第1節・思念体と魔心導師
人助けはクソだ。何故なら人がクソだからだ。クソを助ける行為は無論クソだろうという理論的な判断だ。
田亀、という俺の苗字のせいで生じたバイアスであることは否定できない。タガメ、と、誰が為が一文字違いでしか無いため、小学生時代によく「タガタメ男~」とイジられたので、誰が為の行い=俺にとって不愉快な言動、みたいになっているという、そんなバイアスだ。
しかしそのバイアスを抜きにしてもだ。手をかけて助けてやったって、あの手この手で助けなければよかったと思わせてくる奴ばかり。だから俺は人助けが嫌いだ、と、視線の先の人影を見て思う。
高校の屋上。扉の鍵は壊れているためをしれっと開けて、立ち入り禁止の札をひょいっと持ち上げ、バレたら教師に怒られる覚悟を決めて足を踏み込めば、多くの男子が憧れる自分だけのスペースが学校にある状態が完成する。春先、2年生になりたての今。入学間もない1年生のころの、校舎全てが新鮮だった時期とは違い、良い具合に慣れと飽きが来ている時期だからこそ、よりその特別な場所感というのは高まる。
その自分だけの空間内において不自然に揺れる人影は、屋上の淵に立っている。機械設備を設置するために設けられた屋上スペースと大人の整備員が出入りするためだけに作られた出入口だからか、単に貧乏な田舎の公立学校だからか、アニメあるあるのオシャレなフェンスなどありはしない。踏み込めばただ落ちるだけの屋上の淵に立っているのだ。その有り様は、自殺手前の光景にしか見えない。
ただし、それは人影であって、人では無い。人の形をした影だ。
俺達はあの影を思念体と呼んでいる。
人の心から生まれ、なんらかの作用をもたらす存在。普通の人には見えないし触れない幽霊のような存在。あるいはこれを、俗世は生霊と呼ぶのかもしれない。俺はアレが見える体質、というか家系に生まれた都合で、アレを駆除することを生業としている。とはいえ報酬制ではないので、手を抜こうと思えばいくらでも手を抜ける生業ではあるが。
屋上入口横に腰を下ろして、視線の先に居る思念体を観察する。
思念体にはそれぞれの形があり、効果効能も思念体それぞれ。中には明確にドラゴンやら建築物そのものやらの形を成していることもあるが、今目の前に居るのは、幼稚園児が描くママが玉虫色に塗りつぶされている状態に近い。
人の心あれば思念体有。そんなレベルで当たり前の存在で、直接的な被害はもたらさないので無視してもバレない。それでも国やら諸々からお金が貰えるのだから、存外良い商売なのかもしれな――
「彼方」
――誰かが唐突に俺の名を呼んだ。女の声だ。彼方、という代名詞もあるにはあるが、なんの会話も無い状態で唐突に「彼方(遠くを表現する代名詞)」と呟くシチュエーションなど俺の人生観では想像出来ないので、多分俺の名前だろう。その声の主は、見るまでも無く判別出来る。俺は思念体から目を離し、その場に寝転がりながら言う。
「立ち入り禁止だぞ、この屋上」
「立ち入り禁止の場所で寝そべってる人に言われたくないんだけど!?」
人の顔色を過剰に伺うこいつの事だ、アニメ好きな俺に合わせ、わざとアニメみたいな過剰なテンションのツッコミをしたのだろう。
その誠意に敬意を示して、さすがに視線を向ける。人の顔を見るのも億劫な人嫌いな俺でも、多少頑張れば人の顔くらいは見れる。
「なんで居るんだ、愛野」
愛野小蝶。茶色い髪にはゆるふわショートのパーマ、ややタヌキっぽい顔に琥珀の瞳。目もデカけりゃチチもデカい。ギャルグループの中でも陽キャからも陰キャからも好かれそうな兵装を備えてしまった女がそこに居た。男目線だとただ有難い存在で、女目線だと諸々の苦労が多そうだと心配になりそうな存在といったところか。
「なんでって……あんたが最近、行方不明になりがちだから、どこに居るのか調べてたんですけど?」
腕組み&ジト目という一部の性癖持ちの人間のためのサービスみたいなリアクションで愛野は言う。行方不明になりがち、というのは、どこに居るか解らない、の暗喩だろう。つまり、俺が最近どこに行ってるのか解らなかったからストーキングして調べた、という意味だ。
「そらご苦労なこって。調べもんの成果はサボり魔のサボり場所でしかなかった時の気分はどうだ?」
「いやマジ最高。学校の屋上とかドラマでもしょっちゅう出てくるのに絶対出れないでしょ? まさか来れるなんて思ってなかったから今超楽しい気分なんだけどそういう感想は求めてないんだよね? あんたの事だから――悔しい! もう二度とあんたの事を探したりしないから! あたりが理想?」
「正解」
嫌味のつもりで言ったのに綺麗に返され、素直に降参する。因みに今は昼休みの最中なので、実際にサボっているわけではない。
「で、なんでこんなところでサボってるの? 鍵どうしたのよ」
「そら学校の屋上なんて誰もが一度は夢見るスポットだろ。そこの鍵が壊れてるから入れると知れば、誰だって来たがるもんだ」
「それは否定しないけど」と愛野は浅く笑い、からかうように目を細めた「どうやって壊れてるって知ったのかな?」
暗に俺が壊したんじゃないかと疑がっているようだ。とはいえ、咎める様子もない。ただ雑談がてらからかっているだけである。
「よいしょ」
愛野が俺の隣に腰をおろす。といっても、扉を挟んだ節度ある距離感の隣だ。
椅子どころか段差も無い場所に短いスカートで腰を下ろすということは当然腰より膝のほうが上になるわけで、物理現象に従い太ももの露出度が上がる。一瞬だけ視界の隅に保存させていただきつつ、後は隣を見ないように気を付ける。
「汚ねぇぞ」
「寝そべってるあんたが言う?」
「俺は良いんだよ。心が汚ねぇから、掃除されてねぇこの屋上と実質一緒だ」
「じゃああたしもそれで」
とは言うものの、実は俺は最初にここへ来た時に自分が寝そべる場所だけ掃除している。汚いのは愛野のほうだけなのだが、既に座ってしまっている相手には言わぬが花だろう。
そんな感じでつまらない会話を交わしたり沈黙してスマホをいじったりして時間を潰すと、屋上の縁に立っている思念体と同じ形の思念体が、俺と愛野の間に立っていた。不意をつかれ、不覚にも「ふぬっ」みたいな変な声が出る。思念体が見えない愛野は俺の変な声に反応して「え、なに、え」と体制を崩していた。
ねそべっていた体を起こし、ゆっくりと思念体との距離を取ると、空気を読んだ愛野も同様にする。
「愛野、眼鏡は持ってきたか?」
「教室のカバンの中。え、もしかして居るの?」
思念体が見えない一般人でも思念体が見えるようになる便利グッズを愛野ともう一人の同級生には渡しているのだが、あまりオシャレではないから、オシャレに気遣っている二人は必要な時にしか使わない。しかし、
「付けたくない気持ちは解るが、基本持ち歩けっつってんだろ、特にてめぇは」
なんといってもこいつの容姿だ。陽キャからも陰キャからも好意を集め、同性からの嫉妬もあろう容姿と人当たりの良さ。人の感情が集まるのは必然ゆえに、去年、思念体の被害を受けていた。それを助けてやったのが俺達の出会い。
「わ、わかってるけど……あ、あんたと一緒に居れば大丈夫かなって」
こういう思わせぶりな振る舞いもよくないが、残念ながらわざとではない。本心から、本性から人たらしなのだ。
この容姿、この性格ゆえにいつだって人間関係における感情の中心点になってしまう。その因果ゆえに、愛野は思念体の被害を受け易い人間となっている。だから自衛のための便利グッズをいくつか渡しているのと、ちょっとした修行なんかもさせている。そのついで且つ恩返しを目的に、俺の仕事を手伝っている、というのが、俺と愛野の関係だ。因みに手伝いに関しては報酬は支払っているので労働基準法違反にはならないと思う。多分。知らんけど。
そういうわけで今回も遠慮なく巻き込もうと思う。
「しゃあねぇ。繋ぐぞ」
「わかった」
「――思念体の分析を始める」
「おーけー。……ひぃっ!?」
愛野が小さな悲鳴を上げ、数歩後ずさりしてから俺のほうに寄ってきた。思念体には近付かないように気を付け、横移動で俺の後ろまで移動する。人を壁にするな、と言いたいところではあるが、まぁ無理もない。
一般人に思念体は見えないが、見えるようにする手段が二つある。ひとつは便利グッズの使用。もう一つは、俺達側の人間が思念共鳴という術を行使する事だ。小難しい説明は省くが、その術によって今、愛野にも思念体が見えている。
「……人っぽい形……?」
「だな。……で」
扉の前に立つ思念体から視線を動かし、屋上の淵を確認する。
「田亀? どこ見て二体目!?」
正確にはあっちが最初から居た一体目で、扉の前で俺達をびっくりホラー体験させてくれたこいつが二体目だが、それは今は重要では無いだろう。
「全く同じ形、同じ色っぽい……? これってどういう思念体なの?」
と愛野が聞いてくる。
「悲しいかな、それが解ってりゃお前を巻き込んでねぇよ」
「それはそっか」
効果効能、その有り様は思念体によって様々で、何もかも同じ、という思念体はあまりないが、それでも対策の一環で大別はされている。その枠組みにはめ込む所から始める必要がある。
そうやって、思念体を分析し、理解して対処し、駆除する。それが俺達魔心導師の仕事だ。
思念体とは、人の心から生まれる。いや、排泄される残滓といったほうが正確だろう。気軽に思い馳せれば産まれるものではなく、強く思い、願い、思い込み、それでも実現されず執着となり、凝り固まって尚も実行さえ出来ず、ついには心から零れ出た排泄物。そうして発生した思念体は、条件が揃った時にその祈りを叶える効果がある。
こう言うと良い事が起こりそうなもんだが、そう単純ではない。思念体になるほどの強い思いがやっても良い事なら思念体になる前に実行される。思念体になるのはほぼ必ず、どうしてもやりたい・そうあって欲しいが、やってはいけない・そうあってはならないという外圧によって押さえつけられている感情なのだ。
簡単に言うと、やってはいけない事の背中を押すのが思念体という事だ。
例えば――
「ねぇ、田亀、あれって、どう見ても……」
神妙な面持ちで屋上の縁に立つ思念体を見る愛野。
「まぁ、そうだろうな。俺もそうにしか見えん」
――どうしても飛び降り自殺がしたくて、でも絶対にやってはいけない事だから我慢して、押さえつけて、押さえつけられて生じた思念体ならば、その発生源の飛び降り自殺を後押しする、というような。
昼休みが終わる5分前のチャイムが鳴る。
冗談で言っていたつもりのサボりが、どうやら現実になりそうだ。




