24.尾行
水原は、足を緩めることなく、歩いていた。
金曜日の定時後にしては、寄り道の気配がない。
誰かと合流する様子もなく、スマホを操作する時間も短い。
篠崎は、その事実だけを記憶に留めた。
住宅街に入る。
人通りは途端に減り、街灯の間隔も広がっていく。
ここからは、距離を詰めすぎないことが重要だった。
水原は迷いなく歩く。
帰宅経路が身体に染みついた者の歩き方だ。
いくつか角を曲がり、細い道へと入っていく。
篠崎は、一つ手前の角で立ち止まり、足音が消えるのを待った。
やがて、視界の先にマンションが現れる。
水原はそのまま中へと消えていった。
篠崎は、建物の名前と番地を、頭の中でなぞった。
金曜日の夜だった。
彼女は、真っ直ぐ家に帰った。
銀狼の姿は、なかった。
それからも、篠原は退社後、できる限り尾行を続けていたが、
水原が支店から出てくるのは大抵20時は過ぎ、そしていつもまっすぐに家に帰る。
マンションの周りには、死角になるような場所は無く、人影も少ない。
張り込みには適しておらず、水原がマンションに入るのを見届けてから、
すぐに立ち去るようにした。
篠崎は、独身だった。
支店の近くにアパートを借りて、一人暮らしだった。
趣味は、テレビゲームだった。
ハクスラと呼ばれるジャンルを好んでいた。
淡々と、敵を倒し、ドロップアイテムをひたすら収集する。
難しいボタン操作は必要ない。
ゆっくりだが、着々とプレイキャラが強くなっていく。
また、ビルドと呼ばれるキャラの装備を構築していくのが好きだった。
今日も今日とて、ゲームの電源をONにする。
スマホが鳴った。
「はい、篠崎です」
「木崎や…どや?」
篠崎は、通話の受話音量を下げる。
「はい、今のところ、銀の狼には遭遇できておりません」
「さよか…もう一か月は経つのに、何の連絡もしてこうへんで、なにやっとんかなと
心配しとったとこや」
「申し訳ございません。ですが…」
篠崎は、木崎にこれまでの現状を説明する。
「報告に値するものがありませんでした」
「なーるほどな。どうにかして、マンションは、張れないんか?」
「あそこは…無理です」
エントランスや駐車場の中で、潜めるような場所を探してみたが、
死角になるような場所が無い。
さらに都内と違い、車社会の地方では、男が、昼でも、夜でも、一人で徒歩で、
うろうろしているだけでも訝しがられる恐れがある。
「分かった。引き続き、頼むで」
「はい」
そう言って、篠崎は通話停止の赤いボタンを押した。
木崎の命令だから、と仕方がなく引き受けたが、
やっていることはストーカーと一緒だった。
これまでの調査で、おそらく金曜日以外の平日に銀狼と会う可能性は少ないことが分かっていた。
もちろん、一緒に住んでいるとも考えられる。
自分が尾行できない時間帯に行動しているとしたら、
見つけることは困難だ。
なにぶん、知っている情報が少ないのだ。
そこも含めて、自分で探れ、という意味なのだろう。
嫌になりつつも、銀狼を調査する、という名目で
水原のプライベートを探ることに若干の嬉しさもあった。
水原は、確か四十代後半のはずだが、
背筋の伸びた立ち姿と洗練された装いが、
年齢という枠を軽々と越えていた。
均整の取れた体つきも崩れはなく、
三十代と言われても疑う者はいないだろう。
本社には女性社員も少なくないが、
水原ほど完成された佇まいを持つ者は、記憶にない。
女性社員たちは皆、丹念に化粧を施し、意中の男の前でだけ可憐さを演じる。
痩せたいと口にしながら、休憩時間には無意識のように菓子を摘まむ。
視線が消えた途端、とりわけ男の目がないと知れた瞬間に、
その仮面はあっさりと剥がれ落ちる。
勤務時間中も、
銀狼との接点が無いかを探るため、水原の行動を注視しているが、
常に誰かに見られている、という意識があるのだろう。
全く隙を見せない。
篠崎は惹かれ始めていた。
かといってこの想いがどうにかなるわけでもない。
明日は金曜日だ。
そろそろなんらかの収穫が必要だ。
篠崎はそう思っていた。
定時になり、支店の業務は終了した。
今日はノー残業デーである。
篠崎は支店を出て、今日も尾行の準備をする。
潜む場所は、毎日変えているし、ここはまだ駅に近い場所で、人通りもそれなりにある。
怪しまれることも無いだろう。
支店のメンバーが次々に出てくる。
最後に、水原が支店のエントランスから出てきた。
今日はいつもと違い、
エントランス前の歩道で立ち止まり、周囲を見渡している。
待ち合わせだろうか。
篠崎は、万が一にも見つからないように、
慎重に様子をうかがう。
すると、水原に近づいてくる男がいる。
水原は、男に向かって手を振る。
銀狼か、と篠崎は思った。
最高級のメルセデスに乗り、銀色のスーツを着た堂々とした姿。
その佇まいには、凛として、孤高を感じさせる出で立ち。
周囲を圧倒するような雰囲気を纏っている。
だが、今、水原と一緒に歩き出した男とは、
聞いていた様子とはまるで違う。
服装は清潔ではあったが、
誰かの記憶に残るような組み合わせではなかった。
周囲を威圧するような気配もない。
顔立ちは、距離は離れていたため分からない。
別人かもしれない。
篠崎は、歩き出した二人の後を
5、6メートルほどの間隔を保ったまま、ついていく。
二人は、駅の方向へ向かっている。
10分ほど歩いただろうか。
二人は、駅前の居酒屋に入っていった。
外からガラス越しに中の様子が見える。
二人はカウンターに座っていた。
入口から見て、左の奥に水原、
その隣に男が座っている。
客席はまだ19時にもなっていないせいか、さほど埋まっていない。
店内に入ろうか、どうか迷っていた。
もし銀狼なら、写真は撮っておきたい。
ガラス越しにスマホを構えたが、よく映らない。
やはりもう少し近づかないとはっきりしない。
店内に入って、もし気づかれたら、
一人で飲みに来たとでも言えばいい。
気づかれない自信はあった。
店内にそっと入る。
店員が声をかけてくる。
「おひとりさまですか?」
「この後、連れが来ます。全員で4名」
カウンターには座れない。
気づかれないに越したことは無い。
篠崎は、嘘をついてテーブル席を狙った。
「かしこまりました」
店員に案内されたテーブル席は、
ちょうどカウンター席の二人の様子がわかる場所だった。
仕切りがあるため、
向こうからこちらには気づかれないだろう。
スマホを構えて、ズームにする。
仕切りの間から、のぞき込み、録画ボタンを押す。
水原と男が横を向き合って、
談笑している様子がうかがえる。
声まではよく聞こえない。
30秒ほど経過した。
店員が注文を取りに来る気配を察して、
停止ボタンを押して、スマホをしまう。
「ご注文は?」
「ウーロン茶で。あとは、みんなが来たら」
「かしこまりました」
店員が去っていく。
それから10分ほど、
篠崎はスマホのカメラで、
二人の画像や動画を隠し撮りした。
親密な関係なのは、見て分かった。
ということは、やはり水原の夫の銀狼と呼ばれている男なのだろう。
水原が普段、支店では絶対に見せることのない表情をしている。
男のほうは、端正な顔立ちで、
装いを整えれば、確かに女は色めき立つだろう。
二人の姿をはっきり捉えることができたことに
満足した篠崎は、店員を呼んだ。
「申し訳ない、来る予定だった人たちの一人が事故に遭った」
「それは、大変だ」
「だから、今日はやめにするよ、申し訳ない」
「いえいえ、そんな」
篠崎は、ウーロン茶とお通しの代金を払い、店を後にした。
篠崎は家に戻り、木崎にメッセージとともに画像と動画を送った。
標的の写真送ります。ご確認ください。
私の印象では、銀狼なのは間違いないとは思いますが、
別人の可能性もあります。
引き続き調査を進めてもよろしくでしょうか?
それから篠崎は、またゲームを開始する。
30分ほど経過したところで、
スマホにメッセージが届いた。
引き続き、頼むで。




