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薔薇の氷 -Relight-  作者: 水原伊織


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22.疑念

絵里奈は、GM室のPCに表示された人事情報のデータを、無言で確認していた。

来週、本社から篠崎という社員が、期間限定の応援としてこの支店に派遣される。

その詳細は、優子から送られてきた資料に簡潔にまとめられている。


つい先日、副支店長を支店長へと昇格させたばかりだ。

さらに、その後任として地元で雇用していた社員を副支店長に据えた直後でもある。


「……このタイミングで?」


思わず、独り言のように声が漏れた。

人手は確かに多いほうがいい。

だが最近は、北関東エリアの二店舗とも目立ったトラブルはなく、社員の時間外実績も減少傾向にある。

むしろ、落ち着いていると言っていい状況だった。


時刻は平日の十四時。

絵里奈は少し考えたあと、スマホを手に取った。


「もしもし」

「あら、絵里奈。どうした?」


人事部長である優子の声は、いつも通り軽やかだった。


「今、大丈夫?」

「このあと会議あるけど、まだ少し時間あるわよ」


「…あのさ、篠崎さんって」

「あー、見た?」

「私よく覚えていないんだけど、以前、内部監査かなんかにいたわよね?」


優子は一拍置いてから、今回の人事異動の背景を語り始めた。

どうやら木崎専務の差し金らしい。


「水原GMを少しでも楽にしたれや、って言って、木崎専務が決めたのよ」

「木崎専務が……?」

「まあ、私も正直、掴みどころがなくて、よく分からない人ではあるんだけどね。でも、絵里奈が抱えてる雑務をやらせるには、うってつけだと思ったから、私も承認したの」

「……そうなんだ」


通話を続けながら、絵里奈はPCの画面をスクロールしていく。

職務経歴に目を通す限り、特段の問題はない。むしろ優秀な部類だ。


それでも胸の奥に、説明のつかない違和感が残った。


「でもさ、こっちから応援要請は出してないよね?」

「誰からも出てないわよ。まあ、専務の責任ってことで、いいんじゃない?」

「……それが、なんか引っかかる」

「何か気づいたら、また電話して。そのときは私から木崎専務に言うから」

「了解」


通話を終え、絵里奈は深く息を吐いた。


GM室を出ると、支店にいるメンバーを集め、今回の人事について簡単に伝える。

表向きは、あくまで本社からの期間限定応援。それ以上でも、それ以下でもない。




翌週の月曜。

朝、出社してきた絵里奈の身体には、まだ昨夜の余韻が残っていた。

伊織の息。

触れた指先の温度。

重ねた唇の感触。


最近はお互いの仕事が少し落ち着いてきた。

交わり合う時間も、回数も、自然と増えている。


今朝も出かける直前まで、玄関で何度も唇を重ねてきたばかりだった。

身体は温かい。確かに満たされている。


それなのに。


心のどこかが、妙に落ち着かない。

温もりと不安が同居する、この奇妙な感覚。

それが何を示しているのか、絵里奈自身にも分からなかった。


支店の中は、外の寒さとは対照的に、暖房の効いた穏やかな空気に包まれている。

だが胸の奥には、先週から続く小さなざわつきが、まだ消えずに残っていた。


午後、本社から篠崎という男が派遣されてくる。

謎だった。

優子の口調だけを思えば、考えすぎなのかもしれない。

それでも、この違和感は、簡単に拭えなかった。




十三時過ぎ。

支店の入口に現れた男は、黒縁の眼鏡に整ったスーツ、背筋の伸びた姿勢。

どこか、隙がない。


篠崎。

資料の写真で見た印象よりも、実物はずっと無機質だった。


「失礼します。篠崎です。本日からお世話になります」


GM室に入り、絵里奈の前で一礼する。

声は丁寧で柔らかい。

だがその柔らかさが、表層に過ぎないことを、絵里奈は直感的に感じ取った。


「水原です。今日からよろしくお願いします」

「いえ、とんでもないです。水原GMのご負担を、少しでも軽くできればと」


水原GM。

その呼び方に、心がわずかに揺れた。

優子の言葉と、木崎専務の差し金、という話が脳裏をよぎる。


「こちらが、担当していただく業務の流れになります」


資料を差し出した瞬間、視線を感じた。

篠崎の目は紙面ではなく、絵里奈の表情を静かに観察している。


やっぱり、この人。ただの応援じゃない。


優子の「雑務をやらせるにはうってつけ」という言葉が、今はまるで、別の意味を帯びて聞こえた。


篠崎は資料を丁寧に閉じ、何事もなかったかのように口を開く。


「では、本日からよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


絵里奈は微笑んだ。

だがその笑みの奥には、

篠崎という男の“目的”を探ろうとする、静かな警戒心が確かに宿っていた。


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