23.使役される者
水原が、再婚した。
木崎は優子から知った情報を簡単に外部には漏らしたりしない。
水原という性は変えてない。
優子には、新婚の絵里奈を負担を減らしてやろうと言って、篠崎の派遣を提案した。
優子もそれはいいと言った。
木崎の本当の狙いは、別にあった。
銀狼。
本社で一時期噂になった、絵里奈の婚約者だった男だ。
今はそのまま絵里奈の夫になっている、ということを密かに優子から聞いて知っていた。
その男がどんな人物なのか、木崎は単純に興味が湧いたのだ。
木崎は、一度も見たことは無かった。
木崎は若い頃、優子に子どもを宿させた。
優子は「シングルマザーになってもいい」と言って産むことを選び、
それ以来、木崎の内縁の妻のような立場に収まった。
木崎が外で女遊びをしても、優子は口を挟まなかった。
一方で、本妻は大阪にいる。
二人の結婚はお見合いによる政略的なもので、愛情は初めからなかった。
籍を置いているのも、互いの事情がそうさせているだけだった。
木崎は、専務室にある男を呼び出していた。
篠崎。
特に、裏方的な仕事の能力が抜きんでており、
職場では、面倒な書類仕事や、申請関係の事務手続きを中心とした業務を行っている。
「失礼します」
ノックをしてから、篠崎が扉を開けて入ってきた。
緊張している様子は見えない。もしくはそう見せないようにしているのか。
「まあ、座れや」
「はい」
専務室のソファに、篠崎を座るように促す。
「篠崎…お前、最近どや?」
「は?どう、とおっしゃられても」
「そろそろ、上にあがりたいんとちゃうか、思うてな」
「はあ」
昇格試験は合格している。
後は、会社のプロモーションを待っているだけだった。
この男の仕事は、地味な裏方の事務処理が中心で、
ほかの営業部門などのような派手な実績が上げにくい。
いわゆる、順番待ち要員の一人だった。
ただ、この篠崎という男、実務能力は非常に高い。
存在感が無いが、優秀。
スパイにうってつけの人材だった。
「頼みがあるんや」
「頼み?…専務が直々にですか?」
そもそも一般職に就いている篠崎が、専務に呼ばれたこと自体違和感を覚えるが、
そこでさらに頼みと来ている。ただ事ではない。
「実はな…」
木崎は、誰にも聞こえないように、小声で篠崎に耳打ちした。
篠崎は、東京駅のホームで、新幹線を待っていた。
北関東エリアのある支店に赴任するためである。
半年間だけだが、応援という名目で、木崎から水原GMの監視を命じられた。
正確には、水原ではなく、その婚約者とされている男の調査だった。
専務室で直々に命じられた。無論、内密に行う。
「…調査?」
「せや。北関東エリアのえり、お、おほん、水原GMおるやろ?」
「はい」
「男がおるはずや。例のあの…」
「銀狼、ですか?」
「そやそや、その男」
「その、銀狼が何か?」
「いやあ、なに、そのどんな奴か思うてな。ちいと調べてきてほしいねん」
篠崎は、不思議に思った。
専務ほどの権力者なら、その程度の事、
わざわざこんなことしなくてもどうにでもなるはずだ。
探偵を雇うなり、本人を直接呼び出せばいいのだ。
「…」
「ワシが調べてることがばれたら、まずいやろ?」
篠崎の心を見透かしたかのように木崎は、言った。
「専務が自ら水原GMに問いただせばよいのでは?」
「あかん、あかん、そんなことしたら今はほら、
あれやろ?ハラスメントがどうのってやつや」
会社において、社員のプライベートの事を聞くのは、
確かにそういうリスクがある世の中だ。
「それにな、篠崎、お前を上にあげるのに、ちょっとした実績も必要やろ?なあ」
「専務、それは」
「なあに、どんな男かちょいと、写真とか撮影したり、
噂とか、教えてくれるだけでええんやて」
「はあ・・・」
「水原GMを見張っとったら、そのうちわかるやろ?」
「見張れ、ということですか?」
なおのこと、自分が呼ばれた理由が不明だった。
「お前、仕事はできるっちゅうのにこのままでええんか?」
「…」
「半年間、うまいことやってくれれば、わしが口きいたるで」
篠崎は、木崎が、自分の影の薄さを利用しているのだ、ということが分かった。
篠崎は、少し息を止めるだけでも、ほとんど気づかれずに、人の背後をとれる。
人の一倍、気配が無いのだ。
それに、専務に直々に頼まれたからには、篠崎には当然、断れるはずもなかった。
「かしこまりました」
「頼むで」
篠崎はソファを立って、木崎に一礼をした。
専務室を出ようとドアノブに手をかける。
木崎が言った。
「…もし調べてるの、バレたら、お前が興味本位で勝手にやったことにせえ」
木崎が本気で言っているのは、声のトーンで、背中越しでも理解できた。
「もちろんです」
冷汗が出た。発覚したら、解雇だろう。
うまくやらねば。
篠崎は専務室を出た。
水原GMは、男達の羨望の的だった。
多分、今は40歳後半にもなっているはずだが、社内での人気は高い。
一度、寿退社をしたが、新田の女癖の悪さが治らず、離婚して、会社に復帰してきた。
水原GMの元夫である新田のことを篠崎はよく知っていた。同期だったのだ。
入社当時から、新田は営業で色めき立っていた。
篠崎は内部監査部門として、着々と仕事をしてきた。
その新田が、営業部の華だった水原と結婚したと聞いたときは、
水原は仕事はできるが、男を見る目は無かったのだな、と思った。
実際に、数年後に破綻した。
篠崎は、新田が水原と結婚した後も、女遊びをしているのを聞いていた。
さらに悪い噂も流れていた。
内部監査部門にも新田の素行に関する調査依頼が来たのだ。
新田は借金をしていた。その返済に関して、不思議な点を見つけたので、
篠崎は外部機関も使って調べた。
内部監査機関は、探偵も経費で雇うことができるのだ。
探偵の報告書を見て、篠崎は衝撃の事実を知った。
水原が身体を使って、短期間で一括返済していたのだ。
篠崎は、その時、新田に殺意すら湧いた。
実は、篠崎も当時の水原に仄かな恋愛感情を持っていた。
性格的にも奥手な篠崎からすれば当然、手が届くはずもない。
篠崎は新田を事情聴取のため、呼び出した。
「なんだよ、篠崎、改まって」
ここは内部監査部門が使用する部屋だった。
不正の嫌疑がある社員に事情聴取をする際に使用する。
通称、取調室。
「新田。これは事実か?」
報告書をまとめたもののコピーを新田に見せる。
取調室の中は、全部録音と撮影がされている。
「どれどれ・・・」
新田は報告書のぺらぺらめくる。
「…まあ、そうだね」
悪びれる様子も無く、新田がおどけて言う。
「どうして、こんなことを?」
「こんなことって?」
「奥さんに借金を返させたんだろ?」
「…ああ、そのことか」
新田は、状況を説明する。
「サラ金で金借りて、返せなくなったら、家に来たんだよ」
篠崎は腕を組んで黙って聴くことにした。
「分割でなんとかするって言ったら、いい話があるって」
「いい話?」
「残高200万円、利息までつけて全部一括で返す方法があるって」
「それが…」
「ああ、アダルトサイトに出て、再生回数稼げば一発だって」
何十万単位で、嘘の請求をする。
本当に支払ってしまう人間をターゲットにした広告や
フィッシングによる被害が後を絶たない。
特に、闇サイトになると、悪質なウイルスを仕込み、
PCに潜り込み、本人の住所などを特定してしまうケースもある。
「なぜ、奥さんを?」
「いやあ、だって、すぐ返せるっていうから、一か月もあれば十分だって」
こんな状況でも、冷静を保たなければならない。
「あいつは最後まで嫌がっていたけどな」
「それが、どうして?」
「いない隙を狙って、本人確認書類のコピーを渡した」
外道とは、まさにこいつのことだ。
篠崎はそう思った。
「なんで、自分の奥さんを?」
「いやだって、そりゃ、美人も三日で飽きるっていうでしょ?」
「何だと?」
「そもそも俺にゃ、結婚とか向いてなかったんだって」
「…彼女は今どうしている?」
「さあ、知らないね」
「知らない、だと?」
「俺が、女を連れ込んでいるときにさ、あいつ、帰ってきたんだよ」
「何…?」
「その後、そのまま出て行って、それっきり」
篠崎は、あきれるしかなかった。
この男は何も変わっていないし、反省もしていない。
これからも変わらないだろう。
水原も何故こんな男を選んだのか。
「新田。今、会社に、ある方面からまた問い合わせが来ている」
「何?」
「交友関係筋からだ。またお前悪い女に引っかかっているんじゃないか?」
「ああ、なんとかしておいてよ、篠崎、な?」
篠崎は冷静を装っていたが、内心は逆上していた。
怒りを抑え込む。
どうしようか思案していると、勢いよく扉が開いた。
片桐だった。
篠崎は慌てて、席を立ったが、
篠崎には目もくれず、新田に歩み寄る。
篠崎は言葉を探していた。その瞬間だった。
「…へ?俺?」
片桐は、次の瞬間、新田を殴り飛ばしていた。
「か、片桐常務?!」
篠崎が声を上げる。
新田は、椅子から転げ落ちるようにしてひっくり返っていた。
その新田に、片桐は馬乗りになる。
「ひいい?!」
新田は悲鳴をあげるが、片桐は言葉を一言も発せず、新田を殴りつづける。
篠崎は、はっと我に返る。
「片桐常務、落ち着いてください、おい、誰か」
複数の内部監査の社員が部屋に入り、片桐を抑える。
「離せ」
「常務、おやめください」
ようやく片桐を新田から引きはがす。
片桐は、自分の拳についた血をぬぐう。
「…篠崎監査官」
「何でしょう、片桐常務」
「今、新田の妻である新田絵里奈を医務室に保護している。事情を聴いてもらいたい」
「なぜ会社にいるんです?」
篠崎がそういうと、片桐は居並ぶ社員を見渡して言った。
「屋上から飛び降りようとしていたのを発見した」
そこまで言うと、片桐は取調室を出て行った。
自殺未遂。
自分がかつて働いていた会社の敷地内で。
しかも、夫はその会社の社員。
篠崎は、決意した。
この男は、抹殺されなければならない。
社会から。
新田が、血だらけの口を押えながら、つぶやく。
「ぼ、暴力、み、みたよな、…訴えるぞ?べ、弁護士を…よ、よべ」
その場にいた内部監査の社員たちは、唖然とした表情で新田を見つめる。
誰も言葉を発せず、眉をひそめたり、
口をあんぐり開けたりして、あきれ返っているのが明らかだった。
自分の妻が自殺しようとしたのに。
やがて、その中の一人が小さく声をかける。
「…篠崎監査官、どうします?」
篠崎は、冷たい視線を新田に向けながら、怒りを抑えて静かに言った。
「…今回の件は、新田社員が自分の妻に対して、
本人確認書類を無断使用した、私文書偽造罪にあたるケースだ」
新田はうめき声を上げ、体を小さく震わせる。
「え、な、なんだ、そりゃ…」
篠崎は一歩前に踏み出し、声のトーンをわずかに低くした。
「さらに、DVの事実もある。社内処罰規定に照らせば、懲戒免職は確実だろう」
「ちょ、ちょっと、まてよ…」
篠崎は言葉を途切れさせず、冷徹に続けた。
「ついでに言えば、もし彼女が訴え出た場合には、
借金の弁済義務も生じる。支払えなければ、刑務所もありうる」
新田は目を見開き、体を後ろにひいてうめく。
「…え?」
篠崎は少し間を置き、声をさらに低くして言った。
「片桐常務による新田への暴力については、別途事情を含め調査する。
だが今は、新田絵里奈への事情聴取が先だ」
新田は何も言えず、ただ俯いてうなだれる。
篠崎は書類を片手に、そのまま医務室へ向かった。
医務室のドアを開ける。
医務室のベッドにはカーテンが敷いてある。
カーテンの外で声をかける。
「片桐常務から伺いました。内部監査の篠崎と言います」
「…どうぞ」
「失礼します」
カーテンを開けると、ベッドの上で、寝ている新田絵里奈がいた。
返答をしたのは、人事課の中村だった。
「…今、ちょっと眠ってる」
「そうですか」
「話を聞きたかったんでしょ?」
「はい。片桐常務から、事情を聴いてもらいたいと」
「報告書は読んだ?」
「はい、先程一通りは」
「全部、事実。本人から聞いた」
「そうですか」
「だから、お願い。…男性に、あんなこと話したくないはず」
アダルトサイトに出て、再生回数を稼いでいたことだろう。
本当かどうかが証言が取れれば良いだけだ。
「…分かりました。中村さんが、報告書の中身に関する証言を取ったということで進めます」
「ありがとう」
ベッドで眠りについている新田絵里奈を見る。
顔しか見えないが、やつれ果てていた。
髪は、明らかに手入れがされておらず、メイクもしていない。
頬がこけて、閉じている眼の下の隈が、心労を語っていた。
営業部の華と言われていたが、今は見る影もない。
「では、失礼します」
退室しようとする篠崎に、中村が言う。
「篠崎監査官」
「なんでしょう?」
「…絵里奈の旦那は、いるの?」
「現在、事情聴取で、取り調べているところです」
「そう…」
怒りのせいなのか、悲しみのせいなのか、中村は涙ぐんでいる。
「ひどすぎるわね。どうする気?」
「これから検討します」
「私なら、絶対に許さない」
「失礼します」
自分もそう思っている。
篠崎は、医務室から出ていった。
新幹線から降りて、スマホを開き、グーグルマップに入力する。
赴任する支店は、駅から遠くはないようだ。
今、時刻は12時少し前。
篠崎は昼食を取ってから、支店に行くことにした。
駅構内を歩きながら、新田は考えていた。
氷の薔薇…
あの時は、枯れていた花だった。
今では、ますます輝きを増しているように思える。
見極める。それだけを、篠崎は胸に秘めていた。
それが任務なのか、それとも私情なのか。
篠崎自身にも、まだ判然としなかった。




