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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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48/107

48.「本当に、すまなかった」――宿敵・片桐の謝罪と、頬に残されたルージュ。夜風に溶けゆく過去の残像。

「…でね、私、思わずビンタしちゃったの」

「あはは、ちょっと笑っちゃう」


優子に、さきほど廊下で片桐とあった一件を話し終えたところだった。

酔いが回ってきているのが分かる。自分にも、優子にも。


「…でもさ、片桐常務は、忘れられないんだろうね。きっと」


優子がつぶやき、グラスに口をつける。

そのまま、まるでドラマのセリフでも言うような調子で続けた。


「それから、ずっと、絵里奈に振られ続けて…別の男に二度も奪われて… ああ、なんてかわいそうな人…でもね」


篠崎も絵里奈も、黙って聞いている。


「あんな男って、言ったんでしょ?片桐さん。ふふ。あんたなんかより、よっぽどいい男だよ、絵里奈の旦那は」

「優子、今日は酔ってるね」

「よろしいのではないでしょうか、今日くらい」


篠崎が言うと、優子はその肩に手を回した。


「…分かってるねぇ、篠崎君。あら、よく見ると」

「…どうしました? 中村部長」

「…可愛い顔してるねえ」


唐突に、優子が篠崎の頬に口づけた。

ルージュの色が、かすかにその頬に残る。


「な、中村…部長…」


「ねえ、優子って呼んで…」


「あら篠崎君。お邪魔虫は消えるね」


絵里奈は、酔いに任せて、篠崎に絡み始めた優子を置いていくつもりだった。

それに、さきほどの件もあり、少し夜風に当たって頭を冷やしたかった。


「ちょっと…待ってください」


慌てる篠崎に構わず絵里奈は、ちょっと失礼、と言って席を立った。


----


絵里奈が席を離れたころ、伊織はマイバッハから荷物を取り出し、エレベーターへ向かっていた。

最上階のボタンを押すと、静かな機械音とともに扉が閉まる。


最上階に着くと、廊下は驚くほど静かだった。

絨毯が足音を吸い込み、遠くで空調の低い唸りだけが続いている。


部屋に入ると、柔らかな照明が迎えてくれた。

伊織は持ってきた二つのスーツケースをベッド脇に置く。


「……戻らないとな」


独り言のように呟き、伊織はもう一度だけ深呼吸をした。

それから、会場に戻るため、静かに部屋を後にした。


----


絵里奈は、外に出ると、夜風が頬に触れた。

さっきまでの熱気が嘘のように引いていく。

ホテルのエントランス脇、植え込みの影に人影が見えた。


片桐だった。


ネクタイを緩め、片手に缶コーヒー。

その姿は、宴会場で見せていた威圧感とはまるで別人のように見えた。

絵里奈に気づくと、彼はわずかに肩をすくめた。


「……さっきは、悪かった」


夜風に混じって、低い声が届く。

謝罪というより、搾り出すような言葉だった。


「酔ってたんだろうけど……あれは、ちょっと」


絵里奈が言うと、片桐は苦笑した。

その笑い方は、昔と変わっていない。


「分かってる。言い訳するつもりはない」

缶コーヒーを握る指が、白くなるほど力が入っている。


「君を見ると、どうしても昔のことを思い出す。忘れたつもりでいたのに、全然、忘れられていない」

その言葉に、返す言葉を探せなかった。

夜風が吹き抜け、二人の間に沈黙が落ちる。


片桐は視線を落とす。


「さっき、水原さんに会ったよ」


「…伊織に?」


「ああ、荷物を運びに行く途中だった」


少し胸がざわつく。


「なんの話をしたの?」

「昔話さ」

「彼はなんて?」

「…俺が、俺自身と彼女の想いを縛りつけてる、だそうだ」


誰しもが言ってあげられない事を、伊織は片桐に対して言ったようだ。

何か言おうと思ったが、やめた。


ホテルの自動ドアが開き、ロビーの明かりが二人を照らすと、絵里奈は、そちらへ歩き出す。

片桐が、歩き出した絵里奈に向かって言った。


「本当に、すまなかった」


その言い方が妙に真面目で、絵里奈は思わず小さく息を吐いた。

絵里奈は、軽く会釈だけをして、会場へ戻っていった。


片桐は何も言わず、ただその背中を見送っていた。


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