第4節・大人げない大人達の宴
俺の住む場所や高校こそ田舎だが、割と近くにそれなりに栄えた町もある。より正確には、一時的に栄えてその時の栄光を未だに残している市か。
南口は駅を中心に、大学、高校、工場が並び関係者以外にはとことん関係無い土地。対する北口は、昼は5階建て前後のオフィスビルがいくつか立ち並び飲食店となけなしの観光地によって栄えた準都会として学生や社会人の昼飯を供給し、夜は居酒屋やスナック、キャバクラが酒と性を提供する色町と化す。
苦労と欲望が渦巻くこの場所は強い思念体がうじゃうじゃ――という事は無い。欲望を発散する施設があるという事は、感情は溜まらないという事。思念体は願いが叶わず淀み固まったものだ。欲望の街では意外と強くならない。
汚い欲望を目の当たりにしすぎて男性嫌悪に陥った風俗嬢や、恋愛ごっこで多額の稼ぎを失った事で女性嫌悪に陥る中年男性みたいな思念体もあるにはあるが、まぁ、わけあってこれらの思念体に苦戦する事は無い。魔心導師も馬鹿では無いので、遭遇率の高い思念体には定型的な対策が対処が産み出される。
そんな訳有りなようでどこにでもあるような夜の街を片手に木刀を持って練り歩く。
俺達の事など目にも留めず3人で談笑している客引き。コンビニの前で電子タバコをふかしながら「申し訳ございません」と丁寧に謝るスーツの男。腕を組むおっさんとギャルの多分カップル。それらを横目に通り過ぎる中で、いくつもの思念体を見かけた。とはいえ、どれも大した事は無い小さな思念体ばかりだ。どれも俺が気にするべき状況ではないだろう。これは見回りだけで済みそうか、と高をくくっていたのだが……。
「またか……」
雑踏で気付かなかったが、足元に這う細い鎖を見つけた。人が多いためはっきりとはしないが、どこまでも伸びているという事を経験が知っている。足で小突くとぶにゅりと気色悪い感触がしたが、行きかう人々の足はそれを何も無いかのように通り過ぎていく。そう、思念体だ。今日のお勤めは、こいつの処理という事にするか。
スマホを取り出し時間を確認する。20時手前。俺が街を跋扈しはじめてから40分弱。まぁ、初めての修行にしては上出来だろう。
鎖を辿って大通りから路地に入る。その路地からも一本抜けた先で、その鎖は『girls barびびっと』と描かれた店に繋がれている。まぁ当然夜の店だ。この鎖の案内によって、俺もすっかり行きつけになってしまったよ。中に入った事は無いけど。
で、俺のご指名はというと、丁度、今出勤らしい。俺達が来た道から曲がってきた女。鎖のもう一方はその女に繋がれていた。これは形が示している通り、夜の店の従業員を維持したいという強い思念が鎖になっているもの。だが、思念体とは基本的に、形を成せない、成してはいけない思念を押さえつけた結果暴発するように吐き出される物。先述した通り、発散されている欲望は思念体になりえない。つまり、店がそのキャストを維持したいという気持ちが思念体になっているという事は、維持してはいけない理由があるという事だ。
そして何より、それだけじゃない。そのキャストにはまだ思念体が憑いている。足にへばりつくような、足にすがりつく何かのような、その足をそのままどこかへ引きづりこもうとしているかのような、見にくい何か。色街あるあるで、まぁもっと色街の深いところに落ちてきて欲しいという欲望の群れだろう。ここに来るまでにこいつを見かけてか、あるいはずっと追っかけているファンでも居るのか、そいつらが下心を全開にしては居るが、こちらも上述の通り、願う事が許されない願いという事になっている。だらか思念体にまで昇華している。にしてもあの思念体、いくつかの頭が繋がった輪っかみたいな形なんだが……こう、あれに似てるんだよな。あれ。言わぬが花だろうが、あれ。
店に維持したいが許されない。ガールズバーのキャストよりもっと色街の深みに落ちて欲しいが許されない。その理由は一目で解る。――このキャストが成人では無いからだ。
真っ黒の髪にいくつかのワンポイントメッシュで赤が入った髪。色町に相応しい、キャストである事を誇示するような派手なメイク、派手な服。そしてそれらでは隠し切れない幼さと華奢さ。しかしどこか凛としていて鋭い目。クールロリとか言えば一部の性癖持ちから大人気だろう。
え、ちょまって、あれ。
そんな声がどこからか聞こえた気がした。っち。ここに来て失格か。いや、まぁ、よくやったほうか。
ともあれ、俺は、いけしゃあしゃあと当然のように夜の店に出勤しようとするどう見ても着飾っただけの未成年女の前に立ち、木刀を構える。女は俺に気付かず、普通に歩く。
俺は言う。
「絶」
そして、時間が止まる。目の前の女の動き、ネオンの点滅、風、全てが。いや、誇張だ。全てではない。
絶。これは、簡単に省いて説明すると魔心導師が自分の思念と空間を限定的に同一と仮定すると時間が止まる事を利用した術だ。何故思念と空間を繋ぐと時間が止まるかはいつか気が向いたら。
そういうわけで思念と空間を繋いだゆえに時間が止まっているという事はいろいろあって
『ぎしゃあああああ!!』
女の足元にへばりついていた思念体が奇声を上げ、蠢いた。そう、時間停止のこの空間、思念体は普通に動けるのだ。
「ぷはぁ!」「ぷぐ」
後ろから二つの声が聞こえた。だが、今は構わず、思念体に集中する。
今は奇声を上げながら蠢くだけの思念体。これを生き物と判断するかは人それぞれだろうが、こいつらにも防衛本能がある。攻撃をすれば反撃される。とはいえ大した知能も無い。攻撃をしない限り、誰が敵かを判断出来ない。そのため、先制攻撃が約束されている。
「遥香! 左側を縛れ!」
「んっ!」
俺の命令に対し、後ろからどこか力の抜けた声が返答する。俺は斜め右前へ駆ける。
数歩で消えた、女にまとわりつく思念体と俺の距離。
女を中心に、左側は遥香が術で縛っている、正面は俺が踏みつけた。そして右側――女と思念体の間に突き刺すように木刀を差し込んで、押し広げる。歯を食いしばり限界まで広げ続けると、ジリジリと、そして最後は破裂するように、その思念体が裂けた。
左手でポケットから魚の形の醤油差しを取り出す。弁当によく付いているアレだ。中には醤油ではなく赤い液体。
醤油差しの口の部分を歯で食いちぎりながら右手の木刀を手放し、醤油差しを右手に持ち替える。そして、どこが頭部かも、いや頭部があるかも解らんみゃくみゃく様みたいな思念体の、さっき奇声を発していた部分の鷲掴みにし地面に叩きつけた。叩きつけた先には鎖の思念体。そして、頭の中でイメージを浮かべる。先ほど醤油差しから取り出した俺の血が、思念体の内部に入り込んで暴発するイメージを。
そのイメージが現実となり、某みゃくみゃく様みたいな思念体は爆ぜ、鎖の思念体は断ち切られた。戦闘終了だ。
そして
「おい愛野、絶を解くから認識妨が……」
俺は、実は街を練り歩いている時からずっと後ろに居た愛野に声をかけると
「ひえぇ……ひぃ……ひぃ……」
息を切らしてくたばっていた。まぁしかしそうだろう、結界術のひとつ、認識妨害の術の練習と称して街を歩いている最中ずっと術をかけさせていたのだ。初めての実践形式で40分は快挙だろう。20分くらいでへばって術が切れて木刀を剝き出しで歩いている頭のかしい男が突然現れたって事で通報され、逃げるためにやむをえず仕事を中断する、みたいなプランだったのに、まぁよくやったもんだ。へばったもんは仕方ない。
「遥香、認識妨害」
「ん」
術が展開されたので、絶を解く。
時間が動き始める。キャストの女が一歩動いた後に立ち止まり、首を傾げたかと思えば謎のニヤケ面をしてから周りを見回す。その視線の中には俺達も居たはずだが、彼女は俺達を認識しない。
思念体を排除するとよく、こういう反応がある。突然肩が軽くなってラクになって、え、なに、みたいな反応だ。それにしたってニヤケるっていうのは珍しいが。
そして彼女は軽くなった足で歩を再開し、軽快に店へ向かった。
彼女の対応は初めてでは無い。これが3度目だ。3回とも同じ反応なので、店に行きたくないという気持ちは無いようだ。ただ、
「さて、初めての街で使用した術の感想は?」
今だ息も絶え絶えの愛野に休ませる事無く問うと、愛野
「なんか……頭が……空気に溶けそう……」
「ふっ、だろうとも」
幼い頃に俺も通った道。乗り越えた者ゆえの優越感に浸る。
魔心導の術には空間や時間を自分の一部であると仮定する事で発動させる物がある。思念共鳴や絶もそうだ。そしてそれらは未熟な段階だと、逆に自分が空間や時間に引っ張られる。本当に引き裂ける前に術が破綻して終わるので、実際に頭が空気に溶けるという事は前例に無いが、感覚としては誰もが通る通過儀礼のようなものなのだ。
「しかし、初めての実践で40分とはやるじゃねぇか。遥香だって一時間くらいが限界じゃねぇか?」
そう言いながら、これまた実はずっと隣に居たおかっぱ頭の少女の頭にぽんと手のひらを乗せながら言う。
こけしのような見事な黒おかっぱ。黒すぎて逆に違う色に見えるほど黒い瞳。病的な白い肌。小学生に見えなくも無い幼い全身。しかしこれでも立派な……でもないか、れっきとした中学生の我が妹、田亀遥香だ。
「ん。いや、10分」
遥香が端的にそう言うと愛野の肩がぴくりと浮いた。
「あ?」
どういう事だと聞くのもダルく、一文字で問い詰める。すると愛野は露骨に視線を逸らして言った。
「えっと……途中で何回か、遥香ちゃんに変わってもらってて……」
なるほど、それで40分では無く10分と。
遥香に聞いた。
「その10分てのは連続か? 継続か?」
遥香は言う。
「2分ずつ」
出そうになったため息をぐっとこらえる。何せ愛野は練習を始めて1年弱。2分どころかわずかでも術を発動出来ただけでも実際すごいのだ。
それでも、自衛出来るほどのスキルかというと、道は長い。
「あ、そう、それでさ、話変える!」
愛野が急いでそう身を乗り出す。どうやら、気まずいから話題を変えたいというわけでは無く、本当に慌てているようだ。
「なんだ」
話を促すと、愛野は怪訝な面持ちでこう言った。
「あの子、清水さんじゃなかった? 隣の……真中君と同じクラスの」
「…………」
正直、清水という名前に覚えは無い。残念ながらただ同じ学年というだけでは俺の興味の対象にならないのだ。
しかし、なるほど。高校2年生でありながら夜の店で働く女と、高校2年生と知りながら雇って若さで金を稼ぐ店。知ってか知らずか見た目が高校生の子供にお酌させ、場合によっては見て見ぬふりして未成年に酒を飲ませている大人達、と。
俺は嘆息した。
「そら、思念体にもなるわ」
なんとも気持ち悪くてセコイ、大人げない大人達の話だった。




