第19話『奴隷紋』
奴隷紋とはその名の通り、この紋を刻まれたものは『主人』の命令に逆らえなくなる奴隷になるというもの。
『中央国』では当たり前にあるシステムだが、他の国では禁止されていたはず。だがまぁ、見つからなければ問題はないと考える貴族や金持ちおばかさんはどこにでもいる。
しかし、それよりも背中の奴隷紋がどっちのタイプなのかが気になる。
これをつけるには魔道具で体に直接焼印する方法と、魔法を用いる方法の二つがある。
解除方法は『主人』が解除の呪文を唱えるか、強力な魔力で解除することだけ。
解除には世界でも数か所しかない特別な神殿や施設で、莫大な費用をかける必要がある。また、解除の呪文を知らずに買う『ご主人様』も存在するため、刻まれたら事実上逃げることができない。
――普通ならね。
私は女の正面に回り、じっと見つめる。相変わらず抑揚のない表情で、いつ死んでも問題ないといった風に思っているだろう。そう洗脳されていると言ってもいい。
私にはわかる。なぜなら……って、そのことは今はどうでもいい。
私は女の警戒を解くような優しい笑みを浮かべた。
「私がその奴隷紋を消してあげましょうか?」
女が身体を震わす。
「私ならできますよ。どうですか?」
女は答えられないだろう、そのように契約しているから。でも、その大きな黄色の瞳は必死に私に何かを訴えている。
それがわかれば十分だ。
「では、これから魔力の糸で拘束します。短剣も一時的に没収させていただきますね。それから、リオナルド様にも拘束してもらいます。そのあと今の魔法を解いて奴隷紋を消します。戦いたくなると思いますが、頑張って抗ってください。わかりましたか?」
「……うん」
あら素直。
もっと抵抗するかと思ったが……よほどのことを『ご主人様』にされたと見える。
「では背中をこちらに。リオナルド様、お願いします」
「わかった」
リオナルドは短剣を全て取り、身体検査をしたのち、宙から地面にゆっくり降ろした女の腕をつかんで、完全に無力化する。
本当に一を伝えたら十やってくれる優秀な男だ。
私は女を魔力の糸で、手足をさっきよりもきつく縛り上げたあと、かざしていた手をおろし、動かなくなっていた女の魔力を自由にする。
女に力が入るがリオナルドと魔力の糸で動けないようだ。それに……女なりに命令に抵抗している?
「では、ここでは目立つので部屋に戻りましょうか」
私はそう言うと、魔力の糸で女とそれを支えているリオナルドを部屋に戻し、自分も戻った。
そして無事に部屋の真ん中あたりに着地している二人を見て、扉の方に向かう。
「びっくりした……!もっと早く言ってくれっ!」
「あら、ごめんなさい」
別に対応できるから大丈夫でしょうに。リオナルドの抗議の声にホホホと笑いながら扉を閉めて、時空の倉から取り出した半透明で薄い布を扉に両手で広げて当てる。
魔道具『静寂のベール』。この布を広げて壁に当てると、その場所を中心とした一部の範囲の音が一切外に漏れなくなる。
範囲は狭いが、部屋一つ分くらいなら余裕で無音にできる。欠点は外の音がわからなくなるくらいだ。
さて、と。これで何が起きても大丈夫。
私は女に近づき、震える背中にある奴隷紋に触れた。
……うん。なんとかなりそうだ。
私は意識を集中させて魔力を手に集め、魔法を発動させる。
奴隷紋を解く魔法――『断鎖の聖印』。
奴隷紋に直接触れないと発動しない、膨大な魔力量と高度な操作が必要、場合によっては魔道具も必要、魔力が高まる場所じゃないと使えない……など、制限がたくさんある魔法だが、私なら場所を問わずにできる。
だが……
「いっ……あっ、ああああああああああああああっ!」
女がのどが壊れそうなくらい叫び、力任せにもがく。
奴隷紋――言い換えれば体に刻み込まれた魔力。それを無理やり引きはがす行為だ。大の大人でも暴れ気絶するほどの痛みをともなう。だから、リオナルドの拘束だけではなく、魔力の糸でも拘束したのだ。
奴隷紋をちょうど隠せる大きさ――三本の指で紋章をなぞり少しずつ解いていく。他の場所に魔法を発動させても、いたずらに肌を傷つけるだけだ。
綺麗に消してしまおうと思ってはいるが、少し痕が残りそうだ。それに私の負担も思ったよりも大きい。これは時間がかかりそうだ。
奴隷紋は刻まれた年数が長いほど深く浸透し、解除が困難になる。
となるとこの子はいつから奴隷だったのか……そのことを、使う魔力量で嫌でも感じさせられる。思わず顔がゆがんだ。
「これを嚙むんだ。大丈夫だ。きっとすぐ終わる」
リオナルドがとっさに布を口に当てて噛ませる。大粒の涙がこぼれ、必死に頭を振って痛みに耐えているその耳に、頑張れとずっと激励を飛ばしている。
そう大丈夫。これが終われば自由になれるから……
――それからどれくらいの時間が経ったのか……
少女は叫び続け、えづき、何度も体を震わせる。それに合わせて奴隷紋から指が離れないように調整し、時間をかけてなるべく痕が残らないように解除をしていく。
リオナルドの言葉が届いているのか『痛い』『助けて』という言葉が、時折『負けない』『がんばる』に変わる。
痛みに強いと豪語していただけあって、意識を失わないのは尊敬に値する。
しかし、その強さと同時に痛みに慣れさせられたこの体を、早く治したいと胸の奥が苦しくもなった。
――そして全ての奴隷紋を消し終わり……
しっかりと確認も終えた私は手を背中から離し、少女を拘束していた魔力の糸を外したあと、自分の汗をぬぐった。
目の前にはぐったりとうつむき気絶した少女と、それを支えるリオナルドの姿。
ふぅ、と深呼吸して辺りを見回す。
月がさっきよりも傾いている。夜明けまであと二時間くらいといったところか。
今とても胸糞が悪いので、これから『ご主人様』なる者のところに殴り込んでやろうと思っていたのだが、それを知る少女は気絶し、私の疲労は思ったよりも大きい。残念だが今日はやめておいた方が無難か。
ならば……
「今日はこのまま逃げます。よろしいでしょうか?」
「……そうだな。この少女をどこか良いところで休ませてあげたい」
「そうですね」
野宿の時に使わせてもらった敷布。あれはとても良いものだった。十分に回復できるだろう。
少女を優しく抱きかかえて窓から外へ出ようとするリオナルドに、私はにこりと笑いながら声をかける。
「では、リオナルド様」
「……セリナ?」
「責任、とってくださいね」
――なんの?
そう思っただろう。その言葉を聞くよりも早く。
「えーい!」
私は部屋の中を、まるで敵に襲撃を受けたあとのように荒らした。こうして争いの跡を残し、行方不明になれば『ご主人様』も状況がわからず、すぐに追っ手を出すことはないだろう。
そんな大義名分を引っさげて。偽装工作というより、思うがままに暴れまわり……満足したところで手を止め、満面の笑みで大きく息を吐いた。
遠くで『えぇ……』と絶句し、真っ青になったリオナルドを無視しながら。




