第29話『精霊』
『……まさか……貴方様がいるとは思わなんだ……何用じゃ?『精霊王』よ』
せ、せ、せいれいおう?
『精霊王』って言った?『風の精霊』と呼ばれる存在が?
――かつてなにもなかった空間から『それ』は生まれた。
『それ』は自分の力を複数に分け、さらに一つの存在を作った。その『力』はやがて精霊と呼ばれ、存在は『世界』と呼ばれた。その世界に『それ』はさらに作り出す。世界に『種族』という存在を。
やがて全ての存在とともに在る『それ』は『精霊王』と呼ばれるようになったのだった。
昔読んだ文章がそのまま頭の中で流れる。
いっ、いやいやいやいやいや!そんなわけない!神と崇め存在を信じ祈る神殿の連中だってこんな状況は否定する!
せせせせせ『精霊王』!?『精霊王』ってあれ!?あの『精霊王』!?私の知っている伝承でしか存在しない『精霊王』であってる!?
確認したいが……できない。
先程から私の体は震え、血の気が失せている。服のどこかを掴んでいないと自分を保てない。
こんな感覚久しぶりだ。とうの昔に無くしていたと思っていた感情。歯がカチカチと小さく鳴る。
……怖い……!
無意識に助けを求める。だが、リオナルドもクインもアレクシスも、『風の精霊』でさえも……その存在の前では無力だと語っていた。
『風の精霊』のほうがよっぽど強い気配を出しているのにも関わらず、だ。ちっぽけに思えてしまうところがまた恐ろしい。
『お前と同じだよ。珍しい者がいるなと見に来ただけだ』
子供とも、大人とも、男とも、女とも感じる声だけが聞こえる。反響しているせいか?わからない。わからない。
『たいしたことない『聖女』の生まれ変わりだと思ったが、なかなかどうして』
『……ふむ。貴方様がそう言うのなら見込みはあるようじゃな』
『風の精霊』が私を見る。私は動けないまま精霊たちの会話を聞くことしかできない。
じーっと『風の精霊』が私の全身を見てくる。そしてぷいっ、とそっぽを向いた。
『ダメじゃ。こんなのにやる気など出ん』
『ふはははっ!お前の好きにしたらいい!それでこそだ』
『……本当に暇つぶしに覗きに来たんじゃな……』
『そう言ったが?』
のどかな会話に聞こえるが、全くついていけない。説明が欲しい。それを口にしたいが言葉が出ない。
混乱と恐怖でますます動けなくなる。
『ふむ……どうやら『聖女』はなにも知らんらしい。説明してやれ』
『ワシが?めんどくさいのう……』
『精霊王』の言葉に心底ダルそうにしながらも、『風の精霊』が私のほうを向く。
そして人差し指をひらりと動かすと、風が器用に草花でなにかを形作りだした。
それは……人間の国の地図か?中央に一つ、それを囲むように四方に四つ。
『あー……昔々、ワシらはキサマら人間に手を貸した。ワシはこの東にある国を守っておる』
『東国』に見立てられたであろう草がひらりと動く。その姿は楽しそうに踊る子供のようだ。
『それと、真ん中の国と魔法陣もじゃ。そしてワシは少々流れを読むことに長けておる』
今度は『中央国』に見立てられたであろう草が動く。だが、先程まで動いていた『東国』の草と比べて動きが散漫だ。
『だから、ワシはキサマらがここに来た理由を知っておるということじゃ。ほとんど機能しておらん真ん中の魔法陣。崩れてきておる国々の力の流れ。それを直すために力を貸せ、そういうことじゃろう?』
――そういうことなのか?
私はただ連れてこられただけでなにも知らないので、勝手にわかっていられても困るのだが……
ただ、一つわかったことがある。
『中央国』の魔法陣はまだ機能しているということ。そして、それを各国にいるであろう精霊が保護していたということ。
だからいつまで経っても魔法陣は壊れないのか。つまり私がたくさん仕掛けたトラップも無意味だったということだ。
心の中で舌打ちをするくらいには『風の精霊』の声に耳を傾けられる余裕がでてきた今、『風の精霊』は言葉を続ける。
『確かにワシは『守るもの』じゃ。力を貸せばできんこともない。じゃが……ダメじゃ!その肝心の『聖女』がこんな程度じゃ貸す気にもならん!そしてなにより……』
『風の精霊』は腕を組み、はっきりと言う。
『めんどくさい!』
……えぇー……
『ということだな。こうなれば簡単には言うことは聞かんぞ。どうする『聖女』よ』
楽しそうな『精霊王』の声。いつの間にか私が中心となって話が進んでいることに驚いているが……
そもそも私は魔法陣も『中央国』も守る気はない。むしろこのまま嫌われたままで壊れてくれたほうがよっぽど良い。
なので、私はなにも話さない。早くこのプレッシャーから解放してほしい。今願うのはそれくらいだ。
「それで、は、人間の国は、終わってしまいます……」
アレクシスが言葉を紡ぐ。この状況で声を出すことができるのか。
「私は……取り戻したい、のです……かつて、貴方様がたが、手を、か、すほど、愛して、くれた、人間、の姿、を……」
あの『風の精霊』がふむ、とアレクシスの言葉に耳を傾けた。だが、先程から見せる拒否の形は残ったまま。
「お願い、します……この『東国』、を、守る、存在の、願い、です……!」
ゆっくりゆっくりと、動けないであろう体を無理やり動かして、『風の精霊』にかしずいた。
その願いは心からのものだと、自分の全てだと、そう言うかのように……
『……お前の好きにしていいぞ』
『むぅ……そうじゃなぁ……』
『風の精霊』がひらりひらりと草花をまとわせて空中を舞う。その姿を私はただ見つめることしかできない。
やがて『風の精霊』はピタリ、と止まった。なにやら思いついたようで楽しそうな笑みを浮かべている。
『しばらく『聖女』についていくとしよう。そこでどうするか見極めるわい』
嫌だ……
眉間にしわが寄る。この存在、このプレッシャーが常に一緒にいるなんて冗談じゃない。
『ワシは『風』じゃ。他の精霊とは違い行けないところなどない。どうじゃ、嬉しいじゃろう?』
にやにやと笑い私を見つめてくる『風の精霊』。私の感情はどうやら読まれているようだ。
性格が悪すぎる……!
睨みつけた私に対して、ふんと鼻を鳴らし笑う『風の精霊』。
私は人間だけではなく、精霊にまで悪意を向けられなければならないのか?
本当にふざけた世界だ――
『まぁ、ワシは鬼ではない。それに四六時中一緒にいるのはめんどくさい。そこでだ、人間たちに命ずる』
『風の精霊』はアレクシスを向いて、ニヤリと笑う。良い案を思いつきました、と顔にしっかり書いてある。
『キサマらは運が良いな。この国にちょうど風の眷属がおるようじゃ。それと東の人間をそこの『聖女』につけよ。それを通して『聖女』を見極める。それでどうじゃ?』
「……おおせのままに……」
風の眷属?風とともに住む種族のことか?それがこの『東国』にいる?
その眷属もこのプレッシャーを放つものじゃないのか?と意地の悪い『風の精霊』の案に難を示す。
それに、何度も言うが私は『風の精霊』に認めてもらいたくはないのだ。勝手に進めて勝手に決めてもらっては困る。
『……さて、と。これで楽しい楽しい暇つぶしができたわい』
くかかか、と笑いながら『風の精霊』はその姿を風に紛れさせて消した。それと同時にひざから力が抜け、その場に座り込む。
冷たい汗が止まらない。息が荒い。あんなに綺麗だと思ったこの場所が今や恐怖の部屋だ。
『精霊王』の気配も感じない。いつの間にか消えていたらしい。勝手に表れて、勝手に消える。なんて迷惑な。
今の出来事をだまだ混乱した頭で整理しようとしていたら私の耳に、アレクシスの言葉が届く。
「やったね」
ピースをして笑うアレクシスの眼鏡が、盛大にずり落ちていた。




