第102話『大地の試練05』
セリナは仰向けになって寝ころんでいた。
そこは色々な部屋を繋ぐ大きな円形の部屋。石で作られている床や壁に葉や花、ツタがついていて、少しの風でも静かに揺れている。
その部屋の真ん中に寝ているセリナの目にはなにも映っていない。ただ天井を見ていた。
セリナの頭のほうにある扉の先、泉の部屋に行って試練を超えなければならないのに……
それともセリナの足側にある扉、そこから小人族の里を通って逃げ出してしまおうか。
いや、それよりもセリナの右側にあるいくつかあるドアの一つ。今のセリナの部屋に戻り、ベッドに倒れるのも良い。
ちなみに他のドアも同じ構造をした部屋だった。複数人ここに軟禁されたことがあるということだろうか?
そして左側のトイレや洗面所……先ほど行ったが、セリナの口からは、えずきが出るだけで他はなにも出なかった。
では、泉の部屋の近くにあるドア。そこのお湯で体を癒すのも良いかもしれない。少なくとも胃の不快感は無くなるはずだ。
………………
セリナは天井を見つめていた。もう起き上がる気力すらなかった。
体が重く、指一本動かすのですらおっくうだ。
もうなにもしたくない。なにも考えたくない。なにもかもが面倒だ……
………………
天井を見つめる。だが、セリナ自身もどこを見ているのかわかっていない。
そもそもどうしてセリナはここにいるのか?こんな思いをしてまで。
……そうだ。リアナの洗脳魔法を解くためだ。セリナにかかっている魔法を解きたいんだった。
それがいつのまにか、世界中の人間の洗脳魔法を解くことになっていた。セリナ一人なら、別に精霊の力を借りずとも解けるのではないだろうか?
いやそもそも、解く必要などあるのだろうか?
いいじゃないか、元々リアナの人形だったのだ。それから逃れた先にあるのが、愛という忌まわしいものしかないのなら……っ!
………………
天井を見る。
またごちゃごちゃと考え始めてしまった。もう考えたくないんだった。やめよう。考えるな。
しかし、セリナの人生は考え続ける人生だった。どんな時でも頭を使って、自分でなんとかしないと生きていけなかったのだ。これはクセを通り越して生存本能だ。それをやめることなどできはしない。
………………
そうだ。何度も『教育』で死にかけた時、こんな風に寝転んでいた。その時無意識に考えていたことがある。
それは書物の復習だ。
『教育』と『指導』に加えて毎日行われていたテストでは、前日に渡された書物に書かれていたことについて答えられなければ鞭で殴られた。だから、どんなに書物が多くても寝ずに読んで頭に叩き込み、こうして倒れている時に頭の中で復習していたのだ。
「最後に見た本は……」
そこまでつぶやいて、セリナはとある本を思い出した。別に最後に読んだ本ではない。天井についているツタが、剣を振っている人間に見えた。ただそれだけのことだ。
「はるか遠い昔……『勇者』は『魔王』を倒して人間は平和を取り戻した……」
まるでそこにその書物がここにあり、音読しているかのようにセリナは声を出す。
かすれた小さな声だ。万が一にでも『教育係』に聞こえたらサボっていると言われ殴られる。だから身につけたもの。声に出したほうが頭の中に入りやすい。
「平和の象徴として『勇者』一行は国を作り、『聖女』は魔法陣を作った。魔法陣は五つの国にある鍵を起点として作られており、膨大な魔力によって維持されている」
書物にはそう記されていた。実際には鍵などなく、代わりに精霊がいたというのが真実。
魔法陣の中では人間に手出しできないシステム。魔物は魔法陣の中に入ることができず、他の種族も人間へ『攻撃』することが許されない。それは自然の力さえも有効とされた。
人間のための、人間に優しい魔法陣。
魔法陣の全てを知る者は、今の世でどれだけいることか。
かくいうセリナも完璧にわかっているわけではない。実際に鍵があると思っていたくらいだ。
ただ、その魔法陣は『聖女』によって保たれることは誰よりも知っている。逆に言えば『聖女』がいなければ魔法陣は不安定になりその効力は薄まる。
――そう、今のように。
魔物が人間の国にはびこり、他の種族が人間に戦争をいつでも仕掛けられる今の世の中。
そんな今だからこそ魔法陣に細工をしてきた。他の『聖女』や、一般人よりも多い魔力を持つ魔法使い、神官などが魔法陣を維持できないように。
そうすればきっと、いずれ魔法陣は壊れて混沌とした世界になる。
そうして人間が滅んでしまえばいい。
それが追放される前のセリナの願いだった。
だが、そんなものは無意味だと旅を通じてわかった。精霊が魔法陣に力を貸せば、『聖女』の力がなくともある程度は維持される。
それに各国にいる精霊が、自身が身を置く国だけは魔法陣を使わずとも、守ることが可能だということも知った。
「そうして平和になった世の中で、人々はいつまでも幸せに暮らした」
……という綺麗ごと。
『聖女』は『中央国』で産まれる。今はその事実を利用して権威を振りかざす『中央国』と、不信感を抱いた四つの国、という歪な世界が出来ていた。
ほぼ機能していない魔法陣と、やる気のない『聖女』で他を見下す『中央国』は実に滑稽だ。
「世界は愛で溢れている……」
ならば、なぜ不幸になる者がいる?それも愛を感じるためだというのか?
……あぁ、だめだ。考えるな。そんなことは書物に書いていなかった。書いていないことは考えなくていい。なにも考えなくていい。
なにも考えるな。なにも。やめろ、やめろ……っ!
「……それから『聖女』は……っ、みなを愛し、愛される存在として、いつまでも世界を平和に導いた……っ!」
今の世には『本物の聖女』という存在がいる。リアナというセリナの妹だ。肉親だ。家族だ。
リアナは誰からも愛されている。嫌っている者は誰もいない。それは憎しみを感じたこともあるセリナですら。
今は洗脳魔法をリアナが使ったからということを知っている。しかし、全てが洗脳魔法がもたらしたものなのか、それはわからない。
屈託なく笑う愛らしい顔。甘い声。誰もが見惚れてしまうその容姿。
好き、好きよ、リアナ。愛しているわ。
だが、テリアが弟を想う気持ちと同じなのか?これが家族愛なのか?本当に愛しているのか?
それにセリナの愛などという醜悪なもので、リアナを汚していいのか?
リアナは『聖女』だから、良くも悪くも愛で満たされていなければいけないのか?
「ならば……私は……?」
やめろ考えるな。
痛い、胸が痛い、気持ち悪い、痛い痛い。考えるな。なにも考えるな。
風が少しだけセリナの頬を撫でる。風は心地良い。心地良いものは……好き?
好きなものは、愛している?それは愛と呼ぶの?
「………………っ!いやだ、いやだよぉっ!」
頭の中でセリナを呼ぶ声が聞こえた。
いつもそばにいてくれて、温もりが優しくて、たまに居心地が悪くなるけど、こうして離れているととても寂しくて、また再会できたときには安心できて……
セリナをいつも支えてくれる、そんな人の声……
だけど……っ!その人に向けたこの気持ちを愛だなどと言いたくないっ!愛は裏切る!愛は信用できない!
愛は……怖い……っ!
セリナの目から、枯れ果てたと思っていた涙がこぼれ落ちた。目を閉じても、横を向いて寝転がっても、カタカタ震える手を自身で握っても、なにをしても止まらない。
「うぅ……!うぁぁああ……っ!」
嗚咽が出た。もう嫌だ。なにも考えたくないのに、なにかを考えてしまう自分が嫌だ。嫌だ。嫌だ。
いっそ、いなくなってしまいたい――
『セリナ』
また呼ぶ声に思わず目を開けた。『彼』の声だ。だが涙でぼやけてなにも見えない。
そのままの状態でしゃくりあげて、つばを飲み込んで、鼻をすすって……それを繰り返しているうちに、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
荒ぶった息が整い始めたころ、セリナの目には一つの花が映った。
壁の近くに咲いている花。中央で寝ているセリナには良く見えない。だが気になる。可愛いと思ったからだ。
なんという花だろう?そう思っても体は動かず花の元へは行けない。自分の力ではなにもできない。ただ見ているだけだ。
枝先に白い花がついていた。周りの花のようにツタがあるわけではなさそうだ。あまり目立ってはいないが、細く長いおしべがあり、扇状に開き元気に咲いている。
「近くで……見たいなぁ……」
そう思っても無理だ。セリナの体は動かない。ただ、少しだけ手を伸ばした……が、すぐに地面に落ちてしまう。手のひらは全てをあきらめ、天井を向くだけ。
疲れ果てたセリナの目は花を見ていた。頭の中は真っ白だ。
「かわいい……」
その言葉も無意識だ。なにも考えていない。
少しでもセリナの脳内が考え始めたらまた思っただろう。この気持ちも愛と呼ぶのか、と。そうして繰り返す。答えが出ない問答を。
しかしそれすらできないほど疲れているセリナは、そのまま目を閉じた。
心地よい風に吹かれて、可愛い花を見た。それだけが事実。
そして、落ちていく意識の中で一つだけ願った。
花に。あなたを見せてほしい、と……
その時だった――
セリナの手のひらになにか違和感を感じ、セリナは重たいまぶたをゆっくりと開いた。
すると……手のひらにあったのだ。先ほどの花が。
ぼーっとしながらも、目は花の茎が伸びていることを確認した。遠くにあった花が伸びて、セリナの手のひらまで来てくれたのだ。
「ありがとう」
少し微笑んでそう言うと、花が喜んでいるように思えた。セリナにはそう感じた。
そう、それだけ。ただその事実がそこにはあるだけ。
「かわいい」
花が風に揺られて優しく揺れる。それだけ。
花は地面を這って伸びている。それだけ。
他にも色々な花が咲いている。それだけ。
「そうか……それだけなんだ……」
そこには名前がついていない。なにもない。それがあるだけ。
名前をつけるのはセリナだ。たくさんの言葉があるのだ、自由につければ良いだけ。
そこには『本物』も『偽物』もない。セリナの『自由』があるだけ。
だから、セリナは名前をつけるのをやめた。
セリナはここにいて、花はセリナの願いに応えてくれた。そこに名前など不要だ。
目を閉じると花だけではない、たくさんの命の息吹を感じた。地面を通し、大地を通して、それを感じる。
名前を付けて反発しなくて良い。それを全身で受け止めるだけで、ほら、こんなに心地良い世界がある。そこに『自由』がある。
「本当だ……簡単だね……」
セリナは無意識に笑った。なぜ?そんな問いは不要だ。
それでいいんだ……
「こりゃあ……っ」
勢い良くドアを開けてセリナの様子を見に来た、おばちゃんが『それ』を見て固まった。
とてつもない大きな力を感じたから急いで来た。ある程度の予想はしていたが、これは思っていた以上だ。
「なんとまぁ……どえらい子だねぇ、セリナちゃんは……!」
おばちゃんの開けた大きな扉の先。
部屋の中では色とりどりの花が咲いて彩り、たくさんのツタが部屋を飾りつけるように巻きつき、巨大なたくさんの葉が中央で器のようなものを作っていた。
そこにいるものを慈しむように、愛おしく見守るように。
その葉の中心ですやすやと眠るセリナ。
手のひらではギンバイカが楽しそうに風に揺れていた。




