第6節・戦闘終了
爆発後、わずかに揺らめいた思念体。しかしそれ以上に体制が崩れなかったため、倒しきれなかったと判断し、2歩距離を取る。同時並行で右手に微かに残った自分の血を針状にし、自分の左手首を切りつけた。――残り18秒。
リストカットにしては腕側過ぎる箇所。人生で何度も繰り返しているため、今更場所は間違えない。致死量には至らないが少なくない血が噴き出し、落下せず宙に浮く。5つほどの血の塊に分け、その内4つをコウの周りに飛行させた。十分な量の血が排出出来たため、術で出血を緩和する。――残り14秒
「穿て」
唱えると、4つの塊を瞬間的に棘状に変形し、四方から思念体を突き刺す。――残り11秒。
「爆ぜろ」
唱えると、コウに突き刺さった血が爆散する。内側からの爆発。今の田亀彼方が使える中で最大威力の攻撃。これで消えてくれなければそもそも勝ち目は無いため、コウの消滅の確認を待たず、数歩で落との距離を詰める。――残り8秒。
残った最後の血の塊に、気持ち程度、術で緩和しているとは言え流れ出る血を上乗せし、操作し、落のより広範囲にかかるよう、塗るように浴びせる。――残り5秒。
そして。
「蝕め」
ジリジリと音が鳴る。不動だった思念体が僅かに揺れる。――残り2秒。
やれる事はもう無い。一歩下がり、二対の思念体両方を視界に入れられる場所に立つ。――0秒。
時間が動きだす。この町にしては珍しい強風が吹き、校舎の下から運動部員達の雑踏が聞こえた。まるでその平和な雑踏に効果でもあったかのように、雑踏の音に浄化されるように、二対の思念体は崩れ、消えていく。
数秒間その涼しさで逸る心臓を落ち着かせる。
屋上の扉が開いた。対象がここへ来たのだろうが、ひとまずは問題無いだろう。飛び降りるつもりだったがそうさせていた感情が綺麗さっぱり無くなり、心変わりしたはず。見ると、愛野に袖を掴まれながらも意気揚々と楽しそうに、無邪気な子供のような満面の笑みのショートボブの女が居た。
目が合った、というのは気のせいだ。作戦通りなら、愛野が今、認識妨害をかけているはず。向こうはこちらを認知していない。出血を止めるための術に対する集中力を上げ、可能な限り出血を抑えつつ、扉の横で待機している真中のほうへと歩み寄る。
「ね、ねぇ、危ないってば。戻ろう? 清水さん」
引き留める愛野と、満面の笑みから一変、不思議そうな表情へ変わり、怪訝な面持ちへ変わり、眉を顰め、しかしすぐに何かを思いついたかのような目を見開く。無言のまま百面相をするその女には、どこか見覚えがあるような気がした。まぁでも、同じ学校なのだから見覚えくらいはあるか。
脇に置いていた鞄を回収し、屋上から退散する俺と真中。あとは愛野に任せるとして、
「いったんどっかの教室か俺んちで情報整理とすっか」
1階まで降りた所で真中にそう提案すると、
「そんなわけがないだろう? まずは保健室だ」
シャツの襟を掴まれた。
連行される宇宙人みたいに無理やり連れ込まれた保健室。保険医はちょうど不在だったが、真中は慣れた手つきでいろいろなものを取り出す。
「座っていてくれ」
座らされ、
「こうなってしまうのは仕方がないと理解しているけれど、こうなってしまった後の対応については間違わないで欲しいものだね」
説教されながら、左肘を肩の高さまで持ち上げられる。
「ほら、手を握って」
言われなれた指示に黙って従い、親指を包むように軽く拳をつくる。腕に注射を打たれる時のあの仕草だ。机の上に肘を置こうとしたが「まだもう少し高く」と持ち上げられてしまった。
「別に問題ねぇっつうのに、これくらい」
ぼやいているうちに肘から少しズレた場所が縛られていた。これ行動制限されるから嫌いなんだよなぁ。
「持っていてくれ」
そう言われたので、自分の左手を自分で持つ。傷口が心臓より下にならないようにするためだ。だるい。
真中はポケットから取り出したスマホを操作する。すると、俺の鞄から聞きなれた振動音がした。真中はどうやらグループMAINにメッセージを送ったようだ。愛野に「保健室いる」とでも送ったのだろう。
もう少し何か操作したかと思ったら、聞いた事がある音楽と、聞いた事がある声が聞こえ始める。その声が語りだすのは、別に、本当に、人生においてなんの役にも立たなそうな、内容が無い事を逆に誇っているかのような内容。
『みなさん、プロのアスリートにスポーツで勝ってみたいと思った事、ありませんか? 私はね、あります』
ねぇよ。
その音声を垂れ流しにしながら、そのスマホを机の上に置き、真中は俺の左肘を持ち直す。俺は全てを真中に押し付けて画面をのぞき込む。そこには、やはり、何度か見た事がある顔が3つ映っていた。
「イチャモンズだったか」
「スイッチャーズだよ。mytubeランキング上位の人気配信者達をそんなクレーマーみたいな名前にしないでくれ。あと、いつも見ているのだから、良い加減覚えなよ」
「別に俺は見てねぇ。お前が勝手に流してるだけだろうが」
「よく言うよ」
『本日のスペシャルゲストはこちら!』『どうも~、志藤晴也で~す』『おおー! マジか!』『そう、プロサッカーチーム、サイバーズFCのフォワード、志藤晴也選手が来てくれました!』
誰だよ志藤って。オリンピックだのワールドカップなら流石に見たことあるが、わざわざテレビで観戦なぞしないから、全く凄さが解らん。
「少し術を解いて」
言われ、少しだけ緩める。消毒液が染み込んだガーゼを押し当ててきた。少しだけ染みるが、動じるほどではない。
「しかし流石スイッチャーズ、ワールドカップにも出た事がある選手だよ? さすがに解るだろう?」
「出た事あんのかよ」
なんかさっき頭の中でワールドカップなら流石に、とか思っちゃったのがエアプみたいになっちまったじゃねぇか。そうだよ、ワールドカップの出場選手なんて知らねぇよ。
『私は今日ね、晴也選手に勝ちたいんですよ!』『いやいやいやいや、絶対無理やて』『無理では無いんです! そう、みなさんの力があれば! いや、私たちのファンの心があれば!』『なんかすごい宗教みたいな事言いはじめよった!』『というわけで晴也選手は私達3人といろいろな陸上競技で勝負をしてもらいますが、そこで一勝する度に、敗者の想いを、私達のファンの気持ちを背負ってもらいます』『えー、どういう事ですか、こわいこわい』『こちらです! このために作りました、ファンの気持ちTシャツ!』『気持ちがめっちゃ物理やった!』『というわけで今回の企画! プロが何枚重ね着したら素人でも勝てるようになるのか検証~!!』
こんなくだらねぇ事のためにどんだけの金使ってんだこいつら。しかも背後は無人の運動場。このために貸し切りにしたのかよ。
「はい、終わったよ。少しずつ術を解いてみて」
言われた通りにする。血がドバっと出てくる感触は無い。10秒ほどかけて止血のために回していた術を解除した。
わちゃわちゃとした画面が流れる。
『あー! 今の惜しかったんとちゃう!?』『それ! 手ぇ伸ばせば届きそうだった!』『いや、まぁ、Tシャツ5枚も着ると流石に息がしにくいですね』
「それよりも、スイッチャーズは3人交代制なのに、志藤はずっと出ずっぱりだから、のほうが影響が大きいと思わないかい?」
「そりゃそうだろうが、毎日運動しまくってるプロなんだから、それも良いハンデなんじゃねぇのか?」
「そうかなぁ、やりすぎな気もするけど」
わちゃわちゃ。
『なんで……っ! なんでこれで勝てないの!?』『プロなんで』『かっけぇ~!』
「20枚着てなんでこんな動けんだ。シルエット変わってんぞ」
「走り方もかなり情けないフォームになっているのにね。フォームが崩れても運動出来るというのは、僕には考えられない」
「んなもん俺だって」
「――二人とも、ちょっと熱中しすぎじゃない?」
いつの間にかスマホの後ろに愛野が立っていて、取り上げられてしまった。
「まったく保健室に来てるっていうから心配したのに。下校時刻もあるし退散したほうがいいんじゃない? あたしめっちゃ頑張ったんだから誰かモックか何かくらい奢ってくれても良いと思うんだけど」
早口でまくされ、まぁ報酬はあっても良いかと考える。
「モックはダメだ」「えー」「報告もある。俺んち行くか、カラオケとかだな」
そう言いながら立ち上がると、愛野は「やった」と小さく拳を作った。なんで喜んでんだこいつ。
「それは僕もお邪魔してしまって良いのかな?」
「? たりめぇだろ、来ねぇでどうする」
「あたし、透子さんの作った鶏大根が食べたい」
「なんで俺んちで飯食う事になってんだ。奢りなら買い食いでも良いだろ」
「僕も久しぶりに透子さんのご飯が食べたいなぁ。透子さん、普通のメニューと一味違って美味しいんだよね」
そりゃ、俺の母親は凝り性かつ拘りが強い人間だからか、料理にオリジナル要素を加えたがる。小学校の時、たまに失敗したものの処理をさせられる事があった俺からすると迷惑な趣味だが、客人が居る時には自信作しか出さないため、なるほど、こういう評価になるわけだ。
「んな事いきなり言われても、飯二人分の追加なんぞできねぇだろ」
「まぁそう言わずに」
真中は俺の鞄から俺のスマホを取り出し、俺に渡してきた。スマホの位置はさっき着信のバイブ音がした時点で把握していたのだろう。
「透子さんの事だから、もしかしたら予想してるかもしれないだろう?」
「俺の母親をなんだと思ってんだ」
まさかそんなわけがない。と思いつつ、MAINでメッセージを送ってみる。返信は早かった。
『ババぁ。飯二人分追加なんて出来ないよな。出来ないと言え』
『そう言うと思って、既に作り始めているわ』
どう言うと思ってたんだよ、嚙み合ってねぇよ。
「決まりだね」
「流石透子さん。お母さんに連絡しとこ」
俺を置いて話は進む。別に嫌という事は無いが、釈然としない。
各々が荷物を持ち、保健室から出る。自転車2人と徒歩一人。一緒に帰るという考えは無いため、ふと気になった事を言う。
「そういや、なんか見覚えあったな、あいつ」
屋上での出来事を思い出す。思い出すというか、今の俺の仕事における中心人物なのだから、念頭にはずっとあった。
「あんたマジで言ってんの……?」
愛野が軽蔑に近い目を向けてくる。いやいや、もともと俺は他人に興味が無い。そのことはこいつも知っているはずだ、今更とやかく言われる筋合いは無いのだが、愛野は続けてこう言った。
「――清水千佳。こないだの修行の時に助けた子じゃない。流石に数日で忘れるのは薄情すぎない?」
ああ、まぁ、それなら、多少とやかく言われる事もあるかもしれない。




