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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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43/79

43.「帰りたい」――直木賞作家の甘えと、氷の薔薇の微笑み。全社員が息を呑んだ“恋人繋ぎ”の行進。

会場の扉が静かに開いた瞬間、ざわめきがまるで風が止むように引いた。


最初に姿を現したのは伊織だった。

チャコールグレーのスリーピースが、照明を受けて鈍く光る。


その半歩後ろに、絵里奈。

黒のオフショルダーが、彼女の白い肌を際立たせていた。

歩くたびに揺れる布が、月の光のようだった。

彼女が一歩踏み出すたび、周囲の視線が吸い寄せられていく。


「あれ…水原GMじゃない?」

「チョー綺麗…やばい」

「隣、旦那さん?」

「直木賞作家よ、あの人、知ってた?」

「知ってる…ていうか、めちゃくちゃ格好良い」

丸いテーブル席に先に座っていた参加者たちの囁き声が広がっていく。


二人は、誰よりもゆっくりと歩いていた。

急ぐ必要などないというように。

その歩幅は自然で、呼吸のリズムまで揃っているように見えた。


伊織は、絵里奈の歩調に合わせて、ほんのわずかに手を添える。

触れているか触れていないか分からないほどの距離で、しかし確かに彼女を導いていた。


会場の中央付近では、役員たちが立ち上がり、若手社員たちは息を呑んだまま動けずにいる。



絵里奈は、ただ静かに微笑んでいた。

伊織が絵里奈にしか聞こえない声でつぶやく。

「あの…すげーみんな見てくるんだけど…」

「しーっ、席に着くまでしゃべらない」

小声で答える。

「席、どこ?…薄暗くて」

「そのまま、まっすぐ行って、左側のテーブル席」

伊織は、さっきまで、ほんのわずかに手を添えるだけだったが、手を握ってくる。

驚くほど温かい。緊張しているのが分かる。

絵里奈は、横目でそっと彼を見上げる。

「……緊張してるの?」

「やばいって…こんなに見られたの初めてだし」

声は小さいのに、どこか拗ねたような響きがあって、思わず笑いそうになる。

「みんな、伊織に見惚れてる」

「……それはない」

「ほら、見て」

二人が歩くたび、周囲の視線がまるで磁石のように吸い寄せられていく。

役員たちは姿勢を正し、若手社員たちは息をするのも忘れたように見つめている。

伊織はまた、小声でつぶやき始める。

「…帰りたい」

「だめ。主役なんだから」

「主役は絵里奈だよ」

その小さなやり取りの間にも、二人は会場の中央へと近づいていく。


そして、左側のテーブル席が見えてきた瞬間、伊織は絵里奈の手を離すどころか、逆に指を絡めてきた。

「ちょ、ちょっと……」

「薄暗いから、迷う」

「迷わないわよ、すぐそこよ」

「どこに行くか分からない」

その言い方があまりにも真剣で、絵里奈はつい吹き出しそうになった。

「分かったわ。じゃあ、席まで案内してあげる」

「頼む」

二人は、指を絡めたまま席へと向かう。

その姿は、ただの夫婦そのものだった。

しかし周囲の目には、その自然さがいっそう眩しく映っていた。



テーブル席には、名前が書かれた三角プレートが置いてあった。

高級感のあるステンレス調で、「水原伊織」と書いてある。

その隣には、水原絵里奈。

絵里奈に導かれるようにして、テーブルにたどり着いた伊織は、

水原絵里奈と書かれたプレートの席の椅子を引く。

絵里奈は、椅子にゆっくりと座った。

続けて、隣の椅子を引いて、伊織も座った。


入口から一番奥の中央から少し離れた左奥の5人がけのテーブルだった。

会場の端に寄り添うように置かれたその席は、中央の華やかさを斜めに眺める位置にあり、

会場全体の広がりが一望できた。

まだ、このテーブルには、伊織と絵里奈しか座っていない。

伊織は、他の席に置いてあるプレートを眺める。

絵里奈の斜め右側に「中村 優子」と書いてある。さきほどの受付の女性だろう。

絵里奈の前には、「篠崎 海斗」。海斗の事だ。

あの一件以来、仲良くなった。数少ない友人の一人だ。


そして、伊織の前には「片桐 誠一」と書いてあった。


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