53.「三度目の人生は、君に捧げた」――雲の上で置き去りにする過去。二十年越しの愛の告白。
絵里奈は窓の外を見つめていた。
ふと、思い出したかのように、話を始めた。
「…もう20年以上前ね。オーストラリアに行ったの」
「…ああ、そうだね、それくらい時間が経ったのか」
「電話で言ったっけ?私、あの時、飛行機の中で泣いていたって」
「…覚えてる。向こうに着いてからの電話で言ってた」
その国際電話の後にほどなくして、あのアルバイト先のオーナーが自殺したのだ。
「それで日本に帰ってきたら、いろいろな通知が来ていて」
「…すまない」
「あ、ごめんね、気にしないで」
「いや、その後に、俺に電話してきたよね?」
「うん、携帯の番号変えてなかったから、つながったのよね」
「そうだったね」
そこで一度、実は再会はしていた。
「だけど、お互いさ、なんか意地になってたよね」
「俺は、意地になるより、どうしたらいいか分からなかった」
「そうなの?」
「ああ。その時の絵里奈に未練があったなら、なんとかしたかもしれないけど」
「違ったんだ?」
「…怖かった。何もかもが」
「そうだったんだ…」
その後しばらく間をおいてから、裁判所からの通知が実家に来た。
家庭裁判所の調停室で再会はしたが、顔を合せなかった。
「でも、あの後少ししたら、全額振り込まれててびっくりした」
「ボーナス払いだった気がする」
「その時、伊織は結婚してた?」
「してた。子供もいた」
「奥さんは、当時の奥さんは、知ってたの?このこと」
「断片的には、話していたよ」
「…怒ってなかったの?」
「払うのは、あなただからって、それだけ」
「そう」
フライト中の飛行機の中で、昔話。
それも、お互い共有した辛い過去の思い出。
雲の上に、置き去りにできそうだ。
「ねえ、伊織」
「うん」
「あの時さ、若いときに、よりを戻していたら、私達どうなってたかな?」
「そうだね。少なくとも、今ここでファーストクラスには乗れてない」
「そうかな?」
「あの時の俺が、絵里奈の言うことを素直に聞くとは思えない」
臆病さを隠すために、尊大になり、自信過剰になり、そして人を傷つけた。
「なるほど、ね」
「あの借金で俺は一度死んだと思って生きてきた。離婚した時も、死んだ」
あの店で声をかけられなかったら、多分、この世界にはいなかっただろう。
「俺は2回死んだ。この3回目の人生は、救ってくれた絵里奈に捧げた」
「伊織…」
「そうしたら、こうなった。最初から、人生を絵里奈に捧げてればよかった」
「あの頃は私も若かった。今のようにはできない」
「お互いにね」
「そう、お互いに」
顔を見合わせた。
自然に、近づく。
唇が重なり合う。
「愛してる、絵里奈」
「私もよ、伊織。愛してる」
機体はゆっくりと進み、二人をフィレンツェへと運んでいく。




