28.正体
専務室で、木崎は一人待っていた。
その間に、篠崎から送られてきた動画データを、スマホからパソコンへ転送していく。
ノックの音がした。
「入れや」
ドアが開き、片桐が姿を現す。
室内を一瞥し、他に誰もいないことを確かめてから、片桐は口を開いた。
「……何かあったのか?」
「まあ、これや。ちょっと見てみぃ」
木崎はそう言って、パソコンの再生ボタンを押す。
画面に、篠崎から送られてきた動画が映し出された。
二人は並んで、無言のままモニターを見つめていた。
動画は、一分にも満たなかった。
片桐はモニターから視線を外し、木崎を見る。
「……これは、どうした?」
「篠崎、おるやろ?」
「ああ…確か、北関東エリアに応援に行っていたような…やはり」
「あいつに、銀狼を調べてこいって、頼んだんや」
突然の人事。しかも、木崎自らの指示。
片桐は、その時点で何か裏があることを薄々感じ取っていた。
だが、あえて聞かなかった。
いまだに、絵里奈を気にしていると思われたくなかった。
「この動画を撮ったのは、篠崎か?」
「ああ、多分な。あいつのスマホから送られてきた」
「……堂々と調査した、ということか。銀狼本人を捕まえて」
「いや、わからん。 もしバレたら、自分でやったことにせえ、とも言うといた」
「そもそも……何のために、銀狼を?」
片桐は、真正面から問いただした。
「お前のためや、片桐ちゃん。お前が、あまりにご執着やからな。代わりに調べてやったんや」
「何だと」
「ちゅうわけや。 もう、これでおしまいや。 銀狼いう男が、どんな奴か、分かったやろ?」
「……篠崎は、どうする?」
「今のところ、水原GMからは、篠崎の素行について、何の報告も上がっとらんみたいや」
片桐は、腕を組んだ。
動画を見る限り、銀狼と同じ場にいたのは間違いない。
つまり、篠崎が何をしていたかも、把握されているはずだった。
不問にした、ということか。
それにしても。
「この動画の男、銀狼。 水原伊織、でしたか」
「ああ」
「なぜ、篠崎にこの動画を撮らせたのでしょうか?」
「まあ……あれやろ。
変に詮索すんな、いうことやろ。きっと」
片桐は、もう一度、動画を再生した。
「……なんというか、この男の、この感じ……」
片桐が思い描いていた“銀狼”のイメージとは、まるで違っていた。
まるで、酔っ払いの親父が、飲み屋で自己紹介の余興をさせられているようだ。
「……ふざけとるやろ?これは、ワシら、舐められとるで」
「あるいは……その逆か」
“銀狼”という名前だけが一人歩きしている。
それを、あえて崩そうとしたのか。
それとも、何も考えていないのか。
「まあ、いずれにせよ、もうしまいや。 銀狼は、ただの成金野郎っちゅうことや」
そんな男を、絵里奈が選ぶはずがない。
何か、きっとある。
そう思いながらも、片桐は話題を切り替えた。
「……ところで、篠崎はどうする?」
「ああ、どうもせえへん。元の部署に戻して、元通りや」
「本人は、それで納得したのか?」
「調査はしたが、対象の銀狼には見つかっとる。誰の差し金か、バレとるに決まっとるやろ」
木崎は、手を横に振る。
「手柄を上げたってわけやない」
「篠崎には、聞いたのか?」
「ああ。銀狼は、そこら辺は詮索してこんかった、言うとった。ホンマかどうかは、分からへんけどな」
「篠崎が、嘘をつくとは思えん」
木崎は、動画の再生を止めた。
「コソコソしとったワシが、アホやったんや。せやけど、これで、満足や」
「そうか」
「片桐ちゃんも、そろそろ別のええ女、見つけた方がええで〜」
「……ふん」
木崎が銀狼への興味を失ったのとは対照的に、片桐は、実際にその姿を見たことで、むしろ関心を深めていた。
ーー
拠点としている支店から、北関東エリアの別の支店までは、およそ一時間半。
絵里奈がゼネラルマネージャーに就いてから、すでに一年が過ぎていた。
もともと在籍していた支店には、支店長と副支店長が健在で、もう一方の支店にも同様に、責任者が配置されている。
兼任していた頃に比べれば、業務の負担は確実に軽くなっていた。
その分、二つの店舗を行き来する頻度は増え、マセラッティを運転する機会も多くなった。
以前、伊織が「運転手を務めようか」と言ってくれたことがある。
だが、さすがに断った。
平日だけでも移動時間は長い。
伊織を拘束してしまうには、あまりにも現実的ではなかった。
平日の移動自体は、比較的気楽だ。
だが、GM室のある支店へ戻る時間帯によっては、渋滞に巻き込まれ、
二時間以上かかることも珍しくない。
往復すれば、三時間以上を移動だけに費やす日もある。
最低でも、週に一度はミーティングのための移動が入る。
ゼネラルマネージャーの業務は多岐にわたるが、その分だけ、絵里奈は確かなやりがいを感じていた。
今日は、金曜日。
出来ることなら、少しでも早く戻りたかった。
絵里奈は追い越し車線へ出ると、
アクセルを、深く踏み込んだ。
ーー
伊織が執筆した本は、売れ行き好調だった。
出版社には、連日のように取材依頼が舞い込んでいる。
個人情報が表に出ないよう、取材対応は出版社を通し、伊織自身はコメントのみを残す形にしていた。
メディア対応は、もともと得意ではない。
人前で、畏まって話すのが苦手なのだ。
加えて、本来のあまのじゃくな性格もあり、相手や場が真面目であればあるほど、ついふざけたくなる。
その点は、絵里奈にもよく指摘されていた。
すぐ調子に乗るのね、と。
だから、できる限り人前で話す機会は避け、発言も一言、二言に抑えるよう心がけている。
現在は、二冊目となる本の執筆中で、ブログや自身のサイト運営と並行して進めていた。
本業だった会社員はすでに辞め、独立している。
肩書きは、一応「作家」ということにしていた。
自営業となれば、各種手続きはすべて自分でこなさなければならない。
だが今の時代、そうした作業はずいぶん楽になった。
印税以外にもいくつかの収入源はあるが、管理に手間はかからない。
家を買って住むことには、あまり興味がなかった。
仕事は、パソコンとネット環境さえあれば、どこでもできる。
それに、絵里奈も、いつ異動になるか分からない。
家を持てば、その分、身動きが取りづらくなる。
時刻は、昼を少し回ったところだったが、変わらずパソコンに向かっていた。
会社員を辞めてからは、一日一食、夜だけ好きなものを食べる生活だ。
籍を入れてからは、絵里奈と食卓を囲むことも増えたが、
一人の時は、仕事部屋で簡単に済ませている。
最近は、絵里奈の帰りも、さほど遅くならない。
伊織は、キーボードを叩く指に、自然と力を込めた。




