第61話『混乱』
急に風が鋭くなり立つのが難しくなる。そんな中でもリオナルドは『風の精霊』とセリナを見ていた。
『クカカカ!なんと面白い光景じゃ!良いぞ!悩め人間よ!困れ人間よ!そしてこの退屈な世界を動かして見せよ!』
激しい風が『風の精霊』を包んでいるというのに、その楽しそうな声ははっきりと聞こえる。やがて『風の精霊』の体を包み込むくらい風は激しくなり、部屋に置いてあるものが縦横無尽に散らばる。
リオナルドは動かなくなったセリナを抱きしめ、素早い速度で襲ってくる家具はエルンストが全てこぶしで壊す。
そして唐突に風は暴れるのをやめ……『風の精霊』の気配がなくなり、意識を失ったライラが空中から落ちてきた。
「おっと!」
エルンストがライラを受け止め、ふぅと大きなため息をつく。
リオナルドが見る限り、その場にいた全員にケガはない。腰が抜けたくらいか。さすがエルンストだ。
リオナルドもホッと息をついたあと、先程とは別の場所に配置されたイスを発見する。セリナの足が動いていなかったのでセリナの腕をリオナルドの肩に乗せて抱えるように連れていき、そっとイスに座らせた。
そして、リオナルドはその横でセリナに優しく問いかける。
「セリナ……セリナ、聞こえるか?」
セリナは動かない。頭を大きく下げ、手足はだらんと力を失ったまま。何度もリオナルドが問いかけても、なにも反応しない。
やがて、部下に指示を出したエルンストがセリナの前に立った。厳しい目でセリナを見下ろしている。
「どういうことだ。説明しろ」
エルンストの言葉にもセリナは反応しない。大きなため息をつくエルンストに、リオナルドが返事をした。
「あまりにもセリナに馴染んでいて気づきませんでしたが、『風の精霊』の言葉を借りるなら、セリナを洗脳している黒い魔力がセリナを覆っています」
「黒い魔力?」
「禍々しい、と言ったほうが良いでしょうか?黒く、よどんだオーラのようなものに見えました。私が出会った頃からセリナについていたものです。その力の正体は洗脳魔法。力の主はリアナ――」
「違うっ!」
リオナルドの言葉を遮るようにセリナが叫ぶ。あげた顔には笑顔。だが、いつもの笑顔とはあまりにも違う……唇が震え目が泳ぎ、まるで今にも泣きそうな笑顔。
「違います、違うんですリオナルド様。そんなわけ、ないじゃないですか」
動揺が顔だけではなく声にも出ている。こんなセリナを見るのは初めてだ。
とたんにセリナは、指で宙になにか魔法陣のような円を描き、今度は両手でなにかを包むように動かし、そのまま指だけを軽く交差して、自身の口元へ寄せる。
リアナの前で必ずやっていたことがあるのか?魔法陣関連のなにかか?儀式かなにかか?
セリナはそのままなにかを繰り返すが、それがなにを意味しているのかリオナルドにもエルンストにもわからない。
そして、少し息を荒くしながらも必死に笑顔を作り言葉を紡ぐ。
「た、確かにリアナは私を奴隷のように扱おうとしていました。それはわかっています。でも、でも、それはリアナがそう願ったから。それを認める人間しかいなかったから。リアナは悪くないんですよ。私を認めてくれているんです。リアナは間違っていない。おかしいのはこの世界なんです」
セリナの妹。リアナ・ハイロンド。
『中央国』の『本物の聖女』として崇められている人物だ。
十六という若さに、淡い赤の瞳と腰まであるグラデーションになっているベビーピンクの髪、幼さを感じさせつつも妖艶さ漂うような、そんな人間離れした印象が『聖女』だと言わしめ、愛らしい顔で、甘く可憐な声で、自分にだけを見てくれていると思えば、誰だって虜になる。
――そんな噂の少女。それがリアナだ。
リオナルドも『中央国』へ遠征に行った時に、遠目でリアナを見たことがあった。確かに噂通りだなと思った。だが、それだけだ。
「リアナは私のことを姉のように慕ってくれるんです。それが嘘なのは知っているんです。でも、それでいいんです。だって私はリアナと違って『偽物』だから」
セリナのリアナに対する称賛は止まらない。
いつものセリナなら冷静に判断するだろう。いつものセリナなら微笑んで軽くいなすだろう。
いつものまるで『聖女』のような立ち振る舞いで、なにを言われても平気そうに見せるだろう。
ではそのいつものセリナは……
『誰の模倣』をしていた……?
「リアナは私の理想なんです。私が憧れているんです。そんな私に、リアナがなにかするわけないじゃないですか。そんなリアナがしてくれているわけ、ないじゃないですか。そんなリアナが本当に、私を見てくれているわけない、じゃないですか。そんなリアナが――」
「おいっ。いい加減にしろ」
氷のように冷たく、地を這うような低い声に、セリナがビクッ!と体を震わせる。
その声の持ち主――エルンストは、戸惑うように顔を揺らしながらもゆっくりとうつむいていくセリナを、その両腕にライラを抱えたまま見下ろしていた。
「お前がどれだけ妹が好きなのかよーくわかったよ。んで、これが『中央国』の奴らの現状ってことも……よくわかったよ」
チッと舌打ちをしながらセリナに顔を背けながらも言うエルンストの言葉に、リオナルドがハッ!となる。
『中央国』ではセリナを虐げるのが当然のこととなっていたという。そして『聖女』リアナに魅入られ、セリナを『中央国』に連れていこうとしていた『東国』の貴族も『リアナは悪くない、悪いのはセリナだ』と言い続けていた。それは捕まった後に行われた尋問の最中もそうだったという。
この洗脳は……セリナだけではなくリアナに魅入られた者たち全員に施されている?
だがすぐにその推測を否定した。
『中央国』に住む人は各国の中で一番多い。『東国』の倍以上だ。そしてそれ以外の国にもリアナに魅了された者がいるとなると、その数は計り知れない。人間の持てる魔力量を優に超えている。セリナ以上だ。
「そんなこと……できるわけ……っ!」
『お主は『聖女』を甘く見すぎている』という『風の精霊』の言葉がリオナルドの頭の中で響く。
リオナルドには到底想像もつかない力。人間じゃない。そんなことができるのは精霊のような神と崇められている存在だけだと思っていた。
ゾクッ……と悪寒が全身を走った。ドクドクと心臓が波打つ。
あまりにも恐ろしい真実にリオナルドは理解できずにいた。だが、それを少しずつでも咀嚼しようとしていたその時だった――
「……だから、なんだっていうんですか?いいじゃないのよそれで」
セリナが頭を下げたまま言葉を紡ぐ。
それはいつか見た『狂気の人形』のようなセリナの声だった。
「そうなの?リアナが私なんかに魔法を?そうか、そうなんだ。嬉しい、嬉しいな。うふふっ」
エルンストがセリナを厳しい目で見ている。そしてライラを抱きかかえたまま、器用に足を曲げてセリナの前にしゃがんだ。
それはまるで……片膝を床につけ、軍人が王に忠誠を誓うときのような姿勢だ。
そうしてエルンストはセリナを見上げた。その目には厳しく、だがエルンストの優しさが混ざっていた。
「本当にいいのか?」
先程の怒号にも似た低い声とは違う、しっかりとした声。
「……い、いいに決まってる。じゃない、ですか。私は、わたしは、あたしは――」
「俺は『お前』に聞いている。いいんだな、それで」
「……っ!」
エルンストの言葉を受け、セリナの体が震え始める。先程までの恐怖とは違う、なにかに抗っている、そんな風にリオナルドの目に映った。
しばしの沈黙――
エルンストが立ち上がり歩き出す。そして部屋のドアのほうへと向かった。
「ゆっくり考えろ。守ってほしかったら言え。いいな」
そう言ってエルンストは部屋から出て行ってしまった。
セリナは変わらず頭を下げ、手足を下げ、全身を震わせている。
リオナルドがここにいるのはセリナの観察のため……それが任務だからだ。
「セリナ……」
優しく声をかける。それにセリナはビクッ!と反応した。
ようやく……私の声にも反応してくれた……
セリナは、下を向いたまま少しだけリオナルドとは反対の方向へ頭を向けた。動かせるのはこれだけと言わんばかりに。
そして、セリナは絞り出すように声を出す。
「リオ……ド様、おね、がいです……!私を、見ないで……!見な……でくだ、さ……っ!」
リオナルドは『目』で相手を観察する。そうしてセリナを見るのが任務だ。セリナはそれを知っている。だから見られたくないのか。
それとも今の混乱しているセリナを、見透かしてしまうリオナルドに見てほしくないのか。
……だが……
リオナルドはそっとセリナの頭に手を置き、自身のほうへ寄せた。そして、セリナの震えを止めたいという思いを手に込め、そっと目を閉じる。
なにも言わず動かないセリナ。泣いているだろうか。戸惑っているだろうか。怒っているだろうか。今のリオナルドにはわからない。わからなくていい。
リオナルドの中に湧き上がるもの。それは間違いなく『怒り』だ。
『中央国』への怒り。
洗脳だろうがなんだろうが、こうして慕う者を奴隷のように扱うリアナへの怒り。
セリナに根づいたものにリオナルドは気づけた。なのにわからなかった自分への怒り。
セリナは戦っている。自身を『人形』のようにしながらも、最後の最後、心の欠片を守るために。
そして、それは旅を通して少しずつ輝きを取り戻しているように見えた。
それをえぐるかのような真実を前にして……苦しいだろう。つらいだろう。
そんなセリナを支えたい。
リオナルドは強くそう思った……
先程までの騒がしさが嘘のような沈黙が続く――
リオナルドはなにも話さず、ずっとセリナを抱きしめていた。すると……セリナの力が急になくなりカクンと体が崩れ落ちる。
慌てて体を支えるリオナルドが見たのは、緊張の糸が切れたのか、意識を失ったセリナの姿だった――




