第101話『大地の試練04』
セリナは泉を見て立ち尽くしていた。
ここに来てから何度もこの泉には恐怖を感じた。だが、今は違う。
――嫌悪感。
昔は好んでいた。幼いセリナが一番好きだった書物は恋愛もの。それくらい愛は素敵なものとして認識していた。
しかし今は……
あぁ、吐き気がする。この泉の綺麗な水にも、まとっている力にも。男女の像にも。この部屋全てが。
それはここにあるもの全ての力が『愛』と呼ばれるものなのだと知ったからだ。知らなかった頃にはもう戻れない。
だが、吐き気の原因はそれだけではない。
元々セリナは自然の力を使った魔法は得意ではなかった。それはその名の通り、自然の力を『借りる』ものだったからだ。
自分の魔力に、自然の力を乗せるのを自然魔法と呼ぶ。それをセリナは一般の人間でもできるくらいのものしか使えない。
セリナが得意とするのは自身の魔力を使ったもの。癒やしの魔法や血変などだ。あとは魔力操作も得意なので、魔力の糸を駆使している。
――だって、いつ裏切られるかわからないでしょう?
一人で生きてきたのだ。だからなにも信じられなかった。なにも信じなくなった。裏切るのは人間だけじゃないことを、セリナはその身をもって知っている。
全て自分で対処してきたのだ。なんでも自分でやってきたのだ。だからここに存在する自然の力、いや、精霊の力に嫌悪感を抱いてしまう。
だけど……
追放後の旅を通して、セリナは一人じゃなくなった。誰かに頼ることを知った。手を伸ばしたら誰かが握ってくれるのだ。それはとても優しくて心地良いものだった。セリナにとって大切なものになった。
そうだ。
信用すること、頼ること……それはとても大切で……
「愛おしい……?」
――!?――
強烈な吐き気。こみ上げてくるものを吐き出したいが、両手で口を押さえてなんとかこらえた。
自己回復能力が発動していないようだ。ならばと癒しの魔法を使おうとして、なんとか息を整えたあと自身の手を胸に当て――
「……っ……!うげぇっ……!」
吐き気により中断される。先ほどとはまた違う波に襲われた。一つの考えがセリナの頭の中をよぎったのだ。
癒しの魔法は誰かを慈しみ回復する魔法だ。ならばこの魔法も『愛』で構成された魔法なのではないか?と。
そんなものを、自分はずっと使ってきたのか?と。
嫌だ、嫌だ、いやだいやだ……いやだっ……!
救いとしての愛。それは壊れそうなものを支えるもの。
執着としての愛。それは利用され、利用してきたもの。
赦しとしての愛。それは傷ついても前に進むために誰かを想うもの。
他にも求愛、性愛、溺愛、敬愛、友愛、自己愛、母性愛……
世の中のもの全てには愛がある。愛が名前を変えただけのもの。愛がないと足を動かすことができない。
それが……この試練の答えだと知ってしまった……
私には……なにもできない……
気がつけばセリナはしゃがみこんでいた。正確には足から力が抜けた。泉に浸かってすらいないのに。
泉を前にして、膝を抱えて座り込むことしかできなくなった。
こんな時もし……仲間と呼べる者たちがそばにいたら、きっとセリナのことを励ましただろう。
『ゆっくりでいい。立ち上がれるようになるまで見守るから』
そう言って、そっとそばにいる仲間がいたのかもしれない。
『大丈夫?ボクがそばにいるよっ!』
そう言って、温もりをくれる仲間がいたのかもしれない。
『お前の力はそんなもんじゃねぇだろ?守ってやるから立て』
そう言って、渇を入れてくれる仲間がいたのかもしれない。
でもそれも『愛』と呼ぶのなら、そんなものいらない。ほしくない。怖い。
だって……
――私のことを、いつ裏切るの……?
一番愛を囁いてくれた妹のリアナですら、セリナを洗脳していた。そんなリアナから聞かされていた、愛という囁きが一番おぞましい。
今ではちゃんと理解している。でも幼い頃は違う。
おもちゃのように扱っても、大事にされていなくても、気まぐれなものだとしても。
リアナからの愛は『本物』であってほしかったのに……
「ちょ!ごめんなさいっ!もうしませんからぁっ!」
遠くから声が聞こえてきた。そして勢いよく開かれるドアの音と、大きな水しぶきが上がる音。
ここに来てから何度も聞いた音だ。
セリナは、無意識にドアのほうを向いた。こんなにしっかりと聞こえてきたのは、この部屋のドアをちゃんと閉めていなかったからだとその時気づいた。
「まったく!懲りない子だねぇ!そこでまた反省しなっ!」
「ごめんってぇおばちゃんんっ!」
勢い良く締まるドアの音が聞こえてしばらく経ったあと、セリナは手で這いずりながら泉の部屋から出る。そのあと壁に寄りかかりながらなんとか立ち上がり、バシャバシャと水の音が聞こえる部屋に向かった。
「あ……まだいたんですかぁ?」
お湯に浸かっていたのは予想通りテリアだった。足をぶつけたらしく、赤くなっている。
なにをして毎回ここに連れてこられているのか、セリナに興味がなかったのでなにも聞いていない。だが、同じことを何度もやって捕まっているのはなんとなく会話の内容でわかっていた。
「……なにをしているんですか?」
「なにって……開き直って楽しんでいるんですよぉ」
テリアは着ていた服を脱ぎ始めていた。やがて裸になると、お湯に潜り、すぅーっと泳ぎ始める。
そして、顔を出してプカプカと浮かび始めた。
「……あーっ!やっぱり、お湯に浸かるなら裸が一番ですねぇ……」
いつもセリナもテリアも服を着たそのままでこのお湯に放り込まれていたから、裸で入るという発想がなかった。なるほど、そうするとお風呂のように温まれるのか。
……だからなんだ、という話だが。
少しだけ笑うセリナを見て、起き上がったテリアが怪訝な顔をした。セリナの表情に違和感を感じたのだろう。テリアは眼鏡を上げてもう一度確認し、やっぱりまた同じ怪訝な顔をした。
「……なんですか?」
「それはこちらのセリフですよぉ。なんですか?その変な顔」
失礼な。と思ったが、それを返す気力はセリナになかった。
言い返すこともせず苦笑するセリナに、ますます顔を歪ませたテリアはすぐに違う方向に目を向けた。
「はぁ……早く見つけないといけないのに……もう、どこに行ったの……?」
テリアの小さなひとりごとが聞こえてしまった。それでそう言えばテリアは弟を探していると言っていたことを思い出した。
「……弟さん、ですか?」
「む……そうですよぉ。貴女が人生を変えてしまった可愛い弟です」
それは冤罪、とは言えず。今、テリアをけしかけて敵対するのは無理だ。
「あぁ……あんなに可愛い弟がさらわれてしまったらどうしよう……いや、きっとそうなってるに決まってる。早く見つけて助けなきゃ……」
あぁ、テリアは弟が好きなんだな。
そう思って……こみ上げる吐き気を、手で口を押さえてなんとかこらえる。
「なんですかぁ?」
「いえ……でも……その……」
歯切れの悪いセリナにテリアの顔がまた歪む。
目を閉じて深呼吸をし、なんとかテリアに向けて言葉を紡ぐ。
「その……弟さんの気持ちは……愛、なん、ですか……?」
言って下を向くセリナに疑問を抱いたテリアだったが、些細なことだ思ったのだろう。すぐに気にした態度がなくなり、当然かのように答えを言う。
「そうですねぇ。家族愛ってやつですよぉ」
「………………」
家族愛……そうだ。この小人族の里に来た時それを思ったのだ。
まるでこの里の人間が一つの家族のようだ、と。
家族愛で構成されている小人族が『大地の精霊』の眷属。なるほど腑に落ちた。
だが今度はそれを考えると、テリアやおばちゃんも含め、小人族全員が気持ち悪い生き物に見えてくる。
考えれば考えるほどに、頭の中に『愛』という言葉がこだまする。
どれもこれも愛。あんな出来事も愛。あの日のことも愛。そんなことも愛。
それから愛。愛、愛、あいあいあいあい。うるさいうるさいっ!
愛をささやかないで、気持ち悪い……!その言葉に、思いに、なにを隠しているの?
下心?下卑た感情?企み?憂さ晴らし?気まぐれ?妄想?希望?失望?怒り?悲しみ?
やめてよ、やめて。私にぶつけないで。私に言わないで。私を放っておいて。
私を『愛』という名の暴力で殴らないで。壊れる。私が壊れる。
「あのぅ……なに考えてるのか知りませんけど、吐くのならトイレに行ってもらえます?」
うずくまるセリナに冷たい目線を向けるテリア。心配する様子はひとかけらもない。本当に憎んでいることがよくわかる。
「だい、じょうぶ、です……っ!」
えずきながらも、なんとか答えるセリナ。それを見続けるテリア。
少しの時間が流れ……
「あぁーっ!もうっ!うっとーしいですねぇっ!」
テリアは勢いよくお湯から上がり、腰に手を当てセリナを思い切り指さす。
「貴女、頭を使いすぎなんですよ!もっとシンプルに考えられないんですか?ひっじょーにうっとーしいです!その卑屈な理屈や生きかた!」
セリナは口を押さえながらテリアを見る。テリアは眼鏡をくいっと直しつつ、セリナをイラつきながら見ている。
「なにがあったのかは知りませんけど!どうでもいいですけど!貴女にはムカつく存在でいてくれないと、あとで殺したときにスッキリしないんですよ!だからさっさと立ち直ってください!その気持ち悪い顔をするのをやめてください!以上っ!」
勢いよく叫んだテリアはそのままお湯から出て、脱いだ服を体に叩きつけるように持つと、セリナの横を通って部屋から出ていく。
はぁ、はぁ、と小さく、しかし荒い息が止まらないセリナは、テリアの言っている意味がわからず、地面をただ見つめることしかできなかった。




