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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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44/87

44.「全て知っています」――宿敵・片桐の卑劣なマウントを、銀狼(伊織)が静かに粉砕した夜。

「絵里奈…」

「何?」

 伊織はプレートに目配せして、微笑みを崩さないままの絵里奈に尋ねる。

「片桐って、例の…あの人?」

「…本当だ。今、多分、あの辺にいると思う」

 会場の中央付近に立ったまま、数人で談笑をしたり、挨拶を交わしているグループがある。

「おお…いかにも、お偉いさんって感じだね」

「伊織…なるべく、しゃべらないでね」

「うん」

「あなたは、黙っているだけで恰好つくんだから、お願いね」

「分かってるってば…」

 ブザー音が鳴る。

 パーティーがいよいよ始まるようだ。

「伊織…頼むわよ」

 絵里奈が念を押してきた。


 …皆様、お待たせしました。

 これより、グローバルリンクジャパン株式会社、創立記念パーティーを開催したいと思います。

 司会は、私、総務課の…


「絵里奈、お疲れ〜」

 軽妙な感じで、優子がテーブル席につく。

 少し遅れて、篠崎が絵里奈の対面に座った。

「あれ、まだ、飲んでなかったの?」

 先ほど、司会が乾杯の音頭を取ったばかりだった。

「優子が来てから、と思って」

 ホテルのスタッフが絵里奈のグラスにクラウディ・ベイの白を注ぐ。

 続けて、優子のグラスにも注いだ。

「僕はこれで」

 篠崎はそう言って、プレミアムモルツを指示した。

「伊織はどうするの?」

 絵里奈が横を向いて尋ねる。

「…ビールで」

 スタッフが、篠崎と伊織のグラスに、ビールを注いだ。

 優子が三人を見渡して言った。

「片桐常務は、多分あいさつ回りで遅いから、始めましょう」

「そうね」

 乾杯、とグラスを軽く持ち上げる。

 伊織は身を乗り出して、グラスをぶつけてこようとしている。

 絵里奈は、伊織の右足を抓る。

「いて」

「…グラスは、軽く上げるだけ」

 伊織は、気を取り直して椅子に座りなおす。


「あれ、ご主人、お酒飲んでも平気?」

 優子がワイングラスを一口飲んだ後、伊織に尋ねてくる。

「今日は、ここの最上階の部屋取ってあるのよ」

 答えようとした伊織を制して、絵里奈が答える。

「最上階?スイートじゃん。さすがセレブは違うね」

 優子が冗談めかして言うと、周囲の空気がふっと和む。

 伊織は、ビールのグラスを両手で包むように持ちながら、どこか落ち着かない様子だった。

「伊織さん、緊張してます?」

 篠崎が尋ねる。

「してない」

 篠崎が思わず吹き出した。

 即答したものの、その返事が早すぎて、逆に緊張がバレている。

「それにしても、絵里奈のご主人、直木賞って凄いわね」

「…伊織で、いいですよ」

 少し、緊張がほぐれてきたのか、優子にそう返した。

「篠崎君とは知り合いなんでしょ?」

「ええ。数少ない友人の一人です」

 優子の質問に言葉少なめに、伊織は答えていく。

 今のところ、変なことはしていない。

 絵里奈は、少しだけ安心した。

 その時だった。

 優子が小声でつぶやく。

「来た。片桐常務」

 絵里奈は姿勢を正し、伊織に膝の上にそっと手を置く。

「伊織、お願いね」


 片桐が、ようやく終わった、といった感じで目の前の椅子に座った。

 絵里奈は横で静かに微笑んでいた。

「片桐常務。お疲れさまです」

 その瞬間、片桐と一瞬目があった。

「水原GM、中村部長、篠崎部長、お疲れ様」

 片桐は、一人ずつ目を合わせて言った。

 そして。

「初めまして。グローバルリンクジャパン株式会社の片桐と申します」

 片桐の声は、低めではあったが、中音域を混ぜたようだった。

「初めまして。水原です」

「改めて、乾杯」

「乾杯」

 伊織は、グラスを軽く持ち上げた。

 右隣から、絵里奈の視線を感じる。うまくやって、と。

 早速、片桐が仕掛けてくる。

「噂はかねがね聞いていました、銀狼、でしたっけ」

「…」

「あれ以来、うちの社員もメルセデスに憧れる者が増えました」

「…」

「それと、直木賞受賞おめでとうございます」

「…ありがとうございます」

「…水原GM、ご主人は、無口なお方なのかな?」

「いえ、今日は、緊張しているだけです」

 絵里奈がフォローする。

「ほう、じゃあ、普段はどんな感じなのかな?」

 伊織は、先程から値踏みされているのに気づいていた。

 何か言い返してやってもいいが、このフォーマルな場では、分が悪い。


「伊織さんは、楽しいお方ですよ」

 片桐の隣に座っている篠崎がそう言う。

「篠崎部長とは、親しいのかね?」

「…はい、数少ない友人の一人です」

「ほう」

 伊織の前の空いたグラスに、片桐がビールが注ぐ。

「ありがとうございます」

「ところで…水原さん」

「はい」

「彼女の事は、どこまで知っているのでしょうか?」

「…どういう意味です?」


 空気が張りつめるのを感じた。

「水原GMの事を、知っていて、ご結婚なされたのかな、と」

 挑発されているようにも思うが、こちらの反応を見ている。

 絵里奈が反応する。

「片桐常務、それは…」

 絵里奈を遮って、伊織は言った。

「はい、全て知っています」

「…なるほど、隠し事は無し、いうことですね」

 片桐がグラスに注がれたクラウディ・ベイの白に口をつける。


「ということは、当然私の事もご存じというわけですかね」

 絵里奈と寝たことがある、と言いたいのだろう。

 ここで俺を怒らせる意味は何だろう。


「…と、言いますと?」

 わざと知らないふりをして聞き返す。

「おや、さすがに聞いておりませんでしたか。実は、私」

「片桐常務」

 絵里奈が横から、割って入る。


 その口調は、まさに氷の薔薇にふさわしい、冷たさを含んだトーンの声だった。


「おお、これはこれは、大変失礼した。私も酔ってしまったようだ」

 伊織が知る限り、目の前のワインを一口しか飲んでいない。

 場が、しん、と静まり返っている。


「少し失礼するよ」

 そういうと片桐は席を立った。


 伊織はふっと、息をつく。

 隣の絵里奈を見ると、怒りを押し殺したような表情をしている。

「…この場で言うことじゃないでしょ」

 ぼそっとつぶやく声が聞こえた。多分伊織にしか聞こえない。


 篠崎と優子は、楽しそうにグラスを傾けていた。


「絵里奈…気にするなって」

 伊織は、落ち着かせようと声をかけた。


「…ちょっと、トイレ行ってくる」

 絵里奈は席を立つ。

 伊織は、グラスのビールの飲み干すと、クラウディ・ベイの白を注いだ。  

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