15.渇望
GMに就任した絵里奈は、当然ながら最初の数ヶ月は仕事に追われた。
新店舗は、今の支店から東へ車でも電車でも一時間半。
地方特有の交通の不便さもあり、マセラッティを走らせる日が増えた。
営業車はスタッフが使うため、自分の足で動くしかない。
朝は現支店に顔を出し、副支店長へ引き継ぎを済ませる。
その後で、新店舗へ向かい、スタッフのフォロー、新規開拓の営業。
気づけば毎日があっという間に過ぎ、帰宅はいつも20時を回っていた。
翌日の準備をして、ようやく一日が終わる。そんな日々が続いた。
金曜日の夜、伊織に会えるはずの時間も、気づけば20時過ぎ。
土日にも、溜まった仕事をテレワークで片付けたり、支店に出向いたり。
一方の伊織も、副業のブログの執筆が絶好調で、書籍化が決まったらしい。
締め切りに追われ、こちらも余裕がない。
仕事は充実している。
けれど、寂しさは日に日に募っていった。
毎日ラインはしている。
でも、本当は会って話したかった。
隙間時間に伊織が来てくれることもあったが、本業と副業の両立で疲れているのが分かった。
それでも絵里奈は、伊織の心が離れることはないと信じていた。
ただ、どうしようもなく寂しくなり、金曜の夜にひとりで泣いてしまう日もあった。
そして今日、金曜日。
ようやくお互いの時間が合った。
会うのは一ヶ月ぶり。
伊織は書籍の原稿が一段落し、
絵里奈も新店舗オープンから三ヶ月が経ち、業務が落ち着き始めていた。
19時。
絵里奈はマンション前で待っていた。
メイクも服もバッグも、そして下着まで、すべて伊織のために整えて。
メルセデスが静かに停まる。
ハザードが点滅し、運転席から降りてきたのは、銀狼と呼ばれたあの姿。
「久しぶり」
「伊織ぃっ!」
堪えていた涙が溢れ、絵里奈は飛びついた。
「会いたかった…絵里奈」
「私も…ずっと…」
後部座席にエスコートされるが、絵里奈はすぐに助手席へ移動する。
「後ろじゃなくていいの?」
「うん」
頬にそっと口づけると、ルージュの色が伊織の肌に淡く移った。
「会いたかったよ、伊織」
「絵里奈…綺麗だよ」
唇が触れ合い、久しぶりの温度に胸の奥が熱くなる。
メルセデスは夜の街へ溶け込んでいった。
走りながら、伊織はふと若い頃に行ったレストランを思い出した。
左手でハンドルを握り、右手で絵里奈の肩を抱き寄せたまま。
店に着くと、絵里奈も覚えていた。
「ここ、まだやってたんだ」
「20年ぶりだな」
その後はドライブ。
助手席のドリンクホルダーに置かれたハイボールが懐かしい。
夜景を見ながらキスを交わすたび、ルージュの色が伊織の肌に淡く移った。
今日の絵里奈は、ずっと伊織に寄り添っていた。
午前0時。
久しぶりの再会で、ホテルも考えた。
だが今日は朝まで一緒にいたかった。
シャワーを浴び、ベッドへ向かう。
部屋の匂い、シーツの匂い、そして絵里奈の匂い。
そのすべてが、離れていた時間を静かに思い出させる。
黒の下着に白い肌が映え、息を呑むほど美しい。
照明を落とした部屋で、彼女の輪郭だけが柔らかく浮かび上がる。
隣に座ると、絵里奈がわずかに肩を寄せてきた。
絵里奈の肩に触れたとき、わずかに身じろぎした。
拒む気配ではない。むしろ、こちらに寄り添うような静かな温度だった。
「……久しぶりだね」
小さくつぶやくと、絵里奈は目を伏せて微笑んだ。
その仕草だけで、胸の奥がじんと熱くなる。
シーツがわずかに擦れる音がして、彼女がそっと近づいてくる。
湯上がりの髪から、懐かしい香りがふわりと立ちのぼった。
その匂いに触れた瞬間、離れていた時間が一気に押し寄せてくる。
指先が彼女の頬に触れる。
その柔らかさに、思わず息を呑んだ。
どれだけこの感触を求めていたのか、自分でも驚くほどだった。
絵里奈が顔を上げる。
暗がりの中で、瞳だけがまっすぐこちらを見つめている。
そっと抱き寄せると、絵里奈の呼吸が肩に触れた。
その温度が、久しぶりに帰ってきたという実感をくれる。
唇を重ねる。
触れた瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
懐かしさと切なさが入り混じり、どうしようもなく彼女を求めている自分に気づく。
絵里奈もまた、同じように腕を回してきた。
その力の入り方に、言葉以上のものが宿っていた。
離れていた時間を埋めるように、互いの存在を確かめ合った。




