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夕陽に燃えて

作者: やっこ

 鐘が鳴っている。日暮れを報せる鐘だ。街の中心部にある鐘は、街が一望できる高台にまでその麗しい音色を響かせる。この街を造った職人たちが技術と魂を込めて造った鐘で、今を生きる誰もが二度と造れない代物だ。

 沈みゆく太陽が遠くに揺れ動く鐘を鈍く照らし、燃える赤が街の家々に色濃くその色と影とを落としていった。

 私はこの風景が好きだ。両親にも家庭教師にもそう言ったが『なんと平凡なことをいう子でしょう』と鼻で笑われた。あの時こそは真に受け、信じ、この想いは平凡なもので口に出してはいけないのだと思ったが、いまはそうは思わない。周りで、長い坂を登り、振り返り見て笑う人たちも、私と同じ想いを抱いているに違いない。それを平凡だとは決して思わない。思えない。

 私はこの風景が好き。そして、この街が嫌い。私に全てを授け、全てを見せ、全てだと信じ込ませ、私を縛り付けて見捨てたこの街が。憎く愛おしい。

 家族連れが笑い合いながら夕日に焼ける街へと降っていく。あぁ、そうよ。そうなの。これが求めていた――。


『メアリーと婚姻を結ぶことにした』

『ごめんなさい、マーガレットお姉さま。でも私、ずっとエドワードさまの事をお慕いしていたの。お姉さまは、そんな事ないのでしょうけど』

 私は昨年、実の妹に婚約者を奪われた。と言っても二人が心を通い合わせていたのは随分と昔からの様子だった。

 父母は手放しで祝福していた。あなたたちの目の前にはたった今、婚約破棄をしたもう一人の娘がいるというのに。私は婚約者を失ったというのに。

 私はただ黙って承諾するしかなかった。

『あなたはどうしましょうかねぇ』

 まるで処分に困ったゴミについて、そのゴミに話しているそうだった。

 

 ここは芸術の街。

 煌びやかであり、質素である――はずだが、今ではけばけばしい金メッキのような輝きが目につくばかりだ。

 遡れば、貧困に喘いだ売れない芸術家を受け入れたことが始まりだそうだ。その芸術家が脚光を浴び、街を絶賛したことから各方面の芸術家たちが街を訪れ住まうようになった。そして今では芸術の街とも呼ばれるようになったのだ。

 そのせいか街の良家の人間は芸術に明るくなくてはならない。外であった人間に「あの街の出身なのに」と笑われたくないというあまりにもくだらない理由で。

 私もそれを押し付けられた人間の一人だ。幸いにも私には才能があった。絵画に才は突出しており、両親はそんな私を市長の息子の婚約者にしようと思ったようだ。私の手から筆を奪い、絵の具をぬぐい、代わりにカトラリーと教養の教科書を押し付けた。

『お母さま、絵が描きたいわ』

『まぁ! なんてことを言う子でしょう! あなたは絵なんて鑑賞する立場になるのだからそんなことは言わないでちょうだい! あぁ! そんな油臭い道具を持たないで!』

 私は絵を描くことが好きだった。

 しかし、母は絵描きというものを下に見ていた。どちらかといえば毛嫌いしていたように思う。欲しかったものは周りから評判の良い絵画、それだけだったのだ。

 私はそんな親に唯々諾々と従った……あぁ、十歳にも満たない子供が親に反発する術などどう持てようか。

 従順な良家の娘として十分な教養を得た私は、十六になった年、両親の目論見通り、私は市長の息子と婚約を結ぶことになった。その頃には私の手から絵の具の香りはもうしなかった。

 それが昨年破られたというわけだ。婚約四年目の出来事だった。相手側から婚姻を伸ばされていたが、婚約相手をすげ替えるのに準備が必要だったのだろう。

 私の方が出来がよく、年齢が近かっただけで選ばれていただけで、両親としては嫁がせる人間は姉妹のどちらでも良かった。それに、両親に可愛がられるだけ可愛がられ、無事に「絵画は鑑賞するもの」という理想の上流階級のお嬢様に育った妹の嫁ぎ先が、この街のトップになるのだ。大変に満足のいく結果に違いない。


 私の処分に困った様子の両親に、私もほとほと困り果てたが、唐突に閃いた。遠い西方にあるという神の国ではこういう事象を〝天啓〟と呼ぶらしい。まさに人智を超えるどこからかの導きのようだった。

『私、家を出ようと思うのです』

『なんですって?』

『籍は役所で外します。今さら私の嫁ぎ先を探していただくこともお手間だと思いますし』

 両親はなんてこと、可愛い娘にそんなこと、と口先だけの狼狽を二、三言ったあと『あなたがそこまで言うならば』と私の提案を受け入れた。

 私がようやく自由を手に入れた瞬間だった。

 

「マギー! インクを運んでちょうだい!」

「はぁい」

 思い出に浸りそうな気持ちを現実の呼び声が引き戻す。

 自由を手に入れた私は市井では少々大仰な名前を捨て、紆余曲折しながらも高台にある印刷所に勤めている。今では手どころか全身から紙とインクの匂いを纏っていた。

「明日は晴れだってね」

 印刷所の古参は私からインクの入った箱を受け取り世間話をし出した。

「えぇ、そうみたい。裏のエレンおばあさまがそう言ってたわ」

「あの人の言う天気はよく当たるからねぇ。また描くのかい?」

「そのつもり」

「完成したら見せておくれね」

 あんたの絵は好きなんだ――彼女が言っているのは、私の描く油彩画のことだ。いつも印刷所の近くにイーゼルを置き、休みの日にはそこで一日中絵を描いていた。

 風が吹くたびに私の髪からはインクが香り、キャンバスから絵の具の香りが漂う。私は、私の得たい全てを手に入れたのだ。

 

 そのあと、家族がどうなったかは知らない。一度だけ私に会いに来たが、顔をインクで汚す私を見てまさに汚物でも見る顔で去っていった。

 新聞に大々的に市長の汚職と失脚が取り上げられていた翌日のことだ。その余波があっただろう。だが世間は市長の息子にも嫁にももちろん、その嫁の家族にもそこまで興味はない。新市長の登場で報道もすぐ下火になった。

 

 妹があの日言い放ったことはあながち外れてはいない。私は婚約者を愛しても慕ってもいなかったのだ。私が愛を傾けるものはただ一つ。

 

 愛おしくて憎らしい街。

 夕陽があなたを照らすたび、私の激情が燃え上がるよう。

 私の心を掴んで離さないあなたを描き記すことが私の意義。

 そうして私はあなたと生涯を共にするのだわ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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