の静けさに包まれている。

窓から差し込む光が、床に薄い影を落とし、空気はどこか張りつめていた。


絵里奈は、エレベーターホールへ向かいながら、ふと視線を横に流す。

会議室前のソファには、資料を抱えた若手社員が数名。

誰もが彼女に気づくと、わずかに姿勢を正した。

「早く戻らないと」

そっと誰にも聞こえないようにつぶやいた。

支店での仕事が山積みだ。本社での会議は、いつも時間を奪われる。

歩きながら、絵里奈は無意識に呼吸を整えた。

エレベーターホールに差しかかった瞬間だった。


誰かの視線を感じた。

背中に、針のように細い気配が触れる。

絵里奈は立ち止まらない。

ただ、ほんの一瞬だけ、視線を横へ滑らせた。


廊下の奥。資料室の方へ続く影の中に、誰かが立っている気がした。

(……気のせい?)


そう思いながらも、胸の奥に小さなざわめきが生まれる。

しかし、表情には一切出さない。


エレベーターの扉が開く。

絵里奈はそのまま乗り込み、階数ボタンを押した。

扉が閉まる直前、廊下の奥の影が、わずかに動いたように見えた。

だが、扉は静かに閉まり、視界は途切れた。


エレベーターは静かに下降していった。


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