50.「男が出来たって」――専務を振った優子の決断。そして、氷の薔薇(妻)と向かうフィレンツェ再婚旅行。
それぞれの想いが交差した夜は、静かに幕を閉じた。
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片桐は、常務室で、次年度の経営計画に目を通しながら考えていた。
水原伊織。
直接会って話をしたことで、彼に対するイメージを変えていた。
と、同時に、詮索をしなくなった。
それが、自分でも意外だった。
知ってしまえば、どうということもない。
絵里奈と巡り合い、結ばれる。そういう運命を持つ男だったのだ。
誰かが扉をノックする。
「ワシや~」
こちらの返事を聞かずに入ってくる。
「専務」
「片桐~、きいてくれや」
片桐は、応接用のソファを指し示す。
「どうした?急に?」
「あんなあ~優子がなあ…」
木崎が言うには、要するに、優子が別れてほしいと言ってきたそうだ。
「別れるも、なにも、最近は、金振り込んでるだけやねん」
「その援助をいらないと言っているんじゃないのか?」
「ここ数年、プライベートで会ってもいない」
「なら、余計にはっきりさせておきたいんじゃないのか?」
「まあ、せやねんけどなあ…いざ、こう、別れるって言われると、なんかなあ」
「…寂しいのか?」
「…まあな」
片桐には、意外だった。
遊んでいる女には困らないはずだ。
「なんつーか、最後には、優子んとこに帰るつもりやったんやけどなあ」
「理由はあるはずだろ?」
「…男が出来たって」
「なるほど」
納得はいったが、優子に男が出来たとは。
「相手は?」
「知らん」
「聞かなかったのか?」
「教えてくれへん」
「…また調べるつもりか?」
「今度は、片桐ちゃん、お前がやってくれんかの?」
片桐がため息をつく。
「…何故だ?」
「つれないのう…前回の水原さんの時は、ワシがやったけん」
「俺が頼んだとでも、言いたいのか?」
「そうはいっとらんが…」
片桐は、一呼吸おいた。
「分かった。中村部長の事を、少し調べておく」
「おお、そうこなくちゃな、親友」
肩をたたいてくる。
「ところで、用事はそれだけか?」
「あ、ちゃうわ、社長がこのあとの会議の前に話があるって、ワシと片桐ちゃん、来いってさ」
「それを早く言え」
ソファから立ち上がり、木崎と共に社長室へ向かった。
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温かさが戻り始めた頃、絵里奈は長期休暇を申請した。
社員が自分の有給休暇を使い、好きな時期に五日間連続で休める制度だ。
土日を挟めば、実質九日間の休みになる。
会社に復帰してからは、これが初めての取得だった。
各支店長が育ってきたこともあり、大きな決裁が必要な時だけ片桐に連絡が入る。
絵里奈は、その段取りだけを整えて休みに入った。
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「俺の会社にも、あったわ、その制度」
リビングのソファに隣に並んで座っている絵里奈に言う。
「そうなんだ」
「別に、連続で取らなくてもいいやつで、俺もあまり取得していない」
今回、この制度を取得したのは、新婚旅行のためだった。
いや、再婚旅行というべきか。
少し悩んだが、二人でフィレンツェに行くことにした。
伊織は、特にこだわりがなかったが、アパレルに詳しい絵里奈が行きたがったのだ。
革製品、テキスタイル、工房文化など、素材の美が豊富らしい。
主要な街なら、英語が通用する。
「こういう時、才女がいると助かるね」
「伊織、簡単な英語くらいは話せないと」
「今から、勉強したほうがいいか?」
「It’s not too late」
「え?」
「But you’re not much of a talker, so I’m a little worried」
流暢すぎて、何を言っているのか、全く分からない。
「あ…あい…キャン…のっと…」
「だめだ、こりゃ」
絵里奈は、荷物の整理を再開した。




