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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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61/107

61.「逃げたくない」――午前4時の決意。影の中の20年を終わらせる、篠崎(海斗)の宣戦布告。

午前4時。

伊織が目を覚ますと、ベッドに一人だった。

身を起こして、絵里奈を探す。

絵里奈は、窓辺に背中を寄りかかるようにして、窓から明け方の景色をぼんやり眺めている。


近くにあったバスローブを羽織り、近づく。


「…絵里奈」

「あ、起きた?…おはよう」

「おはよう」


窓辺に座っている絵里奈に寄り添うようにして座り、軽く口づけをした。

羽織っただけのブラウスから覗く黒のキャミソールがなまめかしい。

絵里奈の首筋にも、顔を近づけて、口づけをする。


「…もう」

「…まだ、余韻が残ってる」


フィレンツェの朝は、いつも昨日の余韻を残していた。


ーー


同じ頃、篠崎は、ホテルの一室にいた。

昨日の夜から優子と会っていた。

40を過ぎてから、やっと男になった。


優子は自分より年が上で、大学生の息子がいる。

その身体は、挑発的で、官能的だった。

篠崎は、自分でも驚くほど深く優子に引き寄せられていった。


「…今頃、何してんのかな?」

優子が篠崎の隣でつぶやく。

二人でベッドに横になっていた。


「何がですか?」

「絵里奈達」

「ああ、確か新婚旅行でしたね」

「いいなあ…新婚旅行…」


「フィレンツェ行くとか言ってましたよね?」

「フィレンツェ…なんて素敵…」


「さすが、伊織さんですよね、おしゃれの仕方がこう洗練されているというか」

「あれは、全部絵里奈の手ほどきよ」

「でしょうね」


優子がスマホを見る。


「4時か…」


「優子さん、女性はみんな、あんな風に乱れるんですか?」


「え?…ちょっとなにいってんのよ、恥ずかしい」


「自分が見ていたのは、その、いわゆる二次元ですから」

「うーんとね、なんといったらいいのか」


40を過ぎてから経験する男には初めて出会った。

そして、その男の初体験の相手になろうとは思いもしなかった。

これからいろいろ興味が湧くに違いない。


「みんなってわけじゃないと思うわよ」

「…伊織さん達も、こんな風にしてるんですかね?」

「そりゃ、そうでしょ…夫婦仲、すごくいいしね」


木崎と関係を持ったのは、自分が若い頃だった。

お互い軽い感じで、お遊び程度の付き合いだったのを覚えている。

相手は既婚者で、不倫関係になるのだ。


木崎の子を宿した時は、会社を辞めて、一人で育てる覚悟だった。

そう木崎に伝えると、会社はやめるなと言われた。


優子が産休が取れない以上、体調不良という名目で長期休暇を取らせるよう、木崎は人事に手を回した。

それからは、人目を避けるようにして、木崎は優子のところに来た。


それから木崎の女遊びは、度を過ぎることは無かった。

優子との間の子供の存在が、効いたのかもしれなかった。

その時の子供は今は大学生になっている。


「木崎さんには、僕から言いますよ」

「え?」


「あれから、いろいろ考えましたが、別に隠す必要が無いなと思いました」

「…そう」


篠崎はそう言いながら、二つのふくらみに手を伸ばしてきた。


「…まだ元気なの?海斗」

優子が尋ねると、ええ、と言った。

そのまま、海斗と、優子のあいだに、ふっと静けさが落ちた。


触れられた場所の温度を確かめるように、優子は小さく息をつく。

海斗は、まだ慣れない手つきのまま、彼女の反応を探っていた。




「……本当に、言うつもりなの?」


優子が天井を見たままつぶやく。


「はい。逃げたくないんです。どこかで、ずっと後ろめたかったから」


優子はゆっくりと横を向き、海斗の顔を見た。

その目には、驚きと、少しの戸惑いと、言葉にできない安堵が混じっていた。


「あなたって……変なところで真面目よね」


海斗は照れたように笑い、優子の手をそっと握った。


若い頃から木崎と過ごした時間は、いつも影の中だった。

名前を呼ばれるのも、触れられるのも、誰にも知られてはいけない関係のまま。

子どもを宿したときでさえ、光の下には出られなかった。


「……選ばれるって、どういう気分なんだろうね」


優子は笑ったが、その笑みはどこか頼りなかった。

彼女の過去の重さを、ようやく少しだけ理解した気がした。


海斗は、言葉を探すように息を吸った。


きらめく景色を、拾い集めるようにして、窓の外を眺めていた。

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