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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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58/107

58.「あなたと来たってこと」――成田に届くフィレンツェの余韻。マイバッハが待つ、新しい日常への帰還。

その日の朝のフィレンツェは、いつもより静かに感じられた。

窓の外の光は柔らかく、街全体がまだ眠っているようだった。


「終わっちゃうのね」

絵里奈はスーツケースのジッパーを閉め、小さく呟いた。

「また来よう」

「そうね」

伊織は荷物を持ち上げながら、そう返した。


----


二人はホテルを出て、タクシーで空港へ向かった。

車窓から見える街並みは、来たときよりもずっと近く感じられた。

石畳、オレンジ色の屋根、朝の光を受けるアルノ川。

どれも、もう知っている景色になっていた。


タクシーが高速に乗ると、街がゆっくりと遠ざかっていく。

「またね」

絵里奈は窓から外を見ながらつぶやく。

伊織は、来よう、とだけ言った。


----


フィレンツェ空港に到着すると、チェックインを済ませる。

搭乗口へ向かう途中、絵里奈はふと立ち止まった。


「……この匂い、好きだったな」

「匂い?」

「革と、石と、朝の空気が混ざった匂い」

「絵里奈らしい」

「あなたは?」

「俺は、絵里奈の横顔が一番印象に残ってる」

「横顔?」

「そう、横顔」

「なにそれ、ふふ」

二人は並んで歩き出した。


----


離陸の振動が落ち着くと、絵里奈は窓の外を見た。

雲の上に出ると、フィレンツェの街はもう見えない。

「本当に帰るのね」

「ああ」

「見たものとか、感じたものとか、伊織の作品になるかな?」

「そうだな」

絵里奈は微笑んだ。

「また来よう」

「そうだな」


飛行機は静かに雲の上を進んでいく。

二人の間には、静かな満足が漂っていた。


----


成田に降り立つと、湿った日本の空気がふわりと肌に触れた。

フィレンツェの乾いた朝とはまるで違う匂いだった。


帰ってきた。

伊織は、そう思った。

「着いたね」

絵里奈が伸びをしながら言う。

「うん、現実に戻った感じだね」

伊織は苦笑しつつ、頭上の荷物棚から二人の荷物を下ろした。


入国審査を抜け、到着ロビーへ出る。

人の流れとアナウンスの声が一気に押し寄せてくる。

旅の終わりを告げるような喧騒だった。


「駐車サービス、こっちだよね」

絵里奈が案内板を指さす。


「うん。預けたとき、すごく丁寧だった」

「ね。帰ってきたときに車がすぐ出てくるって、ちょっと贅沢だけど好き」


二人はエスカレーターを降り、ガラス張りの通路を歩いていく。

外の光は午後の白さで、旅の始まりとは違う落ち着いた明るさだった。


受付カウンターに近づくと、スタッフがすぐに気づいて軽く会釈をした。


「お帰りなさいませ。お車はすぐにお持ちいたします」


その言葉に、絵里奈は小さく息をついた。

旅の終わりを受け入れるような、でもどこか満たされた息だった。


「なんかさ」

「ん?」

「こういうところも、また来ようって思える理由になるよね」

「サービス?」

「ううん。あなたと来たってこと」


伊織は少し照れたように視線をそらした。

「じゃあ、また来よう」


「ええ」


ガラス越しに見えるマイバッハが、旅の終わりを告げているようだった。


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