思い
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小さなお寺の方丈で、灯明一つの薄暗い灯かりの中に二人の人物が向かい合って座っていた。一人は男で、もう一人は女だった。
「そのS子と言う女性と口説きに来るNと言う男性にはもう家を突き止められてしまいました。それと刃物らしきもので傷つけられた私の写真と不気味な紙がポストに入っていましたので、私もうただ恐ろしくて」
女は切実な表情で訴えた。
「『お前を恨み必ず呪い殺す。S子より』これがそうですか。これは血で書かれていますね。因みに私の事はどこでお知りになられたのでしょうか」
男はその写真と紙を手に取って見ながらある事を感じていたが、黙って話を聞いていた。
「はい、やはり、呪いに対処するには神社仏閣しか思いつかなくて、あちこちのお寺や神社を訪ねたのですが、その中のお寺の方から伺いました」
「それで、私に何とかして欲しい訳ですね・・・なるほど、分かりました。これは私が預かっておきましょう」
「これはお礼として受け取ってくださいませ。足りなければ後ほどお支払い致します。それと私の携帯電話の番号です」
女は厚みのある封筒と自分の名前と電話番号が書かれたメモを差し出した。
「電話番号だけ頂きます。その他はお金も何も要りませんので」
そう言うと封筒を女に押し返した。
男の名を兼良と言い、女は橘すみれと言った。
事の原因の発端は一ヵ月程前に遡る。
NとS子が街を歩いていたら、反対方向から来るすみれを見てNは見とれてしまい一目惚れをしてしまった。Nは急に用事を思い出したと言い、S子から離れて反対方向に向かうすみれの後を付け始めた。S子は不可解な感じがしたので、Nの後を付けて行く事にした。そして、一人の女性の後を付けて行っているのが分かったので、そのままNの後を付いて行った。暫く後を付け続けていたら女性がマンションに入ったのでNも後に続いて建物に入って行った。
S子は道路から見ていた。そして、都合のいい事に玄関が道路に面していたので、その女性の部屋と思しき玄関前で二人が話して揉めているようだった。S子は最初Nの知り合いなのかと思ったが、様子からして違うようだった。
玄関前でNと女性が言い争いををしているのが聞こえてきた。S子はNが女性に好意を抱いたのだと理解してNはその女性に追い返されて建物から遠ざかると、マンションのルームナンバーと表札とポストを確認すると苗字しか書かれていなかった。それ以来、Nの自分に対する態度が冷たいものになっていった。Nが休みの日に一人で出かけたので後を付けたら、その女性の所に向かっていたので、S子は激しい嫉妬の感情が芽生えた。
道路から見ていたS子はNが玄関前でNが一人で立っており、玄関が開く事はなかった。Nはしょんぼりして仕方なくマンションから遠ざかった。それから間もなくして、一方的に別れを告げS子の元を出てしまった。突然別れを告げられS子は、自分勝手な思い込みをして出て行ったNを恨まずに、すみれに対する恨みを抱いた。手っ取り早い方法は直接的に刃物で殺す事だが、そんな楽な死に方はさせないと思っていた。だからすみれの家のポストに紙と写真を入れて、心理的恐怖も与えるつもりでした事だ。
S子も人を呪わばの言葉は知っているので、自らの命を賭しての行為である事は覚悟していた。色々と考えたが丑の刻参り系のモノや、お百度を踏む事ぐらいの事しか思い浮かばなかった。インターネットでも調べたが、そこはどちらかと言うと心霊スポットで、情報はあまりにも根拠が乏しい所だし、大勢のライバーがその場所から配信している。人を呪うには何処がいいかなどは誰にも聞けないし知られてもいけない事で、誰にも見られてはいけない事でもある。S子は免許を持っていなかったし、S子の住まいからは遠かった。図書館でも調べたが、そこが第一本当に効果があるかどうかは未知の世界で知りようがない。あれこれ考えた末、もっとも有名な丑の刻参りをする事に決めた。
一方、すみれの元には待ち伏せしたり、足しげくNが口説きに来るようになっていたので辟易していた。すみれは大きなお店の娘であった。両親が事故で亡くなったが跡は継がずに店じまいしていた。多額の財産があったので働かずにいたが、誰にも行き先を告げずに引っ越しを考えていた。S子にもNにも知られないように苦心して考えあぐねた結果、特別料金で深夜に引っ越しを行う事にした。一人暮らしで元々物には執着しないすみれの家にはたいして物もないので、比較的簡単に手早くする事が出来た。引っ越しをして暫くは用心の為外出の際には、鬘やサングラスにマスクをして周囲に注意を払った。更に探偵事務所に自分の身辺調査を依頼して、S子やNの存在の有無を確かめていたが、今のところ身の回りには居ないようだった。
S子は呪いの儀式の為、ホームセンターで釘やハンマーにロウソクに懐中電灯を買い着々と準備を始めていた。しかし、正直なところS子も得体の知れない恐怖を感じていた。自らの血で書いた呪いの宣言書を書いた時には痛かったが、心理的な恐怖を与える為には必要な事だった。
Nはすみれが自分の知らぬ間に引っ越しをされたので、内心嘆いていた。会社でも仕事は上の空でミスは犯すし、上司には他の同僚の前で滔々と説教をされた。何も同僚の前で説教しなくてもいいではないかと。単純な心の持ち主のNは、苛々した。お酒に救いを求めるようになり次第に生活が乱れていった。会社も休みがちになって病欠で会社を連日休み会社に疎まれるようになった。毎日寝起きからお酒を飲み始めて、一日中酔っぱらっている生活が続いた。そんなNだったがそれでも心配した会社が、Nと同期の社員に様子を見に行かせた。同期の社員が様子を見に来た時にも病欠で仕事を休んでいるのに、酔っぱらってろくに呂律も回らない状態だった。同僚が上司に報告をすると、上司が会議をした結果鑑みて、配達証明付き内容証明郵便で解雇通知書を送った。解雇通知書を受け取ったNは、何もせず放置した為に結果Nは解雇された。Nの生活は荒れる一方で、どうしようもない状態に陥ってしまった。
呪いの成就を祈願して100日続けて行う事にしたS子は、念さえ入れれば場所や時間はあまり関係ないだろうと言う考えにたどり着いた。近くの公園に林があったので下見の為に一週間毎日深夜に行ったが、深夜帯にカップルなど人気が無かったので、結局その公園の林の奥深い所で決行する事に決めた。その公園では自殺する人が時々居るらしい。隠し撮りしたすみれの写真を100枚コピーして釘も100本用意した。クラブでホステスをしていたS子は呪いの儀式の為にお店を辞めた。バンスも無かったS子はオーナーに止められたが、簡単にお店を辞めることが出来た。Nが接待で来た時に知り合った思い出のある店だった。
いよいよ呪いの儀式初日になった。すみれの写真に呪いの言葉を発し5寸釘を打ち始めた。深夜の公園にトントンと音が響いた。十日経ち、二十日経ち、三十日経ち天候に関係なく毎日行い百日目の夕方になった頃に、兼良はすみれに電話を掛けて来るように言った。すみれは急いで手荷物をまとめて、自家用車で兼良の元に向かった。
小さな門前で兼良はすみれの到着を待ち、やがて、すみれが来たので方丈に案内して、これからの事を説明した。今晩が呪いの満願の日ですので、満願成就させない為にお越しいただきました。深夜まではまだ少し時間がありますので、こちらでお休みになられてください。夜になったら又、私が参りますので欲堂・・・欲堂とは風呂場の事ですが、そこでシャワーだけでも、湯船につかるのも御自由ですのでそうしていただきます。そして、不安な思いで時を過ごし、時が経ち夜が深々とふける頃に、兼良がやって来て欲堂に案内したが、そこには真新しい白装束が用意してあった。
「入浴後にその白装束に着替えてください。着替え終わったらその鈴を鳴らしていただけたら、すぐに参りますのでお願いします」
「はい、分かりました」
入浴が済み白装束に着替えて鈴を鳴らしたので、チリンチリンと鳴り響いた。すぐに兼良はやって来て本堂の御宝前に案内したが、そこには物々しく注連縄で結界が張られていた。
「私がお経を上げている間は声を出さない事と私に話し掛けないでください。それと、結界の中からは出ないようになさってください。それほど長い時間はかかりませんので、ここまでで何か御質問はありますか」
少しすみれは思案したが、質問は思いつかなかった。
「いえ、大丈夫です。お世話になります。宜しくお願い致します」
「時が来たようです。どうぞ中へ」
穏やかに兼良は言いお経を上げ始めた。お経は3時間に及んだ時にS子の生霊が現れて、本堂の中を歩き始めた。
「おのれ、あいつはどこに行った」
残バラ髪を振り乱し、怨嗟の言葉を吐いて堂内を歩いているS子の姿を見て、すみれは恐怖で生きた心地がしなかった。兼良はお経を唱え続けていた。次第にS子の身体から実際の炎ではない炎が上がり燃え出した。生霊は悲鳴を上げてのたうち回り始めると、更に一層声を上げお経を唱え続けている兼良は、S子の生霊から目を離さずにいた。
「あぁ、口惜しいぃ」
そうつぶやくと苦しみながら残念がって生霊は燃え尽きた。
「これでもう大丈夫です。呪いは解けました。どうぞ御安心を」
「もうよろしいのですか」
「はい、大丈夫です。今晩は方丈にお泊りになってください」
翌朝、すみれが泊まって居る方丈に兼良が朝食の箱膳を持って来た。箱膳にはご飯にほうれん草のおひたし、ひじきの煮物に漬物、かんぴょうの煮物にお麩の入った汁物が並んでいた。
「大変お世話になりました。それに食事まで頂きまして誠にありがとう存じます」
「大した事はしておりませんので、どうぞお気になさらずに」
食事を済ませて帰り支度を終えると、間もなく兼良がやって来た。
「本当にありがとうございました」
「大丈夫だと思いますが、もし何かあったらすぐに連絡をください。それではお気をつけて」
「それではこれで失礼いたします」
「どうかお元気で」
すみれを見送った兼良は、部屋に戻り電話を2本掛けた。そして、作務衣から袈裟に着替えてから車である警察署まで行った。警察署に着き自分の名を告げると、警察庁のB警視監からお話は伺っておりますので、刑事がさあこちらへと促された。既に来ていた葬儀社と挨拶を交わすと、刑事の後に続いた。2本の電話の内の1本は警察庁に務めている先輩の警視監で、もう1本は葬儀社への電話だった。
案内された遺体安置所に入るとお線香の香りがした。遺体はベッドに寝かされて、全身は白い布で覆われていた。女性のお顔をご覧になられますかと尋ねられたので、兼良はお願いしますと返事をした。その顔の形相は何とも形容しがたい凄まじい顔だった。B警視監は兼良の学校の先輩で交流もあったので、お蔭でその場で比較的簡単に遺体引き取りの手続きは済まされた。S子の遺体は葬儀社によって葬祭場まで運ばれて、安置され花とお線香が手向けられた。一通り準備が済むと恨みの行動を行ったとはいえ、兼良には憐憫の情が湧いていた。一人で2時間読経してから、今後の打ち合わせを葬儀社として荼毘に付す日を決めた。
火葬場には葬儀社の人が二人と兼良一人だけだった。火葬されている間も兼良はお経を上げていたが、火葬が済むと火葬場の人と葬儀社に礼を言い兼良のお寺までお骨を持って行くと、無縁墓地に埋葬した。
S子の命日から毎日お経を上げ続けて更に、初七日、二七日、三七日と六七日と七日毎に卒塔婆を10本書き一人で法要を営んだ。そして、四十九日目には卒塔婆を20本書いた。四十九日目にお経を上げていたら白装束姿のS子が現れた。
「あなた様の懇ろな弔いのお蔭で業火の苦しみから解放されました。この御恩は忘れません。誠にありがとうございました」
ゆっくり頭を下げてS子の姿は掻き消えた。
最後までお読みいただきありがとうございます。