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氷の薔薇と銀の狼 -Relight-  作者: 水原伊織


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21/73

21.「来れる?」「行く」――隣同士の部屋で過ごす、100万部作家とGM(彼女)の贅沢な平日。

伊織は、仕事部屋として借りたマンションの一室にいた。

引っ越しからひと月が経つが、執筆やブログの更新に追われ、

合間を縫っての作業では荷物の整理まで手が回らない。


前の家からの引っ越しは驚くほど楽だった。

ほとんどの物を捨ててしまったからだ。

新しい部屋にも生活に必要な物は置いたが、あくまで最低限に留めた。

買い替えたトレーニング機材や、ノートPCの定位置だけはきちんと整えてある。


1LDKのこの部屋では、自然とリビングで過ごす時間が長くなる。

運動不足だけは避けたいと、自己管理には気を配っていた。


寝室には一応ベッドを置いたものの、ほとんど使っていない。

眠るときは、隣の絵里奈の部屋へ行くからだ。


本来なら、広めの部屋を借りて一緒に暮らすのが自然なのかもしれない。

だが平日は絵里奈の帰りが遅く、伊織の存在が負担にならないよう、

あえて別々の部屋を借りた。

とはいえ、部屋は隣同士で、ほとんど同棲と変わらない。

ラインが来れば、すぐに駆けつけられる距離だ。





午後3時。

部屋の整理に一段落つけ、近くのスーパーへ食料品の買い出しに向かった。

歩いて行ける距離なのはありがたい。


マンションに戻ると、今度は絵里奈の部屋に入り、

買ってきた食材を冷蔵庫へ詰め込む。


夕食を作っておこうかとも考えたが、

帰宅時間が読めないうえ、食べる量も日によって違う。

かえって負担になりかねないと思い、今日はやめておいた。


そのままバスルームに入り、掃除を終える頃には17時になっていた。

絵里奈の支店の勤務時間は9時から18時だが、

家に帰ってくるのは早くても19時を過ぎる。


一度自分の仕事部屋に戻り、再び執筆に向かう。

隙間時間でも仕事ができるのが作家という職業だ。

サラリーマンのように時間が決められているわけではない。


逆に言えば、時間の使い方は完全に自由で、

締め切りさえ守ればいい。


だからこそ、生活が不規則になりすぎないよう、

自分なりに気をつけている。




仕事部屋には、キーボードを叩く音が響く。

時間は20時を過ぎていた。


集中する時は、まさしく寝食を忘れる。


金曜日の夜から日曜日の夜までの時間は絵里奈と過ごしたいので、

伊織は平日、絵里奈が仕事中に出来る限り仕事を進める。


隣の部屋から、物音が少しだけ聞こえる。

絵里奈が帰ってきているようだ。


絵里奈の方も伊織に配慮しているようで、

平日は他愛もない事でラインをあまりしてこない。


それに、お互いに1人になって落ち着きたい時もある。

そういう意味では、この仕事部屋を作ったのは正解だ。


そのまま仕事を続けていると、スマホが鳴る。

絵里奈だ。


ご飯食べた?

まだ。

来れる?

行く。


いつも通りの短いラインのやりとりをして、伊織は部屋を出た。


絵里奈の部屋に入ると、ふわりといい匂いがした。

シャワーを済ませたばかりの絵里奈が、夕食を二人分作っていた。


「おかえり」

「ただいま」


メイクを落とし、部屋着に着替えた姿。

この無防備さを知っているのは、伊織だけだ。


以前は専業主婦だったこともあり、絵里奈は料理が得意だ。

平日の忙しい中でも、こうして夕食を作ってくれる日がある。

そんな時、伊織は必ず食べる。


「うまい」

「うふふ」


向かい合って食べる夕食は、特別なことをしなくても満ち足りていた。


片付けを終えると、伊織はソファに座る絵里奈の隣へ腰を下ろす。

本当は、今すぐにでも抱きしめたい。

だが今日はまだ木曜日。

伊織は良くても、絵里奈の仕事に響いてしまう。

もう若くはない――その自覚が、ふたりの距離をそっと保たせていた。


時間は22時を少し過ぎていた。


寝る準備を整え、ふたりで寝室に入る。


「伊織……エッチ、してもいいよ?」

「いや、絵里奈。明日の夜まで我慢する」

「そっか。じゃあ、おやすみ」


絵里奈は布団に入り、伊織もその隣に横になる。

静かな呼吸が重なり、部屋の灯りが落ちていく。





翌朝、伊織はいつものように、絵里奈より少し早く目を覚ました。

カーテン越しの光が、寝室を淡く照らしている。


隣では、絵里奈が規則正しい寝息を立てていた。

起こさないように、そっとベッドを抜ける。


キッチンに立ち、コーヒーの豆を挽く。

豆を挽く音もあまり立てないようにしている。


平日の朝は、こうして絵里奈の生活リズムを邪魔しないようにしていた。

時計を見ると、6時半。

絵里奈が起きるまで、まだ少し時間がある。


7時前、寝室から微かな物音がした。

ドアが開く気配。


「おはよう」


寝起きの、少し掠れた声。

絵里奈は、まだ眠そうな顔で立っていた。


化粧をしないと顔が激変する女性も多いが、絵里奈は違う。


その眠たげな目を見るだけで、胸の奥がゆるむ。

この朝の顔を見られるのは、自分だけだと思うと、不思議な幸福感があった。


「コーヒー、あるよ」

「ありがとう」


二人並んで、キッチンカウンターに立つ。

会話は少ないが、沈黙が気まずいわけではない。


「今日は、少し早く帰れるかも」


「そうなの? でも無理しないでいいよ」

「うん」


微笑んで、絵里奈はカップを両手で包む。

その横顔を見て、伊織は思う。


こうして一週間を乗り切り、週末を迎える。

それだけで、十分だ。


出勤の準備を終えた絵里奈を、玄関まで見送る。


「いってきます」

「いってらっしゃい」


ドアが閉まる音がして、部屋は静かになる。

伊織はそのまま、仕事部屋へ戻っていった。



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