第36話『いつ帰ってきてもいいよ』
あれから数日後。『北国』へ向けて旅支度を終えることができた。
リオナルドは王城の出入り口で団長のアレクシスと、副団長のクイン、ヴィクトル、カスパル。そしてその後ろに並んだ騎士団に見送られようとしていた。
「これから大変だろうけどがんばれよ」
ヴィクトルに胸をこぶしでトン、と叩かれる。それにリオナルドは笑い、力強くうなずいて応えた。
「微力ながらサポートします。なにかあればいつでも連絡を」
「ありがとう。心強いよ、カスパル」
「お気をつけて」
カスパルが優しく微笑む。そして丁寧な礼をして見せてくれた。
誰にでも礼儀を忘れない、カスパルらしいその行動にリオナルドの顔がほころぶ。
「リオの席……副団長の代わりだけど、本当にカイゼルでいいの?」
「えぇ。なにか問題でも?」
カイゼルとは、第一騎士団の団長であるリオナルドを補佐している存在で、リオナルドが信頼している人物でもある。
リオナルドより先に騎士団に入団したこと、リオナルドよりも年上の四十代で経験豊富なこと。
そしてなにより、その実直さと正義を重んじる性格をリオナルドは気に入っていた。
年下である自分にもついてきてくれるその柔軟性。
第一騎士団を、そして『東国』をなによりも守ってくれる性格。
どんなことにも全力で立ち向かい、書類仕事も苦手だと言いながら、短い茶髪をガシガシと大きくごつい手でかきながらもやり通す姿。
彼ならば自分の代わりをしっかりとこなしてくれる……
リオナルドはそう思っているのだが、アレクシスは両手を組み腰を大きくしならせた。その柔軟さは見事なもので、彼女の長い白髪が地面についてしまっている。
「うーん……まぁ、リオが良いというのなら……」
「不安要素があるのですか?」
「実直さはたまにアダになることがあるからね。でも、ま、それはそれで良しだね」
それは良くないでしょう……
脱力したアレクシスの言葉は、旅を始めようとするリオナルドの後ろ髪を引いた。
冷や汗を流すリオナルドを見て、アレクシスは姿勢を正すと懐からあるものを取り出す。
それは……以前『緑の神殿』にて使った眼鏡だった。
「リオにあげる。困ったら使うといいよ」
「これは……?」
「眼鏡だよ」
「……それはわかります」
「それはね『真実が見える眼鏡』なんだよ。困ったらそれがある。だから安心して間違えるといいよ。いつでも失敗するといいよ」
「……それは嫌です……」
アレクシスは困惑するリオナルドに、にこりと優しく微笑むと、そのままリオナルドをぎゅ、と抱きしめる。
身長差のせいでアレクシスがリオナルドの腰辺りにしがみついているようにしか見えないが、リオナルドはその力強さと優しさ、温かさをはっきりと受け取っていた。
「リオ、私たちがついていることを忘れないで。リオ、君は一人じゃないことを忘れないで」
アレクシスが離れて手を上げる。リオナルドは分かっているとばかりに腰を落として……頭を撫でられた。
「助けようと思わなくていい。支えようと思わなくていい。今はまっさらでもいいんだ。ただの目標でもいいんだ」
アレクシスは笑う。優しく、リオナルドを導くようなそんな瞳を携えて。
「彼女とどうしたいのか……リオが決めたことを信じて、進んで」
彼女と……どうしたいか……
リオナルドの思いをどこまで把握しているのか、それはわからない。だが、無駄に背負っていたものがすっと消えていった。そんな気がしてリオナルドはアレクシスの笑顔に少し泣きそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます……団長」
「説教じみちゃったね。忘れていいよ。あと風邪引かないようにするんだよ」
アレクシスがリオナルドから離れる。じゃあそろそろと言わんばかりの時、クインが口を開いた。
「そういえば、セリナ嬢とエンちゃんが見えないが……どこに行ったんだ?」
「エンちゃんはもうやめてくれ。ライラという名前になったんだ」
「そうか……ライラ……可愛いな……ふへへ、会いたい」
「セリナは、その……挨拶をしに行ったよ。旅立ちの挨拶を……」
「挨拶? それほどまでに親しい者が『東国』にいたのか? 誰だ?」
クインが首をかしげる。騎士団の者をセリナにつけてはいるが、彼女に対抗できる実力の持ち主ではない。だからリオナルドがずっとセリナのそばに配置されていたはずだ。なのになぜ一人に?
そんなことを思っているのだろう。リオナルドもその任務の重要性はわかっている。だが、あえてアレクシスに言って今はその任務から外させてもらっていた。
任務に関しては厳しいクインの顔が少し真剣な顔になる。
わかっている。わかっているのだ。
だが、それでも……リオナルドはセリナを一人にしたかった。
セリナがそう望んでいると思ったから――
その思いが伝わってほしいと、クインに困ったような、言葉を選んでいるような、そんな微笑みをリオナルドは向けた。
「セリナの……大切な友達だ」
『東国』神殿の近く、そこには亡くなった者たちが眠る場所があった。
血縁者がいない者たちの墓。だが、丁寧に一つずつ埋葬されている。そんな場所に、セリナとライラは来ていた。
セリナが覚えている限りでは『彼女』には、手をつないでくれる大切な『お母さん』がいたはずだが、この場に埋葬されているということと『彼女』が奴隷だったことを考えると、その『お母さん』は邪魔な存在になる。ならばどんな末路をたどったかは、想像に難くない。
「大嫌いな友達が会いに来ましたよ」
自嘲するように笑い、持ってきた花を目の前の墓に供える。頭に乗っかっているライラの顔には、なにをしているのかわからないと書かれていた。
セリナはそのまま目を閉じて祈る。手を組み行ういつもの『聖女』の祈り。
さぁっ、と風が草を撫でる。木々の葉が揺れるほどでもない優しい風が流れる。
セリナはやがて目を開けると笑った。
それは……いつもの『聖女』の微笑みではなく、悲しみをあらわにした笑みだった。
「私はこれから旅に出ます。次にこの国に来るのはいつになるかわかりません」
セリナのひとりごと。だが、そこに誰かがいるかのように、会話するかのように言葉を紡ぐ。
「さみしいですか? つらいですか? 貴女はまた一人になりますものね」
ふふふ、と笑うと、セリナはちらりと辺りを見る。目の前と同じ墓が並んだ風景を。
「まぁでも……これだけいれば、知り合いがいなくても楽しく過ごせそうですね」
風が吹く。セリナの髪を揺らして、服を揺らして。
それでも、セリナの口は笑うことを忘れない。たとえどんな気持ちで、どんな思いを抱えていても。
どんな思いを言葉に込めていても。
「自由はどうですか? 楽しいですか? 面白いですか? 美しい世界ですか?」
セリナが手を伸ばす。誰もいないはずの墓のほうへ。誰かに手を握ってもらいたいとせがむ子供のように。
「私も……連れていってくれたら良かったのに……」
『……? セリナ……?』
セリナの震える体を感じ取ったライラが、セリナの頭から離れ目の前へと飛ぶ。
心配そうに顔をゆがめたライラを見て、セリナはいつもの『聖女』のような笑みを浮かべた。
「行きましょうか。リオナルド様が待っています」
そう言うと墓に背を向け歩きだした。
セリナの唐突さにライラは不思議そうな顔をするが、まぁいいかとセリナについていく。
そんなセリナはどんどん進み……一度だけ、ピタリと足を止めた。
「また、会いに来ます……」
そうして今度こそセリナは歩みを止めることはなく、墓を後にしたのだった。




