第10話『魔力と瘴気』
ギルドから離れて町が一望できる場所の長いイスに二人で座る。
景色はもう夕方。
それでも人の熱気は相変わらずで、さきほど私が訪れた場所はまだたくさんの人であふれかえっている。
私はリオナルドにおごってもらったレモンの飲み物を頂きながら話に耳を傾ける。さっぱりしていて、レモンの酸味がとてもさわやかだ。下手な紅茶よりもずっと、ずっと美味しい。
「ここから北に行った先に遺跡があるんだ。とても長い歴史のある遺跡でね。厳重に守られていたのだが……三か月前か。その頃から瘴気が急にどこからかあふれ出してあっという間に遺跡を包んでしまったんだ」
「瘴気……ですか」
「あぁ」
「魔力と対をなす瘴気。君には釈迦に説法かな」
リオナルドの冗談じみた言葉にくす、と笑う。
人は、生まれ備わっている『魔力』を光の魔力とも呼び、『瘴気』は闇の魔力とも呼ぶ。
瘴気を闇と呼ぶ理由は、瘴気は人間には毒で、体内の魔力が瘴気に変えられると死に至る。だが、逆に瘴気をエネルギーに変えられる種族もいる。有名なのは魔族。魔族は逆に魔力にあてられると消滅してしまう。
――だからといって勘違いしてはいけない。
魔族はあくまで瘴気を元々宿しているだけで、他の種族となにも変わらないということを。
人間もほかの種族では人族と呼ばれている。ほかにもドラゴン族やエルフ族などたくさんの種族がこの世界にいる。魔族も他の種族となんら変わりはない。
厄介なのは瘴気に魅入られたもの。闇の力に堕とされたもの。
それはどんな種族であろうと『魔物』と呼ばれ、他の種族から恐れられている。魔物は魔力を瘴気に変える力を持ち、それをエネルギーにして喰うのを主な目的とするからだ。
……そこまで考えたところで、リオナルドの言葉が思考を中断させる。
「普通の者じゃ浄化しきれないほどの瘴気でね。国からもよりすぐりの者が派遣されたのだが……いまだに遺跡は瘴気に包まれたままだ。そこで、浄化が得意な者を探しているときに君に出会った、というわけさ」
浄化能力というのは瘴気を浄化する能力。
そのままの名前だが、実は魔力量が相当必要とされる。魔法陣を床に描くことで構築して魔力の増加をしたうえで、魔力が高い魔法使いを何人も集めてようやくできる力。
……要するに、そこにある瘴気の力を上回る魔力で消滅させようとしているわけだ。
だから、そこにある瘴気以上の魔力が必要になる。
そして魔力量が多い『聖女』にとって、浄化は一番の得意分野だ。そこらの瘴気ならば魔法陣など必要もない。
ちなみに、巷で言われている『聖女』が使う『癒しの魔法』と呼ばれているものがまさに浄化能力だ。
瘴気やケガなどで病んでいるところを治す。それは人間の体だろうが植物だろうが無機物だろうがなんでも、だ。
つまり誰でもできる回復技。しかし、相当な魔力がないと大した傷も癒せない。
「その遺跡を私に浄化してほしい、と?」
「そうだ。できるかな」
たぶんできるけど……
実際にどれほどの瘴気なのか見ていないからなんとも言えない。
ただ、以前『東国』にある歴史的な遺跡というのは書物で見たことがある。
森の中に建っていて、周りに生えている大きな木々から顔を見せられるほどの高さのものだった。
となると……なるほど、そこらの魔法使いじゃ土台無理なわけだ。
そう思いながら景色を見渡すと、ものすごく遠くの森の中からわずかに顔を出している建造物らしきものがある。さすがに遠すぎてここからはよく見えないので瘴気もわからないが、あれがそうなのであれば思っているよりも大きい遺跡だろうし、それを覆いつくす瘴気となると簡単にいかないのも改めて納得である。
「そうですね……」
私は口に手を当てしばし考えこみ――
「……わかりました。必要なものを買いたいのですが、出発は明日の朝でもよろしいでしょうか?」
「もちろん。君の準備が整ったタイミングでいい。しかし一日で大丈夫なのか?」
「はい。ほしいものが売っていればの話ですが……」
「それは一体?」
「浄化の粉です」
「浄化の粉?」
「以前買ったことがあるので、魔法を専門に取り扱うお店なら売っていると思うのですが……」
浄化の粉とは、その名の通り浄化の能力が使えないものでも浄化できる魔道具。
やりかたは簡単。粉を瘴気がある場所に振りかけるだけ。魔法使いならだれでも一袋は持ち歩いているとの話をどこかで聞いた。
もしなかったら自作するしかない。清らかな宝石を粉々に砕いてそこに浄化の力をこめる……これがものすごい単純作業だし日数かかるし疲れるしめんどくさい。買えるのならそのほうが良い。
「わかった。案内しよう」
「ありがとうございます」
そしてリオナルドに案内され行った魔法専門店で、浄化の粉を無事に買うことはできたのだが……
今回に使う用と予備で二袋買ったら……路銀がほとんどなくなった……
お金を店員に渡したあの瞬間。これからは絶対に、絶対に!自作しよう!と、強く決めた瞬間だった――
やはり、足の多い生き物は美味しい――
リオナルドのおすすめだと入った大衆食堂で出された名物、タコのカルパッチョを食べて思った。目の前にリオナルドがいなかったら全力でその美味しさを表現したいところだ。
……いや、いなくてもやらないけど。
となるとやっぱり気になるな……他の魔物とか足が多いやつ……
密漁になってしまうイカとかはダメだが、魔物なら討伐してもなにも問題はないし、倒したら食べていいとかならないかな。もしかしたら美味しいのかもしれないじゃないか、足の多い生モノ最高……と、また一人考えていると、リオナルドが口を開いた。
「本当に同室でよかったのかい?二部屋でも良かったんだよ?」
この質問はこれで二回目だ。一度で聞き分けてもらいたいところだ。こっちはイカのから揚げをじっくりと堪能したいのだから。
浄化の粉で路銀がなくなり、野宿をしようとしたらリオナルドが宿代もおごると言ってきたので、遠慮なく甘えさせてもらおうとしたら、なんと一人一部屋にしようと言い出したのだ。
しかも、この宿屋そこそこ高い。
さすがに今日ずっとおごってもらってばかりだし、すこーしだけ申し訳なくなってきて、そんなことさせられないと断った。だが、リオナルドも負けじと二部屋を頼もうとしてくる。
そこで妥協したのが、一部屋に二つのベッドがある部屋で、だった。
「私は平気です。なんならベッドも一つで同衾していただいても構いません」
「それは……さすがにダメだろう?君はもっと……その、自分を大切にするべきだ」
さすがにぴく、と体が動いた。態度に気持ちを出すなと教育されているのに。この『東国』に来てから自分の未熟さをずっと痛感している。
ふぅ、とため息をつきながら私はフォークを置いて、にこ、とリオナルドに微笑んだ。
「なにをおっしゃいますやら。大切にするものなんて私にはありませんよ」
「いやいや。君はまだ二十五の若い女性なんだ。簡単に男と一緒に寝るなどと言ってはいけない」
「ですから……」
私は自分の胸に手を当てる。そして再びにこ、と笑いかけた。
「私に……私の心にも体にも守るものなどありません」
リオナルドの表情から笑みが消える。私の言っている意味が分かったのだろう。
私の体は成人の儀式と呼ばれる日の夜に奪われた。
『大人の行為を知ることで内面からにじみ出るものがある。そしてそれは誰をも魅了できるはず』とは『教育係』の女の言葉。私の初めては知らない男だった。
『聖女』は清廉潔白?純真無垢?
歴代の『聖女』はそうなのかもしれない。でもそんなの知らない。どうだっていい。
だって私は『偽物の聖女』ですから。
「……そうか……すまない……嫌なことを思い出させた……」
ガヤガヤと騒がしい食堂が静かになった。そんな気がした。実際はなにも変わっていない。変わったのはこのテーブルの空気だけだ。
私にとってはそんな大層なものじゃないし、隠しておくものでもないので話したが……それにリオナルドが悪いわけでもない。なのに私のことでどうしてそんな苦しそうな顔を……?
――そういえば、こんな顔を誰かに向けられたのは初めてだったからかもしれない。
哀れみ?同情?なぐさめ?悲しみ?苦しみ?
この態度……私が思っている以上にこのことは話してはいけないことなのかもしれない。
リオナルドの雰囲気と美味しいもので浮かれて、ついつい口が軽くなってしまった。気をつけなければ。
私はリオナルドににこり、と微笑む。
「お気になさらないでください。あ、そうだ。それより色々なことを教えてください」
「色々なこと?」
「はい。私、自分の知らない世界に興味があるんです。どんなことでも構いません。教えていただけませんか?冒険譚でも、『東国』の花でも宝石でも美味しいものでも、素敵な場所の話でもなんでも」
「あ、あぁ……」
「美味しい食事の一つとして。無理なお願いでしょうか?」
「……いや……そうか、そうだったね。君は自由を求めて旅をしているんだったね」
「はいっ。私が知りえなかったこの世界のことを知りたいのですっ」
私の力強い声にリオナルドの顔がいつもの微笑みに変わる。
「いいよ。私の知っている話ならいつでもしよう」
そうしてリオナルドから紡がれる話はとても楽しく、私はそれを美味しい食事とともにたっぷりと堪能したのだった。




