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薔薇の氷 -Relight-  作者: 水原伊織


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10.証愛

伊織の変貌ぶりに、伊織の会社の人間達は驚いていた。

今の会社で、メルセデスのSクラスに乗れる人間などいない。

伊織は当たり前のように、毎日乗って通勤してくる。

自分は、絵里奈の婚約者なのだ。そういう誇り高き思いがある。


今までの伊織は周囲の人間に合わせるかのように、

気を遣ってくだらない会話や愚痴に参加していたが、一切やらなくなった。


自らの価値を自分で陥れる意味は無い。


年功序列の、のんびりとした会社で伊織は孤高でありつづけるようにした。


伊織は、金との付き合い方を学んだ。

以前はずっと、家族のためにと、金を使わなかった。というより、

元妻に全てを預けたまま、向き合う事をしてこなかった。

欲しいものを辛抱して、買わないことを美徳とすら思っていた。

結果、自らの価値を高めるための投資を怠っていたのだ。


金は停滞すると逃げていく。

血液と同じで、うまく循環させる事が、最も効果的に働くのだ。

預金通帳の残高自体は、そこまで入っているわけではないが、

他の金融資産を併せれば、余裕が出来た。


一億は超えるだろう。

つまり、それだけの価値が自分に付いているのだ。


身だしなみ、言葉使い、立ち振舞い、すべてにおいて自らの価値を下げるような事は避けた。

絵里奈と並んだ時、釣り合わない、と誰にも思われたくなかった。




日曜日。

絵里奈の実家は、彼女のマンションから車で一時間ほどの距離にある。

伊織はスーツに着替え、メルセデスを走らせて迎えに向かった。


マンションの前で待つ絵里奈は、カジュアルな服装ながらもどこか柔らかな雰囲気をまとっている。


運転席から降りた伊織は、お待たせ、と声をかけ、自然な仕草で助手席へとエスコートした。


「どうぞ」

「ありがとう」


はにかみながら乗り込む絵里奈の横顔に、

伊織は胸の奥が温かくなるのを感じた。


かつてはこうした些細なやり取りに照れやぎこちなさがあったが、今はむしろ心地よい。



絵里奈の実家に到着した。

伊織の胸に緊張が走る。


車を降りる瞬間、背筋が自然と伸びる。

絵里奈は逆にリラックスしていて、その余裕が伊織を少し安心させた。


玄関で声をかけると、奥から女性が現れる。

柔らかな笑みと関西弁に迎えられ、伊織は深々と頭を下げた。


「お邪魔します」


固さを隠せない自分に気づきながらも、誠意だけは伝えたいと思った。


リビングに通されると、男が静かに座っている。

伊織は正座し、名を名乗る。


心臓の鼓動が速まるが、言葉は不思議と落ち着いていた。

男は水原です、と答えた。


「絵里奈さんから、聞いているとは思いますが」

伊織が、そう言うと、水原、つまり絵里奈の父が頷く。


「色々と聞いているよ、勿論」


一呼吸おいて、伊織が言った。


「この度、絵里奈さんと、共に人生を歩んで行こうと決心しました」


水原は黙って聞いている。


「私も2度目にはなりますが、絵里奈さんとの結婚の許可をいただきに参りました。

何卒、ご許可をよろしくお願いします」


そこまで言い、伊織は頭を下げた。


伊織は、不思議と落ち着いていた。


「伊織君」

「はい」


頭を上げて、伊織は返事をした。


「…絵里奈の事は、勿論全部知った上で、今回の事を決めたの?」


絵里奈の、前回の結婚生活の事や体質の事を言っているのだ、と伊織は思った。


絵里奈はいつの間にか横に座っている。

絵里奈の母も、水原の隣にいた。


「…はい、すべて承知の上です」

「もう、我々もいい年だ。娘の将来だけが心配だ」


伊織は、黙って聞いていた。


「娘があの男のせいで傷をつけられて、離婚した。

きっと、もう娘は結婚しないだろうと、思っていた」


水原は、絵里奈の方をちらっと見た後、うつむいて言った。


「だがそれは、娘が最期は孤独になる事を意味する」


伊織にも、前妻との間に娘がいる。

気持ちが痛いほど分かった。


「どこの世界に娘に孤独になってほしいと願う父がいようか」


伊織は頷きながら聞いていた。


「しかし絵里奈がまた同じように、不幸を味わうくらいなら、とも思っている。だが、最後は、やはり絵里奈が決める事だ、とも思う」

「お父さん」

「いい大人同士だ。とやかくは言うまいが、私達が不安になるのも分かってくれるね?」

「はい」

「そこまで、分かっていてくれればいい」


水原は少し頭を下げた。


「娘を、絵里奈を、お頼み申し上げます」


伊織も、また再び頭を下げた。



帰り道。婚約者という立場になった実感がじわじわと広がる。

絵里奈が、寄って、と指をさした先は、行きつけのアウトレットモールだった。


駐車場で助手席のドアを開ける。

伊織は、かつてなら気取っている、と思われるのが嫌だった。


今は自然に行う。

絵里奈が嬉しそうに微笑む。

この笑顔が見たいのだ。


絵里奈と手を繋いで、アウトレットモールの中を歩く。

行きつけの店があるらしく、足取りは軽快だった。


「ここ」


絵里奈が入っていくと、店員が出迎える。顔見知りのようだった。


「いらっしゃいませ」

「こんにちは」


女の店員が挨拶に来ると、伊織に気づいた。


「あら、水原様、こちらの方は?」

「私の、フィアンセ」


伊織の胸に誇らしさと照れが同時に込み上げた。


「今日は、どうなされます?」

伊織が店員に聞かれる。


「彼女は、自分の買い物を、私は、彼女のプレゼントを」

「まあ…ホントに素敵」


店員は、絵里奈より少し年上だろうか、見た目に出ているが、

やはり高級品を扱う店の店員らしく、品のある出で立ちをしている。


「店内を見てもいいですか?」

「勿論でございます、どうぞ」


絵里奈に、似合いそうなアクセサリーを、店内をみて回る。

絵里奈は、また別の店員と話をしている。絵里奈は、多分お得意様なのだろう。


見たことも無いようなアクセサリーを眺めていると、絵里奈がやってきた。


「今日の記念に、と思ってこの店に来たのよ」

「どれが欲しいの?」

「え、買ってくれるの?やった」


絵里奈は、伊織の腕を掴み、連れて行く。

見ると、指輪があった。


「どう?婚約指輪」

「婚約指輪?結婚指輪、じゃなくて?」

「結婚の指輪は、貴方が別にお揃いで用意するんでしょ…?」

確かに、と伊織は思った。

様々な種類があった。


「今日は、好きな物を買うの」

「なるほど」


店員が説明を始める。

絵里奈は、選んだようだ。

シックな感じのデザインで、シルバー色の指輪だった。


「これにします」


絵里奈が店員に言うと、伊織も、同じものをもうひとつ下さい、と店員に言った。


「まあ、ありがとうございます」


店員は、満面の笑みを浮かべ、その指輪を準備しはじめた。


伊織は、ケースの片隅にあったイヤリングが目に留まった。

やはり、シルバーで、輝き方が他の物と違うように思えた。

イヤリングを見ていると、店員が伊織に気づいた。


「こちらの品は…」


生産自体が限定的な品で、世界中どこを探してもなかなか手に入らないらしい。

店側もたまたま手に入ったといっており、イヤリングの中では、値段も桁違いらしい。

伊織は、この店に入ってから、値札を見てない事に気がついた。

気になって、伊織は、スマホでさらに調べる。


「なるほど…」

「保有しているだけでステータスになるような品物でございます。

従って、ふさわしい方に身に着けていただきたいという想いから

価格もそれ相応の値段にさせていただいております」


王室の職人が手作業で、王室の女性達向けに戯れで作ったものらしい。

物自体は、さほど高級な素材を使っているわけではないが、繊細な細工が施してあるようだ。

推定で数十個くらいしか製造していないらしく、コレクターの間では、相当な値段がついていた。


世界中、どこを探しても、手に入らない。

愛する女に渡すのに、これ以上相応しい物は無い。


「このイヤリングを、彼女にプレゼントしたいです」

伊織は、言った。

店員が驚愕して、まあ、と大きな声をあげた。


「すぐにご用意致します」


店員が準備を始める。

絵里奈が、慌てて寄ってきた。


「何かあったの?店員さんがちょっとびっくりしてたよ」

「いや、あのイヤリングを絵里奈にプレゼントしたいって言っただけだよ」

「…ん、どれ?」


絵里奈が、ケース越しにイヤリングを見る。


「こ、これ?ホント?え、ウソ?え、どうして?」

今度は、絵里奈が狼狽する。


「世界中何処探しても無いって言うから」

「当たり前よ、だって、これ…」


絵里奈が、どこそこの誰がどうやって作った、みたいな説明をまくしたてている。

伊織が調べた事と、ほぼ一致していた。


「…ホントに、これを、私に?」

「うん」


伊織は、なんでもないような風で言った。

価格など、どうでも良かった。

初めて、自分が気に入ったアクセサリーなのだ。



「こちらでございます」

ゴム手袋を身に着けた店員が、箱に入ったイヤリングを差し出してきた。


「身に着けて行かれますか?」


絵里奈は、戸惑っていたが、伊織が、はい、と言った。


「かしこまりました」


伊織は、箱からイヤリングを手に取り、絵里奈に渡した。

絵里奈は、緊張しながらも慣れた手つきで、イヤリングを両方の耳に着けていく。

シルバーの輝きが秀逸で、やはり、絵里奈に似合う。

伊織は、そう思った。

店内から拍手が起こる。祝福の音が二人を包み込む。

絵里奈は、目に涙を溜めていた。

伊織は胸の奥で静かに思った。


もう過去の自分ではない。これからは彼女と共に歩むのだ。




「本日のお会計、こちらでございます」


店員が伝票を差し出す。指輪二つで二百万円、イヤリングは一千万円。


「お支払いは、いかがなさいますか?」

「クレジット、一括で」


伊織はカードを端末に通し、暗証番号を入力した。

処理が終わり、領収書を受け取る。


「本日はありがとうございました」


オーナーをはじめ、複数の店員に見送られながら店を後にした。


外に出ると、絵里奈が少し戸惑ったように問いかける。


「伊織…嬉しいけど、値段が」

「絵里奈、イヤリング似合ってる。とても綺麗だ」

「…本当にいいの?貰って」

「世界中どこを探してもない。絵里奈と一緒だよ、俺にとっては」


自分で言っていてちょっと恥ずかしい。

照れ笑いを浮かべる伊織に、絵里奈も頬を赤らめて笑った。


預金残高は半分になったが、伊織は気にしなかった。

生活に必要なローンや家賃さえ払えれば、あとはどうにでもなる。


彼にとって、ためらわず使うべき額、は今の年収から逆算して一千万円と決めていた。


「こんなイヤリング、初めてだよ」

「さすがに一千万は買ったことはない?」

「ないない、イヤリングだよ?」

「でも、メルセデスより安い」

「値段、気にしなかったの?」

「正直に言うと…見てなかった」

「えええ〜!」


絵里奈は呆れながらも、鏡に映る自分の耳を何度も眺めていた。


「私も、このイヤリングにふさわしい女にならなきゃ」

「十分だよ、絵里奈」


二人は腕を組み、夕暮れのアウトレットモールを歩いた。

翌日は仕事。早めに帰路につくことにした。


家に戻ると、絵里奈は指輪とイヤリングを並べて写真を撮り、嬉しそうに眺めていた。

伊織も同じように写真を収め、後でブログに載せるつもりだった。


ソファに座ると、絵里奈が抱きついてくる。

軽いキスの後、彼女はそっとイヤリングを耳にかけた。


銀色の輝きが灯りに反射し、伊織には一層官能的に見えた。


「…伊織、シャワー浴びよ」

「うん」


二人はバスルームへ向かう。水音に紛れて吐息が重なり、互いの温もりを確かめ合う。


「絵里奈…俺には、君しかいない」


その囁きに、絵里奈は微笑んだ。


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