104.「もう肩の力を抜いていい」。仕事に生きた女が、年下の夫と見つけた本当の居場所。絵里奈が贈った、最高の賛辞。
白いスタジオの柔らかな光が、優子のドレスのレースをふわりと浮かび上がらせていた。
篠崎は、カメラマンに「少し近づいて」と促されるまでもなく、自然と優子の肩に手を添えている。
二人の距離は、写真のためというより、ようやくここまで来た実感を確かめるためのものに見えた。
「緊張してる?」
優子が小さく笑う。
「してるよ。でも、悪くない」
篠崎の声は、いつもより少しだけ低い。照れと誇りが混じったような響きだった。
シャッターが切られるたび、二人の表情がほどけていく。
ポーズを作るというより、互いの存在に触れながら、静かに夫婦になるという事実を受け入れていく時間だった。
撮影が終わると、近くのレストランへ移動する。
ごく親しい友人だけが集まった小さな個室。
そこには、片桐、木崎と伊織、そして絵里奈の姿もあった。
個室に入った瞬間、優子は思わず息をのんだ。
白と淡いグリーンを基調にしたテーブル装花が、スタジオの光とはまた違う、柔らかな温度を帯びて迎えてくれる。
「おめでとう」
最初に声をかけてきたのは絵里奈だった。
「絵里奈、ほんとに来てくれたのね」
「優子のためのだもの、ね?」
横に座る伊織に向く。
「おめでとうございます、優子さん、そして海斗」
「ありがとうございます、伊織さん。そして、先に式挙げちゃってすみません」
伊織と絵里奈は旅行には行ったものの、式は確かに挙げていない。
「いや、海斗、いいんだ。盛大なやつを後で挙げる」
「さすが伊織さんですね」
伊織と絵里奈の向かい側に並んで座っているのが木崎と片桐だった。
「なあ、優子…ホンマに、ワシらだけでええんか?」
「ええ…今日は、もともと写真だけの式のつもりだったから」
「まあ、中村、いや、今は篠崎人事部長らしいといえばそうだが…」
片桐が相変わらずの固い口調で言う。
反対側のテーブルには、篠崎の両親、優子の息子、つまり木崎との間の息子がいて、優子の母親がいた。
皆それぞれの挨拶は済ませていた。
木崎の息子である中村正人は、もう社会人になっていて、全てを打ち明けられていた。
今回の結婚には、反対はしなかった。
席につくと、料理が静かに運ばれ始める。
グラスが触れ合う音、控えめな笑い声、皿の上でナイフが滑る音。
大きな演出はないのに、祝福の気配が部屋いっぱいに満ちていた。
「篠崎は、あれやもんな、優子が初めての女性やねんな」
木崎がからかうように言う。
「あ、いや、まあ、そうですけど」
「幸せなやっちゃ、のう片桐?」
「…お前が言うのか?」
会場のみんなが笑う。
そして、伊織が立ち上がって、グラスを持ち上げる。
すでに足はほとんど治っていた。
「じゃあ、改めて。二人の門出に、乾杯」
全員がグラスを軽く持ち上げる。
優子は、胸の奥がじんわりと満たされていくのを感じていた。
派手さはない。
でも、今日という日は、彼女の人生の中で確かに“特別”だった。
篠崎がそっと優子の手を握る。
その手は、スタジオで触れたときよりも、少しだけ強く、確かだった。
「それにしても、会うのはホントに久しぶりですね」
「ああ、ずっとリハビリだったからね」
伊織と篠崎の会話で、リハビリの話が出る。
「伊織さん、よく歩けるようになったね」
優子も、伊織達の事を聞いてくる。
「…全部、絵里奈のおかげですよ」
伊織は、横にいる絵里奈を見ながら言う。
「しっかし、一時は、会社、どうなることかと思ったがのう」
「木崎、今日は仕事の話はやめよう」
「お前が言うんかい?!仕事人間のお前が」
周囲からも笑いが起きる。
店員がタイミングを見計らったように新しい皿を運んでくる。
白い皿の上に、淡い緑のソースが筆で描いたように広がり、まるでさっきのスタジオの光を思わせた。
「きれい…」
優子が思わずつぶやくと、篠崎が横で小さく笑う。
「今日の優子さん、には敵わないけどね」
「ちょっと…海斗、そういうの急に言わないでよ」
照れた声に、周りの視線がふっと集まる。
「お、海斗、そういうのはどんどん言うべきだ」
伊織が海斗をほめると、絵里奈が制するように言う。
「時と場所によりけりよ、伊織」
そう言って微笑んだ。
そのとき、正人が静かにグラスを持ち上げた。
「母さん」
呼ばれた優子が、少し驚いたように息をのむ。
「…うん?」
「今日、来られてよかった。母さんが幸せそうで、俺も嬉しい」
言葉は短いのに、胸の奥にまっすぐ届く。
優子は思わず目を伏せ、唇を噛んだ。
「ありがとう、正人」
木崎が、どこか照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「お前、ええこと言うやんけ」
「父さんこそ、さっきから茶化してばっかりでしょ」
「茶化してへんわ。まあ、ちょっとは茶化したけどな」
片桐が呆れたように「ちょっとじゃないだろう」と言い、また笑いが広がる。
その笑いが落ち着いたころ、絵里奈がふと優子の方へ身を寄せた。
「ねえ、優子」
「なに?」
「今日のあなた、すごく綺麗。でもね、それ以上に、安心してる顔してる」
優子は一瞬だけ目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。
「そうかもしれない。やっと、肩の力が抜けた気がするの」
「うん。そう見える」
篠崎が、優子の手をそっと握り直す。
その手は、先ほどよりもさらに温かかった。
「これからは、二人でゆっくり歩いていけばいいんだよ」
伊織が言うと、絵里奈が「そうそう。焦らなくていいの」と続ける。
「…ありがとうございます」
優子は、胸の奥に広がる静かな幸福を噛みしめるように目を閉じた。




