12.銀狼
2人は都内の高級ホテルのスイートルームにいた。チェックインしたのは、15時。
伊織は、スーツを脱いで少しだけベッドで横になっていた。
メルセデスは、長距離運転でも疲れにくいが、地方在住の伊織には、都内の道路は苦手だ。
絵里奈が伊織の隣に座った。
「今日はありがとう」
今日は会議の後で、絵里奈もスーツ姿だった。
静かな気品をまとったダークネイビーのセットアップだった。
ジャケットとスカートは、同じ色で、白のシルクブラウスのインナーを着ていた。
隣に座った絵里奈に語りかける。
「あれが、絵里奈の会社か、大きいね」
「本社だからね」
「そういえば支店には、まだ行った事無いな」
あくびをしながら言うと、絵里奈が立ち上がった。
「少し休んでて。後で、起こすわ」
絵里奈は、ベッドルームからリビングへ移動していった。
伊織は、もう一度あくびをすると、ぼうっと天井を見つめていた。
今、俺は、生きているよな?
何かに向かってつぶやいた。
自分に対して?
そんな事を考えている内に、眠りについたようだった。
はっと気がつくと、横に絵里奈が添い寝をしていた。
眼を開いて、じっと、伊織を見ている。
「ふふ…寝顔、見てた」
「…」
「どうしたの?」
「いや、最近、俺、満たされ過ぎて」
絵里奈の顔を、見つめる。
「それでも、もっともっと色々な事をしたくなってる」
「ふむふむ」
「て、いうか、いつからいたの?」
「ちょっと前。散歩して帰ってきたら、まだ寝てたから」
「そうなんだ」
「伊織…寝顔は、昔のまま」
絵里奈が、じっと見つめてくる。
「私…とっ〜ても幸せよ、伊織」
「絵里奈…」
「貴方は?」
そうだ。俺は今、幸せなんだ。
「俺も、幸せだよ、絵里奈」
そのまま、2人はしばらく抱き合っていた。
ぐ〜、と腹が鳴る。
そういえば、2人とも昼から何も食べていない。
「行こうか…」
「うん」
2人はベッドから起き上がり、身支度を整えて、部屋を出た。
夜八時過ぎ、ワインを片手にソファで並ぶ。
絵里奈のスマホが鳴る。
優子からの電話だった。
「もしもし、優子?」
「絵里奈ぁー、なあに、あれ」
「え、何?」
優子は酔っているようだ。
「映画の撮影かと思ったわよー」
「ああ、昼間の?」
「今日はあの後、絵里奈達の事で、話題は持ちきりよ」
「そうなんだ」
「皆で噂してるわよ」
「どんな?」
「薔薇の氷を溶かしたのは、銀色に耀く男、銀狼だって」
絵里奈は、自分が氷の薔薇と揶揄されているのを優子から聞いて知っていた。
見た目は綺麗だが、誰も氷を溶かして中に触れられない、だそうだ。
「銀狼、だって」
絵里奈は、伊織の方を見ながら会話を続ける。
「私は、見えなかったけど、なに、公衆の面前で、熱いハグにキス?
誰がどう見ても彼氏でしょ、彼氏。勝てそうな男、ウチの会社にはいない」
「効果てきめんね」
「えー?」
「ん、何でもない」
「まー、とにかくそういうわけだから、来月の会議の時にまた、詳しく話すわ」
「分かった、ありがとう、優子」
「じゃあ、イケメン彼氏によろしく」
そこで、通話が切れた。
「氷の薔薇、か。言い得て妙だね」
通話の後、伊織が言った。
「勝手な噂よ」
絵里奈はそう言い返す。
伊織は、絵里奈の肩を抱き寄せる。
「下僕からスタートして、ここまで来た」
「今じゃ、銀狼だって」
絵里奈が笑いながら、伊織を見つめて言った。
人生を振り返ると、悔やんだ事ばかりだった。
絵里奈と再会してからの2年は充実していた。
間違いなく、俺は、生きている。
「銀狼、か。確かに、白髪増えたかな?」
「なにそれ、あはは」
「いっその事、髪を銀色にしようかな?」
「えー、似合うかな?」
「やってみないと、分からないよね」
2人はしばらくして、寝室に移動した。
向かい合う絵里奈が伊織の髪を撫でてくる。
伊織は、絵里奈のバスローブの紐を解き始める。
「…伊織…」
うるんだ瞳で真っ直ぐ見つめてくる。
髪の匂い。白い肌。
何度交わっても、途切れる事の無い想い。
若い頃、初めて付き合った絵里奈の事は、実は、ずっと心に残っていたのだ。
その後、あんなに切なくなるほど、誰かの事を考えた事は無かった。
こんな風に交じり合う事は、若い頃には出来なかった。
年月を重ねた2人だから、溶け合うように、愛し合う事が出来るのだ。
時を飛び越えた2人の愛を、ベッドサイドのイヤリングの光が照らしていた。




