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薔薇の氷 -Relight-  作者: 水原伊織


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38.薔薇の棘

GM室の自分のPCの前に座っていた。

決算の時期は、当然ながら様々な調整が必要になってくる。

特に、赤字ギリギリだと何かを調整して黒字にするか、そのままにして次年度に持ち越すか考えなければならない。


絵里奈は、北関東エリアの収支報告のデータを眺めていた。

今は、2店舗ともに安定した収益が上がるようになってはいるが、これ以上の利益が望めるかといえば、かなり難しい。


それでも北関東エリアで働く従業員には、パートも含めて、きちんとインセンティブが発生している。

それを加味すると、地方のサラリーマンにしては、年収がかなり高めになる。

本社からの応援が無くとも既に現地の人間を雇用して、人数は足りていた。

ただ、出向という名目で、本社から定期的に社員が飛ばされてくる。


それが厄介だった。

今の2店舗の支店長、副支店長は、現地から雇い、ここまでのし上がってきた。

本社から、出向されてくる社員は、有名無実な役職者が多く、皆一様にプライドが高く、支店のメンバーとの考え方のギャップが埋まらない。

だから、大抵は、絵里奈自ら時々釘を刺さないと、揉め事を起こす。

支店長クラスの指示も平気で無視したりするのだ。


少し前に、篠崎という男が応援に来ていた。

応援という名目だったが、その実、かつて銀狼と呼ばれていた絵里奈の夫である伊織の調査を秘密裏に命じられていたのだ。

誰の指示かは、敢えて聞かなかった。

伊織は、篠崎におよそ、銀狼のイメージとはかけ離れた姿を撮影させて、調査の無意味さを示した。

普段は、ああいうぞんざいな態度をした事が無いのだが、伊織曰く、サラリーマン時代は、伊織はあんな感じだったらしい。

その篠崎は、本社に戻った。


定例会議で、本社に行く時に時々顔を出してくる。

そして、今の本社の状況を教えてくれるのだ。

あの一件以来、篠崎は、絵里奈に従うようになった。

内部統制部門に所属する篠崎からの情報は、詳細を究めた。

不正の疑惑、部門間のおかしな動き、等、本来当人しか知り得ない情報を何故か絵里奈に伝えてくる。

そのことについて本人に問いただしたことがある。


「どうして、これを私に?」

「理由は、知らせておいた方が、何かと水原GMのお役に立つ事もあるかと思いまして」


本社の会議室だった。絵里奈の他には、篠崎しかいない。


「何故?」

「と、言いますと?」

「こんなことをして、貴方に、何かのメリットがある?」


篠崎は少しうつむいた後に言った。


「水原GMが、つまらない事で、足を掬われないようにするためです」


絵里奈のポジションを狙っている人間がいる、という事だろう。

昔から、そういった出世のための工作をする人間はいた。


「でも、私がGMであることと、貴方に、何か関係あるかしら?」

「それは…ご迷惑をおかけした事がありますので」

「罪滅ぼしって事?」

「はい」


義理堅い男だとは思わなかった。

何か意図がある。


「別に、何かを画策しているわけではありません」


絵里奈の考えを読みとったかのように篠崎は言った。


「出世にも、あまりもう興味が無くなりました。独身で、会社と家の行ったり来たりの毎日です」

「そうなの?」

「ですが、生きるためにどうせ働かなければならないなら、興味がある人間の元で、働きたいです」

「興味?それが、私?」

「はい、というよりは、今は直木賞受賞作家となった、水原伊織さんに」

「伊織に?どうして?」


篠崎は続けた。


「失礼かもしれませんが、私と、どこか似ているような気がしてなりません」

「共通点、か」


篠崎と、伊織の共通するところ。

絵里奈には分からなかった。


「まあ、いずれにしても、何かありましたら、私をお使いください」

「使うだなんて」


篠崎は一礼をして、会議室を出て行った。



怒号が聞こえてきた。

壁を震わせるほどではないが、普段の支店ではまず聞かない種類の声だった。

絵里奈は、PCをロックし、静かに立ち上がる。ドアを開けた瞬間、空気が変わった。

支店長と、今月から本社から出向してきた田崎が、向かい合っている。

どちらも声を抑える気配はなく、周囲の社員たちは距離を置きながら、息を潜めて成り行きを見守っていた。

支店長の顔は赤く、田崎は逆に冷えたような表情で、言葉を切り返している。


「いい加減にしてください、田崎さん!こちらのやり方があるんです」

「だから、何度も言うが、ルール上ではここまでやらなくてはならないはずだ」

「こんな細かいところまで、全て網羅して出来るわけないでしょう!」

「ほう、何故だ?」

「何故って…時間が足りなすぎます。それに、今更そこまでやる必要が本当にあるんですか?」

「ルールで決まっているからだ」

「これまでは、このやり方でやってきましたし、本社だって提出したデータで、

文句も何も今まで言ってきたことはなかったはずです」

「今までは、だ。俺が見たからには、そうはいかない」

「ですが…」


絵里奈は二人に近づいた。

支店長と田崎は、絵里奈に気づいた。

支店長は、一礼をしたが、田崎は、無表情でこちらを見ていた。


「支店長、田崎主幹。何か、問題が?」

「水原GM」

「これは、これは。麗しの水原GM、ご苦労様です」


若干の侮蔑の含めた言葉を絵里奈に投げかけて言った。


「いやあ、支店長には、先ほどから言ってはいるんですが、今回のデータに漏れがありまして」

「漏れ?」

「はい。漏れというのは…」


未使用物品の棚卸の際に、本来数えるべきものが計上されていない、

というのが、田崎の主張だった。


本社のルールでは確かに1円以上のものはすべて棚卸をして計上している。

絵里奈のいる北関東エリアでは、1000円未満のものは未計上としていた。

それを数える手間、人件費の方が無駄だと感じた絵里奈が、北関東エリア独自に設定したルールであり、支店長時代に決めて、それがそのまま残っていた。

金額として全体に与える影響は極小だった。

そもそも未使用備品の棚卸は、実際に存在している資産を正しく把握し、会社の状態を正確にするためではある。

ボールペンの数が間違っていたとして、コピー用紙が2.3枚無くても会社は困らない。


「ですから、今回はこの数量で問題ないでしょう?」

「ほう、支店長自らが本社はルールに従えないと?」


絵里奈が割って入る。


「田崎主幹。ちょっといいですか?」


絵里奈は、田崎を伴って、GM室へ入った。


----


来客用のソファに、田崎を座らせて、絵里奈は対面に座った。


「ほう、ここが水原GMの部屋、ですか…」

「先ほどの話ですが」

「ああ、未使用物品のやつね」


田崎は、部屋の中をじろじろ眺めている。


「北関東エリアでは、別途ルールを設けて運用しております。データを提出した際にも、本社にも承認を得ております」

「それは、知らないからだろ、数えていないのがあるってことを?」

「いえ、本社の経理には確認をとっています」

「どこに、その証拠があるの?」

「特に、証跡は残してはおりませんが、未使用物品のデータそのものの承認は得ておりますので」

「だから、問題ないってわけ?本社のルールを知っていながら、それを自分たちの都合で捻じ曲げ、不正を支店ぐるみで行っている、というわけか」

「いえ、ですから、不正というわけではありません」


実は、田崎に関しては、事前に篠崎から情報を得ていた。

細かいところに気が付き、文面に関して、特に規則関係の文を隅々まで読み、実態との乖離を指摘する。

ただし、自ら問題点を改善することはせず、人の揚げ足取りを好む。

欠点をついて相手を追い落とし、出世してきた男だった。


だが、片桐が常務になってから、一斉に人事が改編され、その時に要職から外されてきたメンバーのうちの一人だった。

自分の力で実績を残せない者、あるいは残してこなかった者たちは軒並み粛清された。

あるものは降格させられ、あるものは依願退職という形で会社から消えた。

それでもしぶとく残ったもの達に関しては、実態のない地位を与え、名目上存在しているが、実際には何もしていない部署に配置した。


この田崎という男、実は会社の経費を不正に使用しており、篠崎はその事実をつかんでいた。

優子にも相談したら、もう本社付けではないからご自由に、とのことだった。

調べたら、転籍出向だった。

処分の度合いは決められる。


「へえ、GM自らが不正を黙認しているなら、これ以上何も言わないよ」

「ご理解いただけましたでしょうか?」

「まあ、本社には報告させてもらうがな」


田崎はそう言って、席を立つと、絵里奈の隣に馴れ馴れしく座ってくる。


「しかし…こうして近くで見ても、綺麗だなあ」

「田崎主幹、その発言は危ういですよ」

「まあまあ、そう言うなって…」


田崎は、絵里奈に肩に手を伸ばしてくる。


「あんただって、なあ、常務や専務に取り入ってここまで来たんだろ?ああ?」


絵里奈は肩に置いてきた田崎の手を振り払って、立ち上がる。


「ああ、ごめん、ごめん、つい、な。セクハラだよな?すまんすまん」


絵里奈はその問いには答えず、自分のデスクに戻り、PCのロックを解除する。

とある画面を開き、データを印刷する。


プリントアウトされた紙を持って、再びソファに座る田崎の対面に座った。


「田崎主幹」


テーブルの上にそのデータを置いて、ソファに座っている田崎に向かって言った。


「経費の使用履歴を確認したところ、不正が三件ほど見つかり、報告があがってきています」

「な、なんだと、見せろって」


田崎がテーブルの紙を見ると、顔がみるみるうちに青くなっていく。


「ど、どうして、これを…ばかな…」


冷静に絵里奈は続ける。


「1件目でやめておくべきでしたね。それならば、けん責あるいは厳重注意で済んだかもしれない」


少し間をおいて、絵里奈は告げた。


「田崎主幹。故意による経費の不正使用3件。さきほどのセクシャルハラスメント。規程に照らせば、懲戒処分の対象となります」

「何だと…」

「まず、今日から自宅謹慎5日間。その後、本社へ戻っていただきます」

「お前に、そんなこと決められるのか?!」

「処分の最終判断は本社の人事の方で行います」

「俺は、本社の人間だぞ」

「説明は本社でお願いします。ここでは受け付けません」

「ああ、してやるよ!」


田崎は、紙を投げ捨てて、ソファを立った。

出入口へと向かいながら、捨て台詞を吐く。


「ここの支店の不正全部報告してやるからな!」

「荷物がありましたら、今から全部まとめて持って帰ってください」

「…こんなことして、ただで済むと思うなよ」


会話が録音してあることにも気が付かない。

いや、なぜそういうリスクがあることを考えないのだろうか。

相手が女で年下だから、慢心しているのかもしれない。

こういう男は今の社会では絶滅危惧種で、珍しいといえば珍しい。


が、価値が無い。


田崎は、GM室のドアノブに手をかけていた。

その逃げ出すような姿が、まるで…あの男に見えた。


裏切りという言葉では言い表せない。

私の想い全てを踏みにじり、私の尊厳を奪ったあの男を。

自分の中に、黒い怒りが滲んでくるのが分かった。


会社に戻ったあの時から、私は、戦うと決めたのだ。


絵里奈は胸元に忍ばせておいたペン型のボイスレコーダーのスイッチを切った。

ソファを立ち、田崎にゆっくりと歩み寄る。


「…私は、死に物狂いで、仕事をしてきた」

田崎がドアノブに手をかけたまま固まった。


「…あなた達のような人間が足の引っ張り合いをしている間も」

さらに一歩。


「夜の街で、女性の尻を触っている間も」

田崎は、ドアノブを持つ手が震えている。


「ギャンブルで、すられた金を工面しようと、経費の備考欄を書き換えている間も、浮気相手に貢ぐ金欲しさに横領を企んでいる間も」

「ひいっ」

田崎が尻もちをつく。


絵里奈は田崎を見下ろして言った。

「あなたのような人間に、私の何が分かる」

「わ、わ、悪かった」

絵里奈は、しゃがんでから、床に尻もちをついている田崎の襟首をつかんだ。

「…女を道具としてしか見ていないような、あなた達のような男に」


絵里奈は叫んだ。


「何が、分かるのよ!!!」


田崎の襟首を離して、立ち上がると、絵里奈はGM室のドアを開けた。

そこには、支店長が突っ立っていた。


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