第一景:騎士と宝石
◇登場人物◇
◇ヨハン:冒険者/盗賊
◇ハイトランド:騎士/依頼人
◇ファーガソン:金色の羊亭店主
金色の羊亭は今夜も賑わっていた。
探索を終えた冒険者達で溢れかえった店内では、大酒を煽る者、分前を分配する者、それを鑑定する商人などの声が響いている。
この店の名物は店名に冠して有るように、羊だ。
特に羊肉のシチューが絶品で、皆それとエールを楽しみに扉をくぐる。
新鮮なうちに血抜きをした羊肉は臭みもなく、
沢山の野菜と香辛料とともに煮込んだ肉は口に運ぶとホロホロと崩れる。
咀嚼し、野菜の旨みと肉の旨味を楽しんだ後、エールで流し込む。
すると、味覚がリセットされまた食べたくなるのだ。
その魔法のように幸せな口内循環を求め、毎夜訪れる客が後を絶たない。
そんな店内を見回し、店主のファーガソンは満足そうに笑みを浮かべていた。
今日という日を生き延びた悦びは、欲で満たしてこそ明日への活力に繋がる。
それは睡眠欲、性欲、食欲だ・・・そうファーガソンは常々思っている。
良く寝て、好きな女を抱き、旨い物を食べる。
そうすれば当たり前のように訪れる次の一日を生きて行こうと思える。
生き残りさえすれば、また欲を享受できるのだ。
そして、冒険者の胃袋を満たしているという自負がこの男にはあった。
だが、奥のテーブルに視線を移したファーガソンの笑みが薄れる。
視線の先には向かい合って座る二人の男がいた。
手前に座っているのは焦げ茶のローブを着た盗賊で、名前はヨハン。
この店の常連だ。
奥に座る男は常連ではないが見覚えがある、確か騎士のハイトラングと言ったか。
この辺りを統べる領主お抱えの騎士団、その副団長のはずだ。
そしてファーガソンの視線はテーブルに移る。
テーブルの上には宝石らしきものが置かれ、時折ヨハンが手振りを交えハイトラングに話しかけている。
騎士はと言えば、神妙な面持ちで腕組みをし、こちらも時折手を伸ばしては宝石を摘み上げ、目の前で角度を変えて何事かを思案しては、宝石をテーブルに戻し、また腕組みをする。
宝石は複数あるらしく、同じことを何度も繰り返しているようだ。
そして、その横には店自慢のシチューとパン、そしてエールが二人分置かれている。
それこそが問題だった。
いっさい手を付けていない。
ファーガソンは暫く前から彼らを見ていたが、
彼らはエールに口をつけるどころか、シチューに手を伸ばしもしない。
ただ、ああやって宝石を前に二人で何事か話しているだけだった。
「残したら、ただじゃ済まさねぇぞ」
そう呟き、店主は再び活気溢れる店内に視線を移すのだった。
◇
ヨハンは辟易していた。
目の前に座る騎士は依頼された宝石を持ち帰った時、大いに喜んでくれた。
そして、実物を早く見たい。との要望に応え持ち帰った宝石を二個テーブルに置き、ちょうど横を通った店員を捕まえ、二人分のエールとシチューを注文した後、
再び騎士を見ると・・・・腕組みをしたままオーガの如き様相になっていたのだ。
依頼された宝石はカルサンドライト。
ダンジョン内の宝箱から、極稀に入手できる宝石だ。
黄色味を帯びた石の中央に、薄っすらと緋色の模様が見えるのが特徴で、石自体の大きさと、緋色の濃さや模様の形によって価値が変わる。
ヨハンが入手した宝石は大きめだが緋色がやや薄いものと、少し小ぶりだが緋色が鮮やかに出たものだった。
どちらが価値があるかと聞かれたら、恐らくは緋色が鮮やかなものだと思うが、大きい方も決して安いものではない。
しかも、ヨハンが今まで見た中で一番の大物なのだ。
手振りを交え、そう何度も説明したが、騎士はその都度宝石を見返しては深いため息をつくばかりで一向に進展しない。
受けた時は正直そう難しい依頼ではない。そう思った。
カルサンドライト自体は珍しいものでは有るが、比較的低階層の宝箱から出る上、忍んで行けばパーティーを組まなくても自分だけで入手できる。
まさに盗賊向けの仕事だった。
パーティーを組まなければ報酬を割る必要もなく、自分の懐が潤うのみだ。
ならば話が早い、と個人でアタックを繰り返していた矢先、運良く目的のものが手に入った。
しかも、二個。
本来なら、どちらか一つを騎士に渡し、残った方を懐に入れても問題はないのだが、騎士の目的に心当たりがあったヨハンは、親切心から持ち帰った二つを見せ、選ぶように言ったのだった。
ヨハンは義理堅く、真面目な性格をしていた。
ダンジョンを出た後、そのまま騎士団の駐屯地に趣きハイトラングへの言伝を頼んだ彼は、一旦宿に戻り、汚れた仕事着を着替え、待ち合わせに指定した金色の羊亭へと向かった。
待ち切れなかったのだろう、店を覗いた時には既にハイトラングが奥に座っているのが見えた。
挨拶を済ませると、騎士は今日は私の奢りだ遠慮なく注文してくれとその厚い胸板を叩いた。
それならば、と宝石を置いた後で好物のシチューを注文したのだ。
だが、残念な事にそのシチューは手付かずのままテーブルの脇に追いやられ、熱々だったであろう器からは、既に湯気も立ち上らなくなっている。
本来なら、宝石を騎士に渡し、然る後報酬を受け取り、好物のシチューとエールで英気を養い、今頃は宿のベッドに潜り込んでいる筈だった。
義理堅い性格のヨハンは、シチューに手を付けられない。
招いたのは自分だが、払いは騎士持ちとなってしまった。
それならばこの席は騎士が主賓だ。
主賓を差し置いて、自分が先に飲み食いを始めるわけにはいかない。
うらめしそうにシチューを横目に見ている彼は義理堅く融通が利かなかった。
だが、それも限界に近づいている。
朝早くからダンジョンに潜り、水と携帯食で維持してきた身体が悲鳴を上げている。
飯を食って寝たい、と。
仕方なく、本来ならば口を挟みたくなかったが、ヨハンは騎士に理由を尋ねた。
「旦那、何をそんなに悩んでいるんですかい?」
騎士は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、埒が明かないと思ったのだろうポツリポツリと話し始めた。
曰く、自分は本国より最近この地に来て副団長の任に着いたが、元来は田舎の出である。
長く苦労をかけた妻の誕生日、なにか良いものを贈りたく最近知り合った商人に尋ねたところ、この宝石を勧められたが、貴方の説明を聞いてもどちらが良いものか計りかねている、と。
やはりそうか、とヨハンは思った。
商人はこの無骨な騎士から奥方への贈り物と聞き、石言葉と合わせカルサンドライトを勧めたのだろう。
この土地では愛する女性に送る宝石として、カルサンドライトは最も良いものとされている。
自分も、親切心で二つ見せたのが結果として悩ませることとなったとヨハンは心の中で詫びた。
そして小さく緋色が濃いものを騎士に勧めた。
ゆくゆくは騎士団長になるかもしれない御仁の、奥方への贈り物ならば大きさよりも質を求めるべきだ、と。
騎士は大いに照れたが頷き、ようやく決心したように小さい方のカルサンドライトを手に取り、嬉しそうに覗き込んでいる。
ヨハンは騎士の喜ぶ顔を見て、我ながら良い仕事をしたと感じていた。
忘れない内に、かの宝石の石言葉を伝えようとしたのだが、騎士の言葉がそれを遮る。
「良ければ、もう一方の宝石も譲ってはくれまいか」
騎士はそう言った。
ヨハンが怪訝な顔をしていると、本来の報酬である金貨5枚と、更に金貨5枚、合わせて10枚を騎士がテーブルに乗せた。
そしてもう1枚を置き、指でヨハンの前に突き出してきた。
この上乗せした1枚は恐らく口止め料であろう。
それを察したヨハンは承諾し、大きい方のカルサンドライトも騎士に譲り渡した。
その辺にいる商人に鑑定を頼めば金貨7~8枚の値がつくとは思ったが、
これ以上首を突っ込んでも碌な事にならない、そう自身の勘が告げていた。
満足したのであろう、騎士は礼を言って席を立ち、会計を済ませ店を後にした。
その背中を見送りながらヨハンは思う。
騎士が、その宝石の石言葉『誠実な愛』を知った時はどう思うのか、と。
さて。とヨハンは気分を変え、
温くなったシチューと固くなったパン、気の抜けたエールをそれぞれ二人前、胃袋に流し込み店を後にした。
その姿を満足そうに店主のファーガソンが見送っていた。
ナバレスタ ダンジョン百景、ここに開幕です。
他サイトにて連載中の作品に手を加え、心機一転でなろう様でもUPさせて頂きます。
毎回違う登場人物、毎回違う舞台背景で書き綴る作品となっておりますので、楽しんでもらえれば幸いです。