第48話『氷の試練01』
『氷の精霊』は宣言後、音もなく消えていった。そして大きな空間は入ってきたばかりのころと同じただの空間へと戻る。
「セリナっ!」
床に手をつき、肩で大きく息をするセリナに駆け寄ってきたのはリオナルドだった。
背中に手を当て、ゆっくりと叩く。
「呼吸を合わせるんだ。ゆっくりでいい」
「だ、いじょうぶで――」
「話すな。落ちついてからでいい。大丈夫だ」
こうなればこの男は聞かない。セリナは諦めて言われた通り、リオナルドが叩く背中の手に合わせて呼吸をする。はじめはそれに合わせることができなかったが、やがて深呼吸のように遅いそれに合わせることができたとき、セリナはリオナルドから離れた。
「ありがとうございます」
「いや、なにもできずにすまない」
よく見るとリオナルドの端正な顔や、男らしくごつくも綺麗な手に傷がついている。
セリナを気にする前に自身を気にしたら良いのに。そう思ったが口に出すのはやめた。なぜかやめたくなった。
だから、話題を避けようと他の言葉を口にする。
「いえ……それよりも試練とはなんでしょう?なにか変わったことは……」
「起こっているぜ」
聞こえたエルンストの声の方へ向くセリナとリオナルド。
エルンストは、空間の出入り口を親指で指していた。そう……分厚い氷で覆われ閉ざされた場所を。
「ここから出られるか……それが試練の内容のようだな。どうするんだ?『聖女』様よ」
ふん、と鼻を鳴らしてエルンストがつまらなそうに言う。
セリナの試練に巻き込まれたことに苛立っているのか、『氷の精霊』を前にしてセリナとは対照的に何もできなかったことに憤りを感じているのか、はたまたどちらもか。
『セリナ大丈夫?それっ、ボク割れるよっ。ボクのしっぽは強いんだっ!』
『風の精霊』が自身の体を乗っ取っていたことなど知らなかったと言わんばかりに、ライラが言う。
ふんすっ、と気合を込めて……三本のしっぽがライラの体よりも大きく膨れ上がり、壁を叩くっ!
……だが……
『あれぇ?』
壁は何事もないようにその場に残っている。大きな衝撃音はしたので効果はあったとは思う。だが、傷ついたのは出入り口をふさいでいる壁の周りだけだ。
……どういうことだ?
セリナは自身の傷を治し立ち上がり、いらないと言ったリオナルドの傷も治し、エルンストに断固拒否されたところで、何度もしっぽを叩きつけるライラの方を改めて見て……壁に違和感を感じた。
その壁だけ……かすかに色が違う?
「ライラ。待ってください」
『ん?どうしたのセリナ?ボクまだできるよ?』
ライラがピタリと攻撃をやめ、壁に近づくセリナを見守る。そして、壁にそっと手を当て……
「あぁ!?どういうことだ!?」
セリナの手が壁を貫通し、エルンストが驚きのままに声を上げた。
周りの氷も魔力を帯びていることで気がつかなかったが、どうやらこの壁はまた別の魔力で出来ている氷のようだ。
攻撃をすると完璧な防御を持ってそこを守る幻影の氷。逆に言えば、攻撃をしなければ通れる。
「……行きましょう」
セリナはそう言って壁に向かって普通に歩く。すると思った通り体は壁を貫通した。
「すげぇな……他の氷と区別つきゃあしねぇぞ」
ぼやきながら壁を抜けるエルンストに続き、ライラを抱えてリオナルドが出てくる。
そして……
「まぁ。エルンスト様でもわからないのなら困りますね。これからも」
「あぁ!?」
いつまでも『聖女』呼ばわりをやめないことに苛立っているセリナの皮肉に対して、通り抜けた壁からセリナの方へとエルンストが顔を向け……固まる。
壁を通り抜けた先――そこは氷で覆われた世界。
入り口も出口も進む道も帰る道もわからない、ただの通路だったはずの場所が、氷で周りを覆いつくした壁だらけの場所へと変わり果てていた。
「ちっ。こりゃあ……いちいち調べていくのは骨が折れるな」
コンコンと近くの氷をエルンストが叩く。
通り抜けられる氷とそれ以外は、よーく目を凝らしてみないとわからない違いだ。試しに魔力を目に込めて辺りを見回してみたが……わからない。ということは、『目』が強いリオナルドにもわからないはずだ。
あぁ、物理や魔法攻撃が効けば無理やり突破できるのに……
そう心の中で歯ぎしりしたその時――世界が揺れた。
「うおっ!」
エルンストはその場に踏ん張り、リオナルドはとっさにセリナを抱きしめかばう。ライラが『うわーっ!』と宙を舞い……やがて、地鳴りはなくなった。
『これくらい平気です』と、セリナはリオナルドから気丈に言って離れ……息をのむ。
「これは……?」
そこには、先ほどまでとは全く違う光景が広がっていた。
氷で覆われているという以外は全く違う。氷の形も、壁のデコボコ加減も、自分と壁との距離も。
「時間制限つきか……」
リオナルドがポツリとこぼす。
――そうか。時間をかけて通れる氷を見つけようとしても、氷がその場所を変えて探索を無意味にするのか。
氷の迷宮。ここはそう呼んでもおかしくない洞窟へと変化していた。
「めんどくせぇな!『氷の精霊』の試練!」
大声で叫び頭を抱えるエルンストに、セリナは苦笑しながら内心で同意する。
どうしたものか……そう考えていると、横からリオナルドの声が聞こえた。
「なんとかなるかもしれない……」
そう言ったリオナルドは、懐から取り出したのは一つの変哲もない眼鏡。
セリナはその眼鏡に見覚えがあった。かつて『緑の神殿』で『風の精霊』を見るために使われた眼鏡。
『東国』から持ってきていたのか、と思うと同時に、それならば氷の違いが分かるかもしれないと納得する。
そんなセリナの横でリオナルドはさっそく眼鏡をかける。
「イケメンがさらにイケメンになったところでなんになるってんだ?」
「……どうですか?リオナルド様」
事情を知らないエルンストは無視して、セリナはリオナルドに問いかける。
リオナルドはゆっくりと辺りを見回して……
「……うん。いけそうだ」
「よかった。無事突破できそうですねっ」
その言葉を聞いてセリナは明るく笑う。それを見てエルンストは何かを察したようだ。
そして、リオナルドは続けて言う。
「一気に駆け抜けます。大佐、ついてこられますか?」
「誰に言ってんだ?」
「ですね」
男二人が何やら納得したところで……エルンストはライラの首根っこを掴み、リオナルドはセリナを抱きかかえた。いわゆる、お姫さまだっこというやつで。
「えっ……えっ!?」
セリナが事情を聴くその前に――
リオナルドが風のような早さで進み、エルンストがそれに続いたのだった。