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偽物の聖女  作者: ゆきもち
プロローグ『中央国(ちゅうおうこく)』編
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第04話『幻聴』

全ての作業が終わり。

体にこびりついた血と汗をぬぐうように清浄の魔法で体を清め、先ほど作った服を身にまとう。

そして懐から男たちの所持品を調べた。今回の仕事で得たであろう前金が意外にも多く含まれていた。これだけあれば、しばらくは安心できそうだ。

疲労が重くのしかかるが、これで奴らも私が死んだと騙されるだろう。

そして――


「ふふ……っ」


思わず笑みがこぼれる。今日の出来事を振り返り思い出し笑い。


――今日の出来事。アルベルトの浅慮な言葉に、どこかで誰かが焦りと苛立ちに駆られているだろう。


本来なら、私はリアナの影の存在として利用され続ける運命だったのだ。それを覆すために彼らが用意した計画――国追放という表向きの決断の裏で、私を密かに連れ戻そうとする浅はかな策略。

その証拠に、つけられていた手錠には魔力制限と位置追跡の仕掛けが施されていた。国追放の重罪人に手錠を用意するのは、一般的には国民を守るための処置だ。しかし、この手錠はあまりに脆い――まるで私の本当の力に気づいていないかのようだ。本当に、本当になめられたものだわ。


――さてさて。この無様な計画を立てたのは誰でしょうね?


リアナか。それとも、彼女を聖女として担ぎ上げることで得をする国王か。あるいは別の誰か……

誰であれ、私を生きたまま連れて帰るべきだったという結論に達するだろう。そして、その失敗を報告する運命の男たちの末路は推して知るべし、といったところだ。

足元に転がる死体を一瞥し、私は軽く嘲笑う。その直後、不意に胸の奥が軋むような痛みを覚えた。だが……


「もう二度と、誰も信じない」


その言葉は自らの胸に冷たい刃を突き立てるような痛みをもたらした。裏切られ、利用され、孤独を選び続けてきた私。それでも、どこかで救いを求めていた自分がいたことを否定することはできない。

……けれど、けれど……そんなのもういい。

だって、孤独でいると誰も私を傷つけないでしょう?それに、その『孤独』のおかげで私は強くなったのだから。だったら一人でいい。


「誰もいらない……」


胸の奥が冷たく軋む。でもそれでもいい。孤独でいることでしか守れないものが、確かにあったからだ。






『来るな!『偽物』なんか出て行け!』

『話しかけないでおくれ!』

『リアナ様のお付きのくせに』

『リアナ様はなんて可愛らしいの。なのに……ねぇ』

『なんもできないくせにどうして『聖女』を名乗っているのかしら』

『恥だらけの『偽物』め』

『リアナ様がいればこの国は安泰だ』

『リアナ様素敵』

『リアナ様万歳』

『リアナ様!』

『リアナ様!』


……どうして……?


『リアナは優秀なのにどうして姉のお前はそうなんだ!』

『リアナだけ産めば良かったわ』

『リアナのような愛らしさがないのね』


……私は……


『お姉様。私はお姉様の味方です』

『だから、見捨てないでくださいね』

『大好きなお姉様』

『ずっと……』

『私の代わりでいてくださいね』


「うああああああっ!」


感情のままに叫びながら私はがばっと飛び起きた。荒い息を整えながら、薄暗い部屋を見回すと、先程まで見ていたものとは全く違う、見慣れない景色が目に入った。

汗が額を伝い、体が小刻みに震えているのを感じながらも、その光景を目にしたことで現実に戻ったことを理解する。


ここは……そうだ、小さな村の宿屋だ。疲れた身体を癒そうと泊まった場所。何日も野宿が続いた末の、久しぶりの布団。

人の少ない村の唯一の宿屋だからなのか、部屋にはベッドとドアと窓くらいしかなく、さらに小物を置く場所もない。古びて少しひび割れた壁や、長い間使うことによって少し変色した布団がどこか一抹の寂しさを漂わせていた。

開けた窓から伸びる月明かりだけが唯一の明かりとなり、冷たく茶色い木製の床を照らしている。


「……夢……」


状況を冷静に判断しようとしつつも声が震え、その声は自分でも驚くほど小さかった。

ささやかな風が顔に当たり、頬に伝っていた涙の跡を冷たく撫でる。指先で濡れたその場所をなぞるたびに、過去の記憶を思い出すようで胸が絞めつけられた。


「……ふぅ……ふぅ……」


手で顔を覆い、何度も深呼吸をする。夢を見ない魔法をかけ忘れてしまったせいだ。いつもならそれで防いでいたのに、久しぶりの布団を前にして油断した。

声にならない声が震え、首を絞められたような感覚になる。肩が震えているのが自分でもよくわかる。

国を追放されてから一週間。まだ私はあの国に囚われている……いや、きっと二十五年間の記憶が私を縛りつけているのだろう。忘れたいのに忘れられない。

……気がつけば、顔を覆った手が震えていた。涙が溢れそうになるのを堪える。

『泣いてはいけない』。それが唯一尊敬する人からの教えだ。


でも……今は……っ。


感情が心をどんどん飲み込んでいく。こらえていたはずの抑えきれない怒り、悲しみ、絶望が、せきを切ったようにあふれ出した。あの国から追放されるまであった出来事、現実がトゲとなって私の心を刺し続けている。

……あぁ、リアルな悪夢をみてしまったのだろう。夢の中で見た光景が脳裏に残る。あの城壁の冷たさ、リアナの無邪気な笑顔、両親の罵倒、そして人々の嘲笑……まるで現実そのものだった。

しかし、頬を撫でる冷たい風が現実へと引き戻した。

そう。産まれた時から『聖女』と呼ばれ、やりたくもない訓練を押し付けられて……耐えて、耐えて……それが全て国のためだと信じていたのに……


――記憶がよみがえる――


あの国で『聖女』として産まれた私は、産まれてすぐ家族から切り離され、物心ついた時には『中央国』の冷たい石の城壁に囲まれて過ごす生活だった。

訓練所では『お前は選ばれた存在だ』と称賛される一方で、失敗すれば罰が与えられる。『聖女』としての務めを果たせないことは、この国を滅ぼす罪だと何度も刷り込まれた。


『泣くな、セリナ。泣けば国が滅ぶ』


まだ幼い私にそう告げたのは、最初の師匠だった。白いひげを生やした老齢の割にとても強く、『聖女』の講師役に選ばれるほどの戦歴を残した元騎士だった。

そんな師匠は常に厳しい表情で私の訓練を見守り、失敗するたびに冷たく叱咤した。


『涙を見せるな。それは弱さだ。弱さは国を崩す』


幼い私がそんなことすら許されない日々。それでも私は、どこかで師匠の叱咤に温かさを感じていた。冷たい態度の裏側に隠された師匠の思いを、幼いながらも感じ取っていたからだ。そしてそれは、私がそのとき唯一感じていた温かさだった。あの時は今とは違って、師匠の前だけでは心から笑っていた。


……だが、その初めての師匠も、もういない。


あれは十一歳の時、彼が初めて私に「よく頑張ったな」と微笑みを見せた翌日、戦場で死んだと聞かされた。そのとき私は泣かなかった。けれど師匠の最後の微笑みは、今も私の心に鮮明に焼きついている。

師匠に顔向けできないことはしない。そう決めて、私は一人でも努力した。


まぁ……そんな努力も、私が産まれてから七年後にリアナが産まれたときに、その全てが無意味になったのだが――


リアナは天使と呼ばれ、その笑顔ひとつで人々の心を掴んだ。しかしリアナの無邪気な笑顔には、毒が潜んでいた。それは無意識なのか意図的なのか、いまだにわからない。

ただ、その笑顔ひとつで人々を魅了し、私を影に追いやるには十分すぎた。

無邪気な笑顔を浮かべて愛くるしい声で言葉で説く。どんなにつらい『聖女』の仕事もなんなくこなし、人々を癒し続ける。それが人々が知る『聖女』リアナの姿だ。

しかし実際リアナはなにもできない。やっていたのは全て私だ。リアナは私をまるで奴隷のように扱い、全ての『聖女』の仕事をおしつけた。

それだけではない。あの甘い声で『お姉さま、お願い』と言われると、私の意志に関係なく彼女の頼みごとを叶えるように動かなければならない。できないと彼女を泣かせた罰が待っている。

私がどんな目に遭っているか知ってているであろうリアナ。でもそんなことはどうでもよいと思っているのだろう。


そう、どうなろうといいのだ。なぜならリアナは存在するだけですべての人々に許されるのだから。


……ふと、どこかで『お姉さま』と呼ぶあの甘い声が聞こえる気がする。慌ててベッドから立ち上がり部屋を見回す。

さっきと変わらない宿屋の一室だ。冷静に考えてもこんなところにリアナがいるはずがない。このような質素な部屋にリアナがいたら発狂して怒りながら泣き出し、他の者に当たるだろう。

でも聞こえる気がする……あの無邪気な笑顔でリアナが私を呼んでいる声が……!


やめて、呼ばないでっ。今度はなにをさせる気なの!?


耳をふさぐ。だがそんなものがお構いなしに声は聞こえてくる。当然だ。この声は現実じゃないのだから。

そう、幻聴だとわかっているのに離れてくれない。リアナだけじゃない。色々な声がまるで今そばで言っているように聞こえる。


その声が思い出したくない記憶を蘇らせる……


――例えば優しかった人が戦場で命を落とした瞬間。かつて彼は『セリナ様ならきっと救える』と信じてくれていた。私もそれに応えようとした。しかし、私が使った癒しの魔法は間に合わず、彼は目の前で命を落とした。その瞬間に浴びせられた兵士たちの視線――失望と怒りとが混ざった、突き刺さるような視線が今でも忘れられない。


――例えば癒しの魔法が間に合わなかったとき。『お前のせいだ!』と、負傷者の家族から罵られたこともある。私が救った命になど一度も感謝されることなく、失敗だけが責められる日々。


「……私のっ、この二十五年間はっ……なんだったのよっ!」


現実の私が記憶の中の人々に叫ぶように言った。嗚咽がこぼれ、止まらない。

だが、返ってくるのは風に揺らされる葉の音、虫の声……

薄暗い部屋の中には私の言葉の返事をしてくれるものは誰もいない。

なのに私の脳裏にはリアナのあの笑顔が浮かんでくる。

その笑顔がどれだけ憎かったことか。だが、その笑顔を否定することすら許されなかった。リアナは国の希望であり、愛される存在である。それに比べて自分は……


涙を零し続けた。声を上げて泣くのは何年ぶりだろう。心の奥底に抑え込んでいた感情が溢れ出し、止められない。

なにもかも、耐え続けた日々が崩れていく。溢れ出した感情が胸を締め付け、体中が震える。それでも――少しでも涙を流し尽くせば、この苦しみが和らぐのではないかと、どこかで期待していた。

私は声を上げた。嗚咽がこぼれ、止まらない。ひざが床につくが、その床はギシリと音を鳴らすだけ。リアナも誰もいない。そこにいるのは私だけ。なのに……なのに……っ!


――いつになったら、この苦しみは終わるのだろう――


「うあああああああああああああっ!」


……それから……


どれだけ泣いただろう。数分だったのか、数時間だったのか……


すでに涙は止まり、呼吸は収まり、体の震えも小さくなり……ようやく感情が落ち着いていく。大きく深呼吸をして、顔を覆っていた手をようやく、ゆっくり下ろした。

先程まで薄暗く感じた部屋。そこには綺麗な月明かりが入ってきていて、部屋の中を優しく照らしてくれていた。

入ってくる風は穏やかで、窓を開けたままでいたからか、心地よい空気が部屋の中に入ってきている。それと共に聞こえる、優しい木々や虫の小さな声。それに私は目を細めた。

窓に近づき外を見る。畑と道、そしていくつかの家が目に入るさびれた村。でもここには私を傷つけるものなどなにもない。


「もう大丈夫……」


自分に言い聞かせる。私は『聖女』セリナではない。ただのセリナだ。もう国の道具ではない。

ここで終わるわけにはいかない。

自由を手に入れるんだ。私はもう『聖女』じゃない。ただのセリナだ。

一人でたくさんの国を見て、たくさんの場所へ行って、たくさんの食べ物を食べて、自由に過ごすんだ。


だから……


「一人で大丈夫……」


そう唱えるように言い、布団に潜り込む。そして、夢を見ない魔法をかけた。

夢刃の守り(むじんのまもり)』と名づけたこの魔法は、私が悪夢に苦しんだ幼少期に開発した、唯一無二の防御術だ。

心の中にある感情の核を見つめ、その周りに鋭い刃で作られた防壁を想像する。その刃は、悪夢を引き寄せる負の感情を斬り捨てると同時に、心の深い奥底を守り抜く。悪夢を排除し、ただ静かな闇だけが残る状態を作り出すこの魔法は、私が自分自身を保つための大切な術だった。


『私は強い』――そう心の中で呟きながら、私は再び目を閉じたのだった。

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