第63話『月明かり』
どこにいたって、どうやったって、私は『私』でしかない。
自由にはなれないんだ……
ならば、私はこの世界に必要? いいえ。だって必要なのは『私』であって私ではないじゃない。
私を『お姉様』と呼ぶ甘い声が聞こえる。私の全てをその声に委ねれば、とても気持ちよく眠れる甘い声。
それに抗う自由はとても苦しい。何度立ち上がろうとしたって、私の心を現実が踏みつけてくる。
あぁ……もう疲れた……
だからずっと思ってるじゃない。死んだっていいって。
その前に少しの自由を願った。でもそれすら許されないのなら……もう……いいのかもしれない。
私は孤独なセリナ。一人ぼっちのセリナ。
『私』の中に存在している、ちっぽけな存在。
もういいよと現実が言ってくる。もう休もうよと甘い声がつぶやく。
それに全てを委ねて……私は消えよう。もうこれで終わりだ。あとは『私』に任せたらいい。
願いは叶った。少しだけ自由のようなものを満喫した。
もういい、もういいんだ……
どんどん消えていく私を、いつもの微笑みで『私』が見ていた。あとは任せろ、そう言ってる気がして。
だがその時――
誰かが『私』から私を守るように立ち、はっきりとした口調で言った。
『私は変わった。あなたとは違う』
――ハッと、セリナは目を覚ます。辺りは暗く、月明かりだけが部屋の中を照らしている。
荒い息を整えながら状況を把握しようと、セリナはベッドからゆっくりと起き上がる。見覚えがある場所……ここは『北国』の客室か。
ふと見るとライラが同じベッドで寝ていた。お腹を上に向け、ふすーっという寝息が聞こえる。その姿を見ると少し落ち着くことができた。静かに深呼吸をして……ライラを起こさないようにベッドから出る。
ゆっくりと歩き……大きな窓のほうへと向かった。しんしんと降っていた雪がやみ、木々に降り積もった雪だけが降っていた証拠として残っていた。
王城を守る城壁が見えた。明かりがつき、そこには見張りがいる。魔物の襲撃の跡はまったくなかった。
「今……何日経ったのかしら?」
セリナのひとりごとに答えるものはそこにいない。
いや、そもそもセリナにはそんな存在がいたのか。さっきまで見ていた夢の答えがそこにあった気がした。
くすりとセリナは笑う。どうしてだろう? 心が穏やかになっている。
……最期なんてこんなものなのかもしれないな、とセリナはまたくすりと笑った。
過去に数えきれないくらい試みた。でも『私』が必要とされていたあの時、それは許されなかった。
自然と回復してしまうようになった体。でも、それすらも越える薬を常に持っている。理論上は可能なはずだ。
「……綺麗だな」
窓の外に目を向けた。雪と氷、そして街の灯りが彩る銀世界は、初めて見た時と変わらない感動をセリナに与えてくれる。
……もう、これでじゅうぶんだ。
セリナは時空の倉に手を入れ、求めているものを探す。ここには大切な物しかしまっていない。
大量の浄化の粉にそこから派生させて作った魔道具。魔力回復用の魔法瓶に、魔力増強のアクセサリーもあった。
それから『東国』で拝借した野宿用のセットに、冒険者カード。老人用衣装やお忍び貴族令嬢服もちゃんと取ってある。捨てるのはもったいなかったし、記念だと思ったから。
そして……幼い頃からつけていた日記と、読んでいた書物。
『中央国』から追放されたときに比べたら、ずいぶん荷物が増えたな。
あぁ、楽しかった。
その時――
「えっ!?」
誰かが、セリナの手を握ったような気がして、慌てて時空の倉から手を引っ込める。
「誰……?」
問いかけても、それに応える者はいない。セリナは孤独だ、一人だ。だからそんな者などいないだろう。
あぁもう、何度この問答を繰り返すのだ。
だが……
時空の倉にもう一度、恐る恐る手を潜り込ませた。もしかしたら、また誰かが握ってくれるかもしれない。そう思ってしまったのだ。
だからそんな者などいないと言って――
「……あ……」
セリナは時空の倉から取り出す。握ってきたその温かいなにかを確かめたくて。それがなにものなのか知りたくて。
そうしてセリナが握っていたもの。
それは誰かの手ではなく……使い古されて少し錆びた短剣だった……
『わたしがあなたを一人にさせない』
頭の中で幼く愛らしい声が響く。
窓際に気配を感じて見る。窓の外には月明かりを背に、茶色の髪の黒いボロボロの服を着た少女が宙に立っている。そんな気がした。
少女はセリナをじっと見つめると、その無表情な顔から『本物』の笑顔に変えて……そして消えていった。
セリナは……その場に立ちつくしたまま動けなかった。
全身が震える。そのせいで短剣を落としそうになり、それを拒むように両手でつかみ必死に力を込めた。
「ずるいよ……」
セリナがぽつりと呟く。視界が潤み始め、穏やかだった心が脈打つ。
だが、先程までとは違って心地良くも感じていた。
胸に両手を、短剣を引き寄せた時、セリナの足が限界を迎えその場に座り込む。体の震えが止まらない。心臓が痛い。苦しい。
短剣を、まるで小さな子を抱きしめるように体で包み込む。そうすると、誰かがセリナを抱きしめ返してくれる、小さくとも優しい温もりに包まれた……そんな気がした。
「諦めようとしていたのに……立ち上がらせようとしないでよ……!」
そういえばセリナのことを嫌いだと『彼女』は言っていた。だからか? と皮肉めいたことを思い、まばたきをすると目から雫がこぼれ落ちた。
『涙を見せるな』。遠い昔、言われた言葉。それを守ってきた。見せないことが強さになると教えられたから。
でも……もう無理だ。
泣いたら見られてしまう。だって、もう一人じゃないから。
セリナには大切な『友達』がいるから――
「う、うう、うあああああああっ!」
溢れる涙とともに声も漏れた。止められなかった。
それを聞いてライラが目を覚ます。それと同時に部屋のドアが開き、リオナルドとエルンストが入ってきた。
「どうした!? ってお前、なに持ってんだ! それでなにをする気だ!」
エルンストが怒りの声とともにセリナに向かってくる。それをリオナルドが止めた。
それと同時にライラがセリナのほうへ向かう。
『セリナどうしたの!? お腹痛いの!? 果物食べすぎた!?』
ライラはセリナの周りをおろおろと回る。だが、セリナはそれに答えられず涙を流すことしかできない。
そうして泣き続けるセリナをリオナルドは見守っていた。なにも言わず、ただ少しだけ微笑んで。
そんなリオナルドを見てエルンストはなにかを察したのか、腕組んで同じく見守った。
そう。『みんな』で見守った。
セリナが泣き止むまで。ずっと、セリナのそばで……




