第70話『アイスティー』
「フロスト!来い!」
ここは街道から外れた森の中。
エルンストが叫ぶと、氷の粒がエルンストを包み込み……それは氷の鎧、そして盾と斧に変わった。
「……問題なさそうですね」
「あぁ」
リオナルドがうなずき、エルンストは力を解除する。
『北国』を出てからずっとやってきた実験だ。エルンストが呼んでも『氷の精霊』は力を貸してくれるのか、そして『北国』を離れてもその力は維持されるのか。
結果は見たとおり。なにも問題なく機能しているようだ。
そうして一行は街道へと戻り足を進め……とある街へと入ると足を止めた。
「俺のランク上げに必要な星をためる作業も終わった。んで、武器の問題もクリアできたところで……本丸だな」
エルンストが自分たちがいるところとは反対側の、街の端にある高い壁を見上げて言う。
雪道だった地面には草が生え、枯れていた木には緑の葉がついている。大きい街なので、人々の交流も盛んで人口も多いようだ。
だが風はどんよりと重く感じ、生命の息吹が心なしかあまり感じられない。息が詰まりそうになる。寒い。
全員、ここに来るまでの道中で『北国』で着ていた服は脱ぎ、軽装になった。
セリナとリオナルドは『東国』で着ていた服のまま。
エルンストはグレーのチュニックを着ており、それだけでは隠せない筋肉を黒のロングベストで見えないように補っている。そして誰でも着ているようなズボンに歩きやすそうな靴と『戦士』の割に軽装だが、この上に氷の鎧を着ると思うと納得の服装だ。
そうして厚着じゃなくなった一行。この街に入るまではこれで良かったのだ。
なのに、この街に足を踏み入れてからは……なぜか寒気を感じる。
そう。セリナたちが今いるのは『北国』と『中央国』の国境にある大きな街。ここで冒険者のランク上げができるらしい。
国境を越えずに出来るのはありがたい。だが、エルンストが見ていた壁の先……目と鼻の先が『中央国』だ。それを考えると身が引き締まる。
「セリナ……大丈夫か?」
リオナルドがセリナの顔を覗いて言う。セリナはその言葉に返事ができなかった。
微笑みは忘れない。姿勢も正す。誰にも弱さを見せない。まるで『聖女』のような完璧な姿で。
『セリナ?大丈夫?』
ライラが心配そうにセリナの周りを飛び回る。だが、それにも返事ができない。
……動けない……
身に覚えがある空気が痛みを呼び起こす。もうとっくに忘れていたはずなのに、鮮明に思い出してしまっている。このままではおかしくなりそうだ。
息はできているのか?ちゃんと立てているのか?ぐるりと回る景色はこれが正解か?吐き気があるが我慢しなければならないのか?怒られないか?責められないか?これでいいのか?わからない、わからない……
あぁ、違う。違うんだ。そうだ。そうだった。
もっと……もっともっと心を守らないと。そう、自分を『人形』のように――
「よし!いったん街を出るぞ!」
「ですね」
「え!?あ、ちょ!」
エルンストの言葉にリオナルドがセリナをひょい、と抱きかかえる。
そして来た道を引き返していったのだった――
「申し訳ありません……」
一つ前の町のカフェで、アイスティーを一口飲んだセリナが頭を下げる。
町の中にまだ少し雪が残っている景色が、肌寒さが心地良い。心が洗われるようだった。
『セリナまだつらい?ボクのココア飲む?』
「大丈夫です。ありがとう、ライラ」
セリナはここでようやくライラに向かって笑うことができた。
だが、街に入っただけであの体たらく。ライラはともかく、他の二人はどう思ったのだろうか?情けないと怒られても、怒鳴られても、呆れられても、殴られても、なにをされても仕方がない。
その時、エルンストが大きなため息をついたことで、セリナの体がビクッ!と震えた。
そんなセリナを鋭い目で見ながら、エルンストは話しだす。
「前に『中央国』に行った時も思ったが……あの空気の正体はなんなんだろうな?瘴気じゃなさそうだが」
「それは『東国』でも話題になりました。その時は正体はつかめずで終わりました……ですが、洗脳魔法が蔓延していると思えば納得はできます」
……え……?
セリナは、思わず会話をしている二人の顔を交互に見てしまった。
だが、二人はそんなセリナのことはライラに任せたと言わんばかりに話を続ける。
そんなライラはどうしたら良いかわからなくなったようで、ココアを机の上に置くとセリナの後ろに回ってギュッ抱きしめる。
柔らかな毛の感触と温もりが気持ち良い。
……が、それで良いのか?
「あれが洗脳魔法だと?」
「私がセリナに感じた黒いオーラに似ているのです」
「でも俺らにはなにも起こってねぇな。ということは、徐々に侵食していくタイプの魔法か?」
「おそらく……」
「あの」
セリナが声をあげる。話の腰を折るのはわかっているが、どうしても聞きたいことがある。
そんなセリナのほうを二人は見る。
「あ、あの……私のこと……せ、責めないの、ですか……?」
思わず言いよどむ。これを言うことにより『そうだった』と罵倒が始まるかもしれない可能性を思いついてしまったからだ。
そんなセリナを見てエルンストはジト目になりながら、少し体をセリナから遠ざける。
「なんだお前、そんな趣味でもあるのか?わりぃけど俺にはねぇんだ。リオナルドに頼め」
「私にもありませんよっ」
「いや……あの……」
リオナルドはエルンストに軽く叫んだ後、戸惑うセリナに優しく微笑む。
「セリナに悪いところがないのに責めるわけないだろう」
「でも……私は……迷惑を……」
「かけろ。じゃねぇとお前の傷がわからねぇだろーが」
リオナルドの優しい言葉、エルンストのぶっきらぼうな言葉がセリナの心に刺さる。
「ありがとう……ございます……」
セリナはうつむく。そんなセリナにリオナルドがそっとフードをかぶせた。
察したのだろう。セリナが下を向いたのは、お礼のために頭を下げただけじゃないということを。
セリナはそのまま、アイスティーを持った手に少しだけ力を込めた。
持ったコップは柔らかくて、中身は冷たくて甘い。
そして……とても、とても優しい……
ややあって――
セリナはしっかりとした瞳をして、顔を上げる。
「私も……リオナルド様に指摘されてから、自身にかけられている洗脳魔法について調べていたのですが、確かに街に漂う魔力は洗脳魔法のそれと同じように思います」
セリナは魔力操作で自身にかけられている魔法について調べていた。まさか自分がそんなことになっているとは思わなかったので一度もやったことがなかった実験。しかし……確かにあった。
まるで根を全身に張り巡らせているかのように、自分とは違う魔力が。
リアナが魔力を使ってなにかをしているのを見たことがない。だが、リアナはセリナ以上の魔力を持っているのは間違いない。
それをもし……無意識に使ったのだとしたら、無差別にその魔力がまき散らされていてもおかしくはない。
その一つが、あの国境の街ということだ。
「あの街を……あの街の人間を調べることで、洗脳魔法を解く手がかりを得られるのではないかと思います」
「なるほど……ランク上げと一石二鳥ってことだ」
腕を組んで言うエルンストにセリナは力強くうなずく。
そんなセリナとは対照的に、リオナルドが心配そうにセリナを見つめていた。
「……こんなことを言っていいのかわからないが……少しずつでいいんだ。無理はしなくていいんだからな」
リオナルドの言葉にセリナはにこりと笑った。笑うことができた。
「私は無理できないように、みなさんにしっかりと監視されているので大丈夫です。安心して無茶できます」
「おーおー、言ってくれるじゃねぇか。心配しなくてもちゃんと守ってやりますよ」
「……まったく。でもそれでこそセリナだよ」
エルンストが頭を搔き、リオナルドが笑いながらため息をつく。ライラはセリナの横からにゅっとこぶしを振り上げていた。
大丈夫。大丈夫。怖くない。
セリナは、自分のアイスティーを飲み干し立ち上がる。
そして遠くを見た。そう、その先にあるものを見据えて。
「お待たせしました。行きましょう、再びあの街へ」




